王裕之2 故郷に戻る   

劉裕りゅうゆうが車騎将軍となったあたりで、

王裕之おうゆうしはしばらく劉裕付きとなった。

やがて江陵こうりょうを守る劉道規りゅうどうきの参謀に。


江陵での同僚、宗協そうきょうもまた王裕之のように

ハイセンスな人物であった。

なので劉道規、自らの執務室を出て、

ちょくちょく三人で物事を諮った。


三人で飲んでいたとき、酔いが回り、

王裕之、なにごとかはわからないが

「とんでもなく礼を失する」ことをした。

それによって荊州府の外部機関に

糾弾されそうになったので、

劉道規は慌ててそちらに出向き、

「初犯! 初犯だからセーフ!」

と言い募ったという。


やがて中央に召喚を受け中書侍郎に。

なので作唐さくとうに構えていた家を引き払い、

家族とともに建康けんこうに帰還した。

黃門侍郎に任ぜられそうになったが、

辞退した。


劉裕まわりの事務官を経て、吳興ごこう太守に。

王裕之のもとの家は、この郡の餘杭よこう県。

故郷に戻れた王裕之、

この人事に喜んだと言う。


とはいえ、すぐに中央に呼び戻されている。

今度の官職は侍中。栄達ルートだ。


劉裕が司馬休之しばきゅうし討伐に出向くと、

王裕之は潘尚はんしょうを慰問の使者として派遣。

が、潘尚、道中で病を得る。

その話を聞き、王裕之、潘尚に

帰還するよう命じたが、その途中で

潘尚が消息不明となる。


逃亡か、あるいは亡命か。

おそらくは、後者なのだろう。

その為糾弾を受け、免官を言い渡される。


とはいえ間もなく赦免措置があり、

もとの官職に復帰するのだが。


劉裕が宋王に進爵すると、

度支尚書、太常となった。




高祖以為車騎從事中郎,徐州治中從事史,征西將軍道規諮議參軍。時府主簿宗協亦有高趣,道規並以事外相期。嘗共酣飲致醉,敬弘因醉失禮,為外司所白,道規即更引還,重申初讌。召為中書侍郎,始攜家累自作唐還京邑。久之,轉黃門侍郎,不拜。仍除太尉從事中郎,出為吳興太守。舊居餘杭縣,悅是舉也。尋徵為侍中。高祖西討司馬休之,敬弘奉使慰勞,通事令史潘尚於道疾病,敬弘單船送還都,存亡不測,有司奏免官,詔可。未及釋朝服,值赦復官。宋國初建,為度支尚書,遷太常。


高祖は以て車騎從事中郎、徐州治中從事史、征西將軍道規が諮議參軍と為す。時に府主簿の宗協は亦た高趣を有さば、道規は並べて事を以て外に相い期す。嘗て共に酣飲し醉いを致し、敬弘は醉いに因りて禮を失さば、外司に白さる所と為り、道規は即更に引き還し、重に初讌を申ず。召ぜられ中書侍郎と為る。始め家累を攜いて作唐より京邑に還ず。之に久しうし、黃門侍郎に轉ぜるも拜さず。仍いで太尉從事中郎に除せられ、出でて吳興太守と為る。舊は餘杭縣に居せば、是の舉に悅びたるなり。尋いで徵ぜられ侍中と為る。高祖の西に司馬休之を討てるに、敬弘は使を奉じ慰勞さば、通事令史の潘尚は道にて疾病し、敬弘は單船にて都に送還せるも存亡は測りたらず、有司に免官を奏ぜられ、詔じ可とさる。未だ朝服に釋さるに及ばざるに、赦に值い官に復す。宋國の初に建つるに、度支尚書と為り、太常に遷る。


(宋書66-2_寵礼)




劉道規まわりのエピソードについては、ほぼ何を言ってんのか理解できてません。こういうのって下手に超訳しないで残しておいたほうがいいのかなあ。悩みどころです。


ともあれ宋書もこの頃になると「どのタイミングの話かなんていちいち書くまでもないよな、とっくにその辺把握済みだよな、な、な!!?」と迫ってくるのでイラッ☆ とします☆ うるせー俺のメモリ容量そんなにでかくねーんじゃ 

 

王裕之、厚遇はされてるけど微妙に牽制も食らってる印象はありますねー。いくら距離を置いたとは言っても、やっぱり桓氏に大いに関わってるのが尾を引くのかな。いやまあ後々の記事を見るにだいぶ能力的にアレだった可能性もあるかもですが。天門太守のときの振る舞いとか政治ナメてんの? って感じでもありましたものね。

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