沈叔任2 守蜀の烈武   

しょくから討伐軍本隊が撤収。

するとさっそく侯勱こうばい羅奧らおうといった

地元の豪族たちが反旗を翻す。

その兵力は一万を超え、

沈叔任が守る城を四方から包囲。


一方の沈叔仁軍、

その手勢は五百にも満たない。

っが、腹心たちを適切に配し、

その手持ちの戦力を完璧に運用。

あらゆる局面での勝利を得、

二十倍近くの兵力差に完勝した。


……う、うん?

すごい、ねー?


劉裕りゅうゆう司馬休之しばきゅうし討伐を言い出すと、

朱齢石しゅれいせき江陵こうりょうに沈叔仁を派遣。

臨時で鎮西將軍、つまり江陵討伐を

朝廷より請け負う形を取った劉裕、

やって来た沈叔仁に、副官役を命じた。


司馬休之を追い払うと、劉裕、

そのまま沈叔仁を建康けんこうに引き連れ、

揚州別駕從事史とした。


……ずいぶん込み入った官名だ。

揚州別駕、揚州統治にあたって

ある程度の裁量権を手にしている者の

手足として動ける者、となるだろうか。


まもなく朱齢石のサポート、

平定後起こった反乱の鎮圧、

この二点の功績から、

寧新ねいしん県の男爵位を得た。


それから建威將軍、益州えきしゅう刺史となり

蜀の地の統治を任ぜられたが、

病を得たため、建康に帰還。


419 年に死亡、50 歳だった。

沈融之しんゆうしがあとを継いだが、夭折した。




東軍既反,二郡強宗侯勱、羅奧聚眾作亂,四面雲合,遂至萬餘人,攻城急。叔任東兵不滿五百,推布腹心,眾莫不為用,出擊大破之,逆黨皆平。高祖討司馬休之,齡石遣叔任率軍來會。時高祖領鎮西將軍,命為司馬。及軍還,以為揚州別駕從事史。以平蜀全涪之功,封寧新縣男,食邑四百四十戶。出為建威將軍、益州刺史,以疾還都。義熙十四年,卒,時年五十。長子融之,蚤卒。


東軍の既に反りたるに、二郡の強宗の侯勱、羅奧は眾を聚め亂を作し、四面に雲合せば、遂に萬餘人に至り、城を攻むること急なり。叔任が東兵は五百に滿たざれど、推して腹心を布き、眾に用うる為さざる莫く、出擊し之を大破し、逆黨を皆な平らぐ。高祖の司馬休之を討てるに、齡石は叔任を遣わせ軍を率い來會せしむ。時に高祖は鎮西將軍を領したれば、命じ司馬と為さしむ。軍の還じたるに及び、以て揚州別駕從事史と為す。平蜀全涪の功を以て寧新縣男、食邑四百四十戶に封ぜらる。出でて建威將軍、益州刺史と為るも、疾を以て都に還ず。義熙十四年に卒す、時に年五十。長子の融之は蚤きに卒す。


(宋書63-18_暁壮)




うーん、同族は褒め称えるべきなんでしょうけどねえ。自分の系統とは外れる呉興沈氏をアピールできた沈約しんやく、案外オットナー! というべきなのかしら。


とはいえ前話の沈充の官位、これ本当は載っけちゃいけないものなんですよね。「王敦が朝廷に反旗を翻したときに沈充に授けた官位だから」。ある意味では事実なんだけど、なんつーか。呉興沈氏の同胞として高く扱ってる、のかな? うーん、この辺、他の系統の呉興沈氏の伝も読んでみないとですね。


そう、呉興沈氏って、この宋書に三系統くらい載ってるんですよ。あんま目立たないところに。これ、単純に身内びいきとしてみておくのいいのかしらね。

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