王裕之4 政を解さぬ   

426 年に尚書僕射となった。

とはいえ、文書の検討を依頼されても、

まるでチェックをする気がない。


また、とある訴訟ごとに立ち会ったときに

劉義隆りゅうぎりゅうが有罪無罪を問うたところで、

やはり王裕之おうゆうしは答えない。


劉義隆、イラッとして、問い詰める。


「どうしてそなたは

 まるで検討しようともせぬのだ!」


王裕之は答える。


「臣は訴状に何が記されているか、を

 読み上げることは出来ます。

 しかしながら無能にございまして、

 政にあずかる内容については、

 お答えできる自信がございませぬ」


しれっとそういうこと言うかよ手前、

劉義隆、めっちゃイラッとしたそーである。


447 年に死亡、88 歳。

故郷である餘杭よこう県の舍亭山しゃていざんでの大往生だ。

文貞公ぶんていこう、と諡された。




元嘉三年,為尚書僕射。關署文案,初不省讀。嘗豫聽訟,上問以疑獄,敬弘不對。上變色,問左右:「何故不以訊牒副僕射?」敬弘曰:「臣乃得訊牒讀之,政自不解。」上甚不悅。二十四年,薨於餘杭之舍亭山,時年八十八。諡為文貞公。


元嘉三年,尚書僕射と為る。文案を關署せるに、初にも省りみ讀まず。嘗て聽訟に豫るに、上は以て疑獄を問わば、敬弘は對えず。上は色を變じ、左右に問うらく:「何の故にか以て副僕射は牒を訊ねざるか?」と。敬弘は曰く:「臣は乃ち牒を訊ね之を讀むは得れど、政は自ら解さず」と。上は甚だ悅ばず。二十四年、餘杭の舍亭山にて薨ず、時に年八十八。諡して文貞公と為す。


(宋書66-4_直剛)



「政を解さず」なんて言葉、字面通りに取るわけにはいかなさそうですね。王弘おうこう系ですら第一線から退こうとしているわけで、王球おうきゅうの動きもそうだったように、中央にふんぞり返り続けるのが危うい、と言う、一門全体の了解があったようにも見えます。確かに「徐羨之じょせんしたちを引っこ抜く」ってのは、非常に危うい綱渡りでありそうですし。一門まるまる次の徐羨之になってもおかしくない。


というか、次に台頭してきた劉義康りゅうぎこう劉湛りゅうたんなんかはバッチリ悲劇的末路をたどっているわけです。そう考えると、琅邪ろうや王氏の「賢さ」は、ただ事じゃなかったっぽいですね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る