鄭鮮之6 劉裕VS鄭鮮之 

劉裕りゅうゆう、若い頃には戦ばかり。

だから学問にはそれほど

タッチしてこれなかった。


立場が上がり、宰相ともなれば、

いやでも教養の化物たちとの

付き合いが増える。


さすがに武力一辺倒では

どうしようもない世界である。

自分なりに清談にチャレンジした。


が、立場が悪い。

なにせこの頃の劉裕様と来たら、

並み居る政敵を倒し切った後。

誰がそんなコエー人を

言論でブッ倒せるだろうか。

みんな、ろくろく劉裕の論を

潰そうとはしない。


はい、ここで登場。

鄭鮮之ていせんしさんです。


鄭鮮之、ただでさえトップ言論人である。

劉裕の論を容赦なく、ペシャンコに潰す。

そして劉裕が言葉に詰まったところで、

わざわざご丁寧に、とどめの一撃。


鄭鮮之と議論すれば、劉裕は

時に恥じ入り、

時に動揺も隠し切れずにいた。


が、周りの人に入っている。


「俺にはもともと学がない。

 なら論が浅いのはやむなきことだ。


 論壇、論客らは俺に甘いが、

 鄭鮮之だけは、全力を尽くしてくれる。

 アイツのああいうところが最高だ」


ときの人びとは、鄭鮮之のことを

「阿諛追従ぶっ壊しマン」

と呼んだそうである。




高祖少事戎旅,不經涉學,及爲宰相,頗慕風流,時或言論,人皆依違之,不敢難也。鮮之難必切至,未嘗寬假,要須高祖辭窮理屈,然後置之。高祖或有時慚恧,變色動容,既而謂人曰:「我本無術學,言義尤淺。比時言論,諸賢多見寬容,唯鄭不爾,獨能盡人之意,甚以此感之。」時人謂爲「格佞」。


高祖は少きに戎旅に事え、學を經涉せざれど、宰相爲るに及び、頗る風流を慕い、時に或るいは言論せば、人は皆な依りて之に違い、敢えて難ぜざりたるなり。鮮之の難は必ず切至にして、未だ嘗て寬假せず、須く高祖が辭の理屈の窮せるを要うに、然る後に之を置く。高祖は或いは時に慚恧せる有り、色を變え容を動かし、既に人に謂いて曰く:「我れ本より術學無し。言義も尤か淺し。時の言論に比し、諸賢は多く寬容を見たれど、唯だ鄭は爾らず、獨り能く人の意を盡くし、甚だ此を以て之に感ず」と。時人は謂いて「格佞」と爲す。


(宋書64-6_直剛)





この辺も、元々は鄭鮮之の剛直さの故って感じがしたんですが、いまともなると信用、信頼を得ているからって感じにも見えてきますですね。こうして劉裕周りを眺めていると、背中を預けるのは劉穆之以外難しかったろうにせよ、肩くらいなら預けられる人、結構いたのかもしれないです。

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