陶潜15 晋:琴中の趣を 

陶潜とうせんの友人たちは、

陶潜と飲み交わすのが好きだった。

酒やツマミを手にやって来れば、

陶潜がそれを断ることもない。

そして酔が回ると、とろけたような

たたずまいとなった。


畑仕事はやるが、家の中の仕事はしない。

そのあたりは使用人や子に丸投げする。


その顔に喜びや怒りが浮かぶこともなく、

そこに酒があれば飲み、

酒が無ければ、いつまでも詩を口ずさむ。


音楽センスはないのだが、

それでも粗末な琴を一つ持っていた。

とは言え、そこに弦は張られていない。

友らと酒を飲んで盛り上がれば、

琴をなでさすりながら、言うのだ。


「琴に秘められた趣は感じ取れるのだ、

 あえて弦を鳴らすこともあるまいよ!」


そのような暮らしを送り、

427 年に死亡。63 歳だった。


彼が著した文については、

広く世に残されている。




其親朋好事,或載酒肴而往,潛亦無所辭焉。每一醉,則大適融然。又不營生業,家務悉委之兒僕。未嘗有喜慍之色,惟遇酒則飲,時或無酒,亦雅詠不輟。性不解音,而畜素琴一張,弦徽不具,每朋酒之會,則撫而和之,曰:「但識琴中趣,何勞弦上聲!」以宋元嘉四年卒,時年六十三,所有文集並行於世。


其の親朋は事うるを好み、或いは酒肴を載せ往かば、潛も亦た辭せる所無かりたり。一醉の每、則ち大いに融然たるに適す。又た生業を營まず、家務は悉く之を兒僕に委ぬ。未だ嘗て喜慍の色を有さず、惟だ酒に遇わば則ち飲み、時に或いは酒無からば、亦た雅詠し輟まず。性は音を解さず、而た素琴を一張畜えど、弦徽は具わらず、朋酒の會の每、則ち撫し之に和し、曰く:「但だ琴中の趣を識る、何ぞ弦上の聲を勞せんか!」と。宋の元嘉四年を以て卒す、時に年六十三。有せる所の文集は並べて世に行ず。


(晋書94-2_任誕)




う、うん……近隣の人たちが云々とか言っても、「あの檀道済様を袖にし、あの王弘様とちょくちょくのみ交わしている人物」とか、普通に周りの人はちやほやすると思うな……。


晋書は宋書よりややディテールが細かく、陶淵明への思い入れを感じられます。このへんも同時代人より後世の人からのほうが評価されてるってのを実感しますね。


これで陶淵明は終了。家にある本と新釈漢文大系とをとっかえひっかえして、「史書にないサイドからの空気感」をもう少し見つめてみたい。んー、そうするとやっぱり謝霊運しゃれいうん顔延之がんえんしあたりの作品はもっと踏み込みたいよなあ。まぁけどその前に胡族政権を経て、晋書サイドを覗いていきたいものです。

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