王弘之2 出仕いやでござる 

王弘之おうこうしの家は會稽かいけい上虞じょうぐ県にあった。

いとこの王裕之おうゆうしが吏部尚書となると、

劉裕りゅうゆうに推挙文をしたためる。


「陛下の御即位により世が改まりました。

 その輝かしき徳が隅々に行き渡ることで、

 ひそかに佇まう賢者たちもまた、

 特に声を上げこそしますまいが、

 遠き地より、陛下を仰ぎ見ましょう。


 斯様なる人物に二人、

 心当たりがございます。


 ひとりはもと員外散騎常侍の王弘之。

 かれは田舎で恬淡と日々を過ごしております。


 いまひとりは武昌ぶしょう郭希林かくきりん

 かのものもまた曽祖父の郭翻かくほん以来、

 その清廉なる生き様を貫いております。

 ともに陛下の御世を謳歌しつつも、

 表立っての顕彰は承けておりません。

 この辺りでかの者らの生き様を

 称えるのが良かろうかと存じます。


 つきましては、王弘之を太子庶子に、

 郭希林を著作郎とするとよいのでは、

 と愚考致します」


そこで劉裕りゅうゆう、王弘之を太子庶子として

改めて召喚。やはり断られた。


劉義隆りゅうぎりゅうが即位したとき、王裕之は

尚書左僕射にまで至っていた。

改めて、王弘之を推挙する。


「王弘之の徳高き振舞いは、

 新春の占いにまで現れております。

 そしてその日々は苦節、と

 呼ぶに相応しいもの。


 いよいよ国内には泰平がもたらされました。

 ならばこの辺りで、

 敢えてうつろな谷にて佇まうことを選んだ、

 謙虚さを備えた賢人らを

 称えるべきではございませんでしょうか」


そこで 427 年、通直散騎常侍としての

招集を受けた。もちろん断ったが。


王裕之、かつて王弘之に

テンのなめし革の服を送ったことがある。

要は豪華な衣類である。

が、王弘之。そいつを着て、

山に薬草摘みにでかけてしまった。

あったかそうだね!





家在會稽上虞。從兄敬弘爲吏部尚書,奏曰:「聖明司契,載德惟新,垂鑑仄微,表揚隱介,默語仰風,荒遐傾首。前員外散騎常侍琅邪王弘之,恬漠丘園,放心居逸。前衞將軍參軍武昌郭希林,素履純潔,嗣徽前武。並撃壤聖朝,未蒙表飾,宜加旌聘,賁于丘園,以彰止遜之美,以祛動求之累。臣愚謂弘之可太子庶子,希林可著作郎。」即徴弘之爲庶子,不就。太祖即位,敬弘爲左僕射,又陳:「弘之髙行表於初筮,苦節彰於暮年,今内外晏然,當修太平之化,宜招空谷,以敦沖退之美。」元嘉四年,徴爲通直散騎常侍,又不就。敬弘嘗解貂裘與之,即着以采藥。


家は會稽の上虞に在り。從兄の敬弘の吏部尚書爲るに、奏じて曰く:「聖明司契、德の載ること惟れ新しく、鑑を仄微に垂れ、隱介を表に揚すに、默語し風を仰ぎ、荒遐にて傾首せん。前員外散騎常侍の琅邪の王弘之は丘園に恬漠し、放心し逸に居す。前衞將軍參軍の武昌の郭希林は素より純潔を履き、前武に嗣徽す。並べて聖朝を撃壤し、未だ表飾を蒙らざれば、宜しく旌聘を加え、丘園に賁じ、以て止遜の美を彰らかとし、以て動求の累を祛ずべし。臣は弘之を太子庶子に、希林を著作郎たるべしと愚謂す」と。即ち弘之を徴じ庶子爲らんとせど、就かず。太祖の即位せるに、敬弘は左僕射爲れば、又た陳ぶるらく:「弘之が髙行は初筮に表れ、苦節は暮年に彰らか。今、内外は晏然とし、當に太平の化は修され、宜しく空谷を招じ、以て沖退の美を敦ずべし」と。元嘉四年、徴じ通直散騎常侍爲らんとさるも、又た就かず。敬弘は嘗て貂裘を解し之に與わば、即ち着て以て藥を采る。


(宋書93-12_棲逸)




うーん。隠者たちってこれ、明らかに「王の徳は国の隅々にまで届くんですよ」的ロールプレイの登場人物として利用されてるよね。つまり隠者が断るまでが、一つのブック。そういう奴らを捕まえて「隠者尊い……」みたいな思いを語る沈約しんやくさんの言葉もまた生臭いなぁ。


それにしても王弘おうこうと仲のいい劉裕に、王弘之と仲のいい王裕之が絡むとかこれ、ちょっとしたイジメですよね?

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