第8話 幸せの味



 慌てて視線を外し、食事を再開する。なぜだか先程よりもスープの味が分からなくなっていて、少しおかしかった。

 次は豆と肉の炒め物を口にする。これも美味しかった。今まで経験したことのない味だ。

 きっと他の料理も美味しいのだろうと思い、チョコレートケーキが乗っている皿に手を伸ばす。


「あっ! ケーキは最後に食べたらもっと美味しくなるから我慢して」


 スポンジを上手く匙で刺せずに苦戦していると、鋭い口調でモニカに言われた。


「……そうなんだ」

「そうなんです」


 食べ物についてはモニカの方が先輩だろうから、素直にその言葉を受け取って匙を離した。


「モニカはよく知ってるな」

「ううん、そんなことないよ。私、飛空艇に乗ったこともないし」


 他の食事を平らげながらモニカの話に耳を傾ける。


「乗りたいのか?」

「うん。私ね、飛空艇が好きなの。最初村の入口にある木の上にいたのも、あそこからなら村で一番飛空艇がよく見えるからだし。よくあそこに居るんだ」


 飛空艇というのは、この村に来る前に乗ったやつだ。あんな無機質な物を少女が好きとは珍しい気がした。

 そう考えていると、こちらを窺うように見ていた少女から不思議そうな呟きが零れた。


「……ブラッドは笑わないんだね。この村の人達に言ったら、女の子なんだから、とか、乗ったこともない癖に、って笑われるんだけど……」

「別に笑う話でもないじゃん」


 僅かに目を見張ったモニカに対して呟く。二人しかいないこの部屋に数秒ばかり沈黙が流れた。

 今度こそブラッドがケーキに手を伸ばすと、視界の隅に映った少女の表情がはにかんだように見えた。

 叶うならずっと見ていたい。

 そう思える笑顔で、息をするのを忘れていた。


「そっか……そうだよね。そう言ってくれて有り難う、なんだか勇気が出たよ。ちょっと不安だったんだ」


 ケーキを含もうとして聞こえてきた言葉に手の動きを止めた。


「不安?」

「私、飛空艇を好きになっちゃいけなかったのかなあって」


 自分の皿に視線を落としたモニカがぽつりと呟いた。伏し目がちのこの表情を目の当たりにしたのは、自分には初めてのことだった。

 思わず目を見張る。


「ああ……」


 モニカの表情に気を取られていたためか、上手い返事ができなかった。

 もっと違うことが言えたのではないかと思うと、なんだか悔しい。

 しかし少女の反応は予想とは違っていて、頬を持ち上げていた。


「聞いてくれて有り難う。誰かに聞いてもらえると、それだけで嬉しいね。なんだか安心したよ」

「……そう」


 そう言って笑いかけてくるモニカの表情が眩しくて、短く答える。

 何も返さずに改めてケーキを口の中に放る。対面の少女はまだパンを食べていたが、自分はもう済んだのでケーキを食べてもいいだろう。

 黒と焦げ茶色の間のような色合いをした固めのケーキだった。

 思えば初めてケーキを口にする。

 ケーキを口に入れた瞬間、甘いと思った。

 でも甘いだけではない。まるで繊細なパンを食べている時に似た風味が口の中に広がって目を見張った。


「んふふっ」


 驚いている自分を見て満足したのかモニカが笑みを零す。

 何か反応した方がいいのか、と一瞬思ったが、フォークを動かす手は止められず、再びケーキにかじりついていた。

 甘い。

 幸せとはこういう甘いことを言うんだろう。

 目尻が下がる。


「ブラッド幸せそう」


 前から先程よりもどこか意地の悪い声が聞こえてくる。

 だけどその声には、見世物小屋にいた頃によく聞いていた底意地の悪さはない。


「ねえブラッド。旅をしていた時のこと聞かせてくれる? 聞きたいんだ」


 少女も食事を済ませたようだった。ケーキ以外の皿が綺麗になっている。

 誰かに話をせがまれるなんて初めてだ。ちょっとしたことなのに、こんなに満たされた気持ちになるとは思わなかった。


「俺の……?」

「うん。ブラッドの見てきた物とか、聞いたこととか」

「あんまり無いけど」

「構わないよ」


 対面の少女は自分の言葉に満足したらしく、うんうんと大きく頷いて続きを促してくる。


「じゃあ……」


 話を切り出そうとした時、自分の前に置かれているグラスに水が注がれた。

 視線を僅かに上げるとモニカの仕業だった。目が合った彼女は、悪戯めいた表情でふふっと笑っていた。


***


 最初は自分の話に自信が無かったけれど、熱心に耳を傾けてくれているモニカを前に、だんだんと夢中になって話をしていた。

 飛空艇に乗る手順や、どんな人達が乗って何の話をしていたか、覚えていることを全部話したと思う。

 飛空艇以外のことも少し話したが、見世物小屋上がりの自分は詳細を伏せたくて、歯痒い思いをした。


「あっ!」


 自分はもちろん、モニカもチョコレートケーキを食べ終えた頃、窓の外にある何かに気付いたらしい少女が声を上げた。

 その様子に首を傾げ思い出した。この宿の向かいは彼女の家だ。

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