北魏7  拓跋嗣侵攻4  

北魏ほくぎ軍は滑台かつだいを落した勢いのまま、

虎牢関ころうかんへと進軍した。


しかし毛德祖もうとくそが迎撃しようとすると、

土樓どるいにまで後退。さらには滑臺にまで。

毛徳祖のケツの穴を

ガタガタに揺さぶる気満々である。


この頃虎牢関付近には、

長安ちょうあん魏昌ぎしょう藍田らんでんの三県の民が

移住させられていた。

放置すれば、北魏軍の略奪のいい的だ。

なので彼らを取りまとめ、

虎牢関の中に避難させた。

虎牢関の食料を干上がらせる気満々である。


ここで北魏軍から、さらに別軍。

北魏が誇る名将、于栗磾うりつていが投入される。

3000 人を動員し、河陽かように進出。

更に黄河こうがを渡り、洛陽らくよう城北西部の城、

金墉きんようを奪取せんと目論む。


対する毛德祖は、

竇晃とうこうに 500 を与えて小壘しょうるいに、

王瑜おうゆに 400 を与えて監倉かんそう

臣琛しんたんに 500 を与えて小平しょうへいに、

張季ちょうきに 500 を与えて牛蘭ぎゅうらんに。

また洛陽の楊毅ようきに宛てて援軍を飛ばし

合計 200 騎で黄河の両岸に配備、

遊軍とした。

こうして于栗磾の南下に備えさせた。


一方、滑台サイドの北魏軍も動く。

滑台から南西に進み、遡れば洛陽に至る川、

洛川らくせんに小規模な砦を構築。

毛德祖は翟廣てきこうをこの砦に向かわせた。

またたく間に砦は落ち、北魏軍は撤退。

翟廣はその砦を接収すると補修をなし、

劉宋りゅうそうサイドの防御拠点として

使えるようにする。

その上で、虎牢関に撤収した。




虜乘勝遂至虎牢,德祖出步騎欲擊之,虜退屯土樓,又退還滑臺。長安、魏昌、藍田三縣民居在虎牢下,德祖皆使入城。虜別遣黑矟公率三千人至河陽,欲南渡取金墉。德祖遣振威將軍、河陰令竇晃五百人戍小壘,緱氏令王瑜四百人據監倉,鞏令臣琛五百人固小平,參軍督護張季五百人屯牛蘭,又遣將領馬隊,與洛陽令楊毅合二百騎,緣河上下,隨機赴接。十二月,虜置守於洛川小壘,德祖遣翟廣馳往擊之,虜退走。廣安立守防,修治城塢,復還虎牢。


虜は勝に乘じ遂に虎牢に至り、德祖は出で步騎にて之を擊たんと欲さば、虜は退りて土樓に屯じ、又た退りて滑臺に還ず。長安、魏昌、藍田の三縣の民は虎牢が下に居在せば、德祖は皆なをして入城せしむ。虜は別に黑矟公を遣りて三千人を率い河陽に至り、南渡し金墉を取らんと欲す。德祖は振威將軍・河陰令の竇晃を遣りて五百人にて小壘を戍ぜしめ、緱氏令の王瑜に四百人にて監倉を據せしめ、鞏令の臣琛に五百人にて小平を固めしめ、參軍督護の張季に五百人にて牛蘭に屯ぜしめ、又た將を遣りて馬隊を領ぜしめ、洛陽令の楊毅と合わさる二百騎にて河の上下に緣い、機に隨い赴接せしむ。十二月、虜は守を洛川が小壘に置き、德祖は翟廣を遣りて馳せ往き之を擊たしまば、虜は退走す。廣は守防を安立し、城塢を修治し、復た虎牢に還ず。


(宋書95-7_暁壮)




じわじわと囲まれつつある毛徳祖が、なけなしの資源をギリギリでやりくりしてるのが伝わります。陳留だってまだまだ落ち着かないでしょうに、周辺住民を守るために拠点内に避難させ、微妙なところに砦を作られて、おそらくこれも接収させるために仕向けてるんでしょう。全ては虎牢と、毛徳祖のリソースを削り切るために。狡猾だし、徹底してるし、本気だなあって感じがします。怖い。


にしても北魏最強将って誰なんでしょうね。ミスるとパカスカ殺されるせいで、いまいちよくわからん。長孫崇は確か軍才微妙みたいなこと書かれてたと思うし、やっぱり于栗磾なのかなあ。


しかしなんで于栗磾だけ爵位呼びやねん。

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