范曄2  鬱々と、後漢書 

432 年、劉義康りゅうぎこうの生母が死亡。

とある夕方、彼女の葬儀が

東府とうふ城にて執り行われることになる。


東府城に集う幕僚たち。

城内には、挽歌が響き渡る。


この時范曄はんよう、弟の范廣淵はんこうえん

司徒祭酒として東府城に詰めていたので、

同僚の王深おうしんと共に

弟のもとに遊びに来ていた。

いやいや弟さん仕事中でしょうに。


しかし范曄、

そんなことには全然取り合わず、

北側の窓を開け、

城内に流れる挽歌をBGMに、

夜通し飲み明かす。


それを聞いた劉義康りゅうぎこう

当然だが大激怒である。

范曄は宣城せんじょう太守に左遷となった。


宣城郡に范曄は数年いたのだが、

中央での立身が叶わなくなったことに

鬱々としながら、

一方では文筆業に精も出す。


このころ後漢の歴史を記す書が

多くの文筆家の筆によって

なされていたのだが、これらを取捨選択、

一つの冊子としてまとめ上げたのだ。


そういうよくわからないタイミングで

ものされた書が二十四史として

ピックアップされてしまうのだから、

范曄の筆力たるや恐るべし、

としか言いようがない。


やがて范曄、

劉義欣りゅうぎきんの副官に任命された。

寧朔將軍位を加えられた。




元嘉九年冬,彭城太妃薨,將葬,祖夕,僚故並集東府。曄弟廣淵,時為司徒祭酒,其日在直。曄與司徒左西屬王深宿廣淵許,夜中酣飲,開北牖聽挽歌為樂。義康大怒,左遷曄宣城太守。不得志,乃刪眾家後漢書為一家之作。在郡數年,遷長沙王義欣鎮軍長史,加寧朔將軍。


元嘉九年の冬、彭城太妃の薨ぜるに、將に葬ぜんとし、夕に祖さば、僚故は並べて東府に集う。曄が弟の廣淵は時に司徒祭酒為れば、其の日に在直す。曄と司徒左西屬の王深は廣淵が許に宿し、夜中に酣飲し、北牖を開け挽歌を聽き樂と為す。義康は大いに怒り、曄を宣城太守に左遷す。志を得ざらば、乃ち眾家の後漢書を刪し一家の作と為す。郡に在ること數年、長沙王の義欣の鎮軍長史と遷り、寧朔將軍を加えらる。


(宋書69-6_黜免)




范曄の書いた後漢書については、つい先日発売された吉川忠夫「侯景の乱始末記」所収の「史家范曄の謀反」に、その立ち位置の解説が詳しく載っています。吉川氏の説を援用すれば「歴史家というより文筆家のなした書という感じだよね」とのことでした。なるほどぉ……自分自身は全然触れていないので何も言えないんですが、後漢ファンの方々は「後漢書には人の心を揺さぶる要素がある」と仰っています。卓越した文人であったのは間違いないようですね。しかし左遷の理由がさぁ……。

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