謝霊運13 撰征賦9   

訪曩載於宋鄙 採陽秋於魯經

晉申好於東吳 鄭憑威於南荊

故反師於曹門 將以塞於夷庚

納五叛以長寇 伐三邑以侵彭

美西鉏之忠辭 快韓厥之奇兵

 宋の村であった彭城の歴史を尋ねんと、

 春秋をひもといた。

 鄭に侵略を受けそうになったこの国は

 晋と呉よりの援護を受けたが、

 一方で鄭は楚と手を結んだ。

 鄭楚連合軍は宋の首都曹門にまで進軍、

 押し寄せ、晋と呉を寸断しようとする。

 宋に出た五人の反逆者を

 鄭楚連合軍は彭城に収容、

 長期間の侵略を目論み、

 周辺の三つの村をも落とし、

 彭城周辺を蝕んだ。

 かれらに対抗した宋の西鉏吾の

 忠義に満ちた言葉は立派であったし、

 晋の韓厥が示した策略は新奇であり、

 痛快であった。



追項王之故臺 迹霸楚之遺端

挺宏志於總角 奮英勢於弱冠

氣蓋天而倒日 力拔山而傾湍

始飇起於勾越 中電激於衡關

興偏慮於攸吝 忘即易於所難

忌陳錦而莫照 思反鄉而有歎

 項羽が治めたという城の跡を求め、

 その時代の遺跡の一端を尋ねた。

 少年の頃より大志を抱き、

 早くからその武威を大いに示した。

 その気は天をも覆い尽くし、

 沈みゆく太陽をのぼらせるほどであり、

 その力は山をも抜き、

 激しい流れを逆流させるほどであった。

 はじめ句越の地に飇風のごとく起ち、

 中ごろには衡關にて

 稲妻のごとき激しさを示す。

 しかし褒賞を渋り、

 部下への悪い思い込みも激しく、

 困難な局面では簡単な手立てを

 取ることもできなかった。

 功をなし錦の旗を連ねても、

 それを照らす太陽のないことを嫌がり、

 故郷に帰りたくなって嘆息した。


且夫殺義害嬰 而[忄戛]豐疑 

緤賢不策 失位誰持

迨理屈而愈閉 方怨天而懷悲

對駿騅以發憤 傷虞姝於末詞

 しかもかれは義帝や秦王子嬰をも殺害。

 人々より恐れや疑いを

 かけられるようになった。

 賢臣を有効に用いる手立ても思いつかず、

 覇者の地位を失ったところで、

 誰もかれを支えようとはしなかった。

 権威失墜し、追い詰められたところで、

 項羽は天を恨み、悲しんだ。

 愛馬の騅に恨みを語り、

 美しき妻、虞姫のことを

 辞世の歌にて傷んでいる。


陟亞父之故營 諒謀始之非託

遭衰嬴之崩綱 值威炎之結絡

迄皓首於阜陵 猶謬覺於然諾

 項羽の参謀であった范増が

 宿営したという場所にのぼってみた。

 かれは項羽とその伯父である項梁の

 旗揚げに際しての相談役であったが、

 ただ話を聞くだけの存在ではなかった。

 おりしも秦の政治は乱れ衰え、

 勢い盛んな漢は天下を取らんと

 法の網を編み上げている所であった。

 范増は白髪頭になってなお

 阜陵で非凡な計略を練っていたが、

 しかし項羽からないがしろに

 扱われていることを

 悟ることができなかった。


視一人於三傑 豈在己之庸弱

置豐沛而不舉 故自同於俎鑊

 范増の才覚はひとりで漢の三傑、

 つまり張良韓信蕭何に

 匹敵するものであったと言われている。

 そんなかれがどうして

 凡弱な存在であっただろうか。

 しかし沛郡豐県、つまり劉邦の出身地を

 抑えず放置したのには、

 五体をバラバラにして

 兵士らの食料に提供されても

 仕方がないくらいの大失態であったろう。



發卞口而游歷 迄西山而弭轡

觀終古之幽憤 懷元王之沖粹

丁戰國之權爭 方恬心於道肆

學浮丘以就德 友三儒以成類

 卞口を出発し、更に進む。

 西山に至ったところで休息を入れる。

 その地に横たわるという

 深い憤りのあとを眺め、

 劉裕様のご先祖、楚の元王・劉交様の

 どこまでも奥深きお人柄をしのぶ。

 戦国の覇権争いすさまじきに

 生まれながらも心を学問の世界に遊ばせ、

 浮丘伯に師事し徳を深め、

 三人の儒者を友とし研鑽を続けられた。


潔流始於初源 累仁基於前美

撥楚族之休烈 傳芳素於來祀

 それは劉裕様に連なる清き流れの源。

 前代の美徳に仁義の行いが積み重なる。

 ここに楚王家の素晴らしき功績が始まり、

 優れた素質は将来に伝えられた。


彊見譽於清虛 德致稱於千里

或避寵以辭姻 或遺榮而不仕

政直言以安身 駿絕才以喪己

驅信道之成終 表昧世之虧始

 劉裕様の先祖の一人、劉辟彊様は

 その清虛なるお人柄を大いに讃えられ、

 そのお子、劉徳様もまた

 千里駒として讃えられている。

 あるいは世の権力者よりの

 寵愛を避けるため婚姻を辞退し、

 あるいは栄誉を忘れ宮仕えを回避した。

 劉徳様のお子である劉向様は

 君主への直言をもって身を安んじたが、

 劉向様の末っ子である劉駿様は

 才能こそ優れていたものの

 王莽と結んでしまい、

 最後には滅んでしまった。

 何とか信義の道を駆けて

 終わりを全うしようとこそしたけれど、

 昧き世の中にあり、始祖の名を

 汚すことになってしまったのは

 悲しむべきことである。


悟介焉之已差 則不俟於終日

既防萌於未著 雖念德其何益

 ああ、それにつけても、

 思い起こされるのは劉交様のお子、

 劉茂様が徳を失われた時のことである。

 お父上をよく補佐された三人の儒者を

 ないがしろとした彼は、

 遂に三人より見限られることとなった。

 主にその資格なければ、

 介添え役とてどうして最後まで

 付き従う必要があるだろうか。

 子孫たちの不徳が

 未だ明らかになっていないうちに

 何とか矯正を図ろうとした時に、

 先代の徳を引き合いに出したところで

 何の意味があるだろうか。




訪曩載於宋鄙,採陽秋於魯經。晉申好於東吳,鄭憑威於南荊。故反師於曹門,將以塞於夷庚。納五叛以長寇,伐三邑以侵彭。美西鉏之忠辭,快韓厥之奇兵。追項王之故臺,迹霸楚之遺端。挺宏志於總角,奮英勢於弱冠。氣蓋天而倒日,力拔山而傾湍。始飇起於勾越,中電激於衡關。興偏慮於攸吝,忘即易於所難。忌陳錦而莫照,思反鄉而有歎。且夫殺義害嬰,而[忄戛]豐疑,緤賢不策,失位誰持。迨理屈而愈閉,方怨天而懷悲。對駿騅以發憤,傷虞姝於末詞。陟亞父之故營,諒謀始之非託。遭衰嬴之崩綱,值威炎之結絡。迄皓首於阜陵,猶謬覺於然諾。視一人於三傑,豈在己之庸弱。置豐沛而不舉,故自同於俎鑊。發卞口而游歷,迄西山而弭轡。觀終古之幽憤,懷元王之沖粹。丁戰國之權爭,方恬心於道肆。學浮丘以就德,友三儒以成類。潔流始於初源,累仁基於前美。撥楚族之休烈,傳芳素於來祀。彊見譽於清虛,德致稱於千里。或避寵以辭姻,或遺榮而不仕。政直言以安身,駿絕才以喪己。驅信道之成終,表昧世之虧始。悟介焉之已差,則不俟於終日。既防萌於未著,雖念德其何益。


(宋書67-13_文学)




森野先生の注、及び訳をみても、ちょっとわかりづらい。宋の地に生まれ育った先人たちのうち、素晴らしい功績を上げたもの、失敗したもの、それらを列挙し、劉裕には「先人より教訓を得てほしい」と願った、となるだろうか。それにしても劉交とその子孫については、もうちょいうまく話がつながってくれそうな気もするんですよねえ。


楚元王家と劉裕がどのタイミングで接続されたのかとか、そのへんを占える記述はいまのところうまく探し出せてない。ひとまずヒントの一つとして皇帝の先祖は七代さかのぼって祀られること、武帝紀には七代前までの名前が確かに載るけれども、八代前が「某」とぼやかされていること、なんかからすると、このあたりの世代について家系操作がなされて当時の楚元王家を継承していた劉淡の家系にねじ込まれた、ってなるんだろうなあとは思うんだけれど。ただ、それがいつ頃なのか、は占い切れない。


劉宋帝室を支持してない沈約なら、どっかに捏造のあととかも残してくれてそうなんですけどねえ。どうなのかしらね。

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