第7話 少女との時間

「ったく、お前はろくに礼も言えないのか。怪しまれるから、夕飯時はちゃんとしろよ」


 ロベルトは毒づきながら荷物を部屋の隅に放る。金属音に似た固い音をさせて、鞄が音を立てて落ちる。


「…………」


 やっぱりロベルトに何か言うのが嫌で黙っていると、窓際から再び溜め息が聞こえてくる。


「もう一度言っておくが、儀式は明日の朝だ。ようやく明日お前は死ねる。お疲れ様。じゃあ私は酒場に行ってくる、大人してろよ」


 そう言い、悪魔は投げた鞄の中からごそごそと荷物を取り出し始める。

 明朝自分は死ぬ。

 望んでいた事なのに喜べなかった。食べられたくなかった。

 あのモニカという少女と女将のやり取りを見て、世界はもっと違う物ではないかと思えてきた。

 相変わらず黙っている自分を見やる視線を感じる。

 数秒後、荷物を取り出したらしいロベルトが立ち上がり、扉へ向かう。こちらに背を向けたまま、ぽつりと呟いてきた。


「……今更逃げようなんて思うなよ。こんな田舎じゃ逃げても狼に喰われるだけだし、代わりにあのモニカって子を使うからな」


 いつもより一層低い声が鼓膜に刺さる。自分の様子がおかしいことに、ロベルトはもしかしたら気付いているのかもしれない。

 体を強張らせ、敵に見付かった動物のように息を殺し耳をそばだてる。

 時間にしたら一瞬なのだろうが、自分にしては何十分にも思えた頃、バタンと扉が閉まる音が聞こえてきた。

 ロベルトが部屋を出て行ったのだと分かり、強張っていた体の緊張が少し解けた。

 もう動かない扉を映しながら、動けなかった。

 自分はどうしたいのだろう、どうすればいいんだろう、とそれしか考えられなかった。


***


 外の世界から日の光が消えた頃、誰かが扉を叩く音がしてようやく我に返った。


「は、はいっ?」


 今部屋には自分しかいないので慌てて返事をした。そういえば夕飯を用意して貰えると聞いたので、それだろう。

 ブラッドが返事をすると、暫くしてから扉が開き、部屋の中に一人の少女が入ってきた。

 見覚えのある銀色の髪。自分よりも低い背。海のように濃い青い瞳。

 すぐにモニカだと分かった。

 なんの用だ、と思っていると、モニカが床に置いておいた大きめのお盆を拾うのが見えた。その盆の上には豆と肉の炒め物、パン、橙色のスープ、そして茶色いケーキが二つ載っていた。これが夕飯なのだろう。

 自分の知っている食事より数倍豪華な物が映って、不覚にも胸が高鳴る。


「……なんであんたが?」


 予期せぬ訪問客を警戒する。

 机の上に盆を置いて一息ついている少女に尋ねた。


「マーランドさんが忙しいみたいで、君に夕飯を届けるように代わりに頼まれて。それと私の両親、酒場に旅人さんと絡みに行くとか言い出しちゃって家にいないんだよね。だから私もここで食べることになったの!」


 ニコニコと、拒否されることなんてちっとも考えていないような口調でモニカが説明をしてくれた。


 勝手に――そう口を開こうとした時には、さっさと着席したモニカが顔を覗き込んでいた。その上目遣いに不意を突かれ結局何も言えなかった。


「一緒に食べよう?」


 無茶苦茶だ。

 だけど断る理由もない。

 なんとも言えない気持ちになり上手く反論できず、ふてくされたような表情を浮かべたまま乱暴に椅子を引き、自分も向かいに着席した。

 そんな自分を見てモニカがクスクスと笑う。


「じゃ、いただきます」

「……」


 なにやら挨拶をしだしたモニカとは反対に何も言わずにパンを手に取った。

 モニカは若干戸惑っていたようだったが、すぐに割り切ってくれたらしく、またあの人懐っこい笑みを浮かべてくる。


「ね、名前なんて言うの?」

「ブラッド」


 名前を聞くとモニカは自分だけの秘密でも手に入れたのかのように笑いを嚙み締める。そのまま橙色のスープを口に含み、再び嬉しそうに笑う。


「一緒にいたお兄さんは?」

「ロベルト」

「ふぅん。二人はどういう関係なの?」

「一週間前に会った知り合い。明日別れる」


 明日自分を食べる人、とはさすがに言えなかった。

 いましがたモニカが口にしていたスープを匙で掬い口に含む。あんなにモニカが嬉しそうに食べていたのだ。きっと美味しいのだろう。

 そう思った。


「……っ!」


 が、想像以上に甘いスープに面食らい、思わず目を見開く。

 今まで食べたことがない不思議なまろやかさと甘さだ。


「それ美味しいよね、マーランドさんの料理の中でも特に美味しくてさ、私大好き!」


 何と言っていいか分からず、衝撃が収まるまで目をぱちくりさせていた。


「なに、これ」

「南瓜のスープだよ、今日も美味しい」


 今日の日付でも答えるようにモニカは言い、匙を口に含む。


「南瓜……ってこんな食べ方もあったんだ」


 パンの中に塊が入っているのなら一回食べたことがあるが、スープにするなんて初めてだ。そもそもスープ自体、久しぶりに飲んだ気がする。

 自分のその言葉に、モニカは再び困惑したようだった。

 多分この少女は自分よりもずっと恵まれた環境で育ち、死にたいなんて思ったことがないのだろう。きっと、腫れ物に触るような反応をされるんだと思った。

 けれど実際は違った。


「そうだよ! 南瓜は焼いても煮てもスープにしても、クッキーやケーキに使っても美味しい物なんだよ。これからはいっぱい美味しい南瓜を食べて貰わないと」


 モニカは自分の話を笑顔で受け止めてくれた。前向きに捉えてくれた。

 こんな風に自分と接してくれた人は初めてだ。ブラッドは雷に打たれたような気分で固まり、食事を進めるのも忘れてしまった。

 じっと見ていたからなのか目の前の少女がはにかんだ。


「そんなに見られたら恥ずかしいよ、ブラッド」

「……あっ。ご、ごめん」


 言われて初めて、自分がモニカを凝視していたことに気がついた。

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