第2話 悪魔になった男


 自分も犬を飼っている、とでも言うかのようにロベルトは答える。船が空を飛ぶ時代になったとはいえ、二十代そこそこの青年の告白にしては些か常軌を逸していたらしい。

 あからさまに店主の顔が引き攣った。心なしか語尾も震えている。


「そ、そうなんですか?」

「ええ、次は隣の少年を食べる予定です」


 ロベルトはそう言って恐らくニッコリと笑い、自分の肩にポンと手を置いた。

 食べるとはどういう意味だろうか、と俯いたまま眉をしかめる。殺してくれるならいいが、性的なことだろうか。そう言えばロベルトは自分をどう殺すつもりなのか聞いていなかった。

 残り僅かとなったハンバーグを一切れ口に放り、店主とロベルトに視線を向けた。店主もロベルトの言葉が理解できなかったらしい。

 少ししてから店主の頬にカッと朱が差したのは、乙女のような恥じらいからではないだろう。


「……食べるって、そういう……っ」


 どうやら店主は自分とロベルトが肉体関係だと行き着いたようだった。店主がふつふつと肩を震わせる。

 自分の話に期待通りの反応が無かった怒り。性的な冗談で返された屈辱。それらが滲み出た物だった。


「お客さん! 人の話を茶化さないでください!」


 店主の声が小さい店の中に響くのと同時に、最後の一切れを口の中に入れた。

 店主をからかった方が面白いと思ったのだろう、外面のいいロベルトにしては珍しく態度が大きくなった。


「だってそんな良くある話、聞いててもつまらないですし」


 もう話しかけないでくれ、とばかりにロベルトは言い、放置していた己のステーキ皿に向き直った。

 自分は既に食べてしまったので、ロベルトが食べ終えるのを待つだけになった。

 それにしてもハンバーグは美味しかった。今までこの味を知らなかった自分が可哀相になるぐらいに。

 ブラッドは木製のコップに注がれた水を飲み、何とは無しに店主に視線を向ける。


 そして、見てしまった。

 眉を吊り上げ顔を赤らめた店主が、ステーキを切り分けるべく少し俯いたロベルトの頭に肉包丁を振り下ろそうとしているところを。

 そういえばこの男は、自分が生き残るために仲間割れを勝ち抜いた男だ。気に食わない客を殺すような短絡さを持ち合わせていてもおかしくない。もしかしたら人肉の味を占めて客を襲っているのかもしれない。

 ここは地方の崖の上にぽつんと建っている店だ。後片付けも楽だろう。

 腕が振り落とされる様を見ながら、ブラッドはそんなことを思った。


 しかし。

 斧で蒔を割るように垂直に下ろされた肉包丁はカキンという奇妙な音を立て、床へと弾き飛ばされた。

 まるで岩を包丁で切ろうとして出来なかった時のようだ。

 何回見ても不思議だ。

 石頭、と笑えない人知を越えた何かがロベルトにはあるのだと、改めて思う。見世物小屋で生きてきた自分でも、こんな光景見たことがない。

 目の前で起きた光景に店主はへっと疑問符を浮かべていた。


「な……?」


 状況を理解しきれていない店主が一歩後ずさった時。包丁を弾き飛ばしたロベルトが口を開いた。


「言ったでしょ、私も人を食べたことがあるって」


 顔を上げたロベルトは、口元に先程と同じ笑みを浮かべていた。しかし、先程と違って口元しか笑っていなかった。


「貴方は知らないでしょうが、人を食べる時やりようによって悪魔になれるんですよ」


 顔に笑みを張り付かせ、ロベルトは淡々と話し始める。


「不老不死……って言葉が近いかな。そういう悪魔にね」


 ロベルトは言葉に悩んだ後、一度店主に笑いかけた。その笑顔を前に、店主は肉包丁を拾うことすらせずに固まっている。

 二人のやり取りを見ている内にコップが空になったので、木製の机にコップを置く。


「……ごちそうさま」


 ぽつりと言ったにも関わらず、重苦しい空気が流れる店内に自分の声はよく響いた。椅子を引いて立ち上がり、チラリとロベルトを見やる。


「ああ、行きましょうか。ではこれで失礼いたします。今のは許してあげますから会計はいいですよね」


 視線に気付いたロベルトも立ち上がり、身なりを整え出す。店から去ろうとした、その時だった。


「っあ!」

「ちょっと待てえ!」


 店を出ようとした自分の髪を、店主が後ろから掴んできたのだ。赤い髪が引っ張られ苦痛に顔をしかめる。


「ひひ人のことをよくも馬鹿にしやがって!! お前が悪魔だかゴミだか知らないが、この坊ちゃんは人間のはずだぁ! 謝らなかったら喉かっきるぞ!」


 混乱しているのか頭に来たのか店主に再び髪を引っ張られ、後ろから抱きしめられるように拘束された。いつの間にか拾ったらしい肉包丁を、喉に当てられる。


「ぅっ……」


 冷たさと少しの痛みに呻いた後、ふと自分は何を呻いているんだと思った。誰でもいいから殺してほしいのに。


「……」


 一歩足を踏み出していたロベルトは、背中を向けたまま子供を嗜める大人みたく喋り始める。


「駄目じゃないですか、人の食べ物に悪戯しちゃ」

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