王華5 登樓賦
これより以前、
荊州にいた
かれの書く文章は絶品であった。
やがて黃門侍郎,步兵校尉に。
孔寧子と
望んでいたので、徐羨之らを横目で見、
どう奴らを除いてくれたものか、と
日夜劉義隆も交えて計画していた。
孔寧子が故郷、
途中で
有名な宿場なのだろう、側仕えらは
「今晩はここに泊まりましょう」と言う。
だが孔寧子は却下。
「陛下が殺された宿にか? ありえん」
そう、金昌亭。
そして国の専権者たる
「国家を大いに乱した者」を討伐した場。
つまり孔寧子の言い回しは、
「徐羨之共はクソである」と
宣言したに等しいのだ。
一方で、王華である。
性分として豪奢を好まない彼は、
一人自宅で佇む折に、
冀王道之一平
假高衢而騁力
私は願ってやまない。
正しき王のもとに世が正され、
天道に則り、我が力を
存分に振るえる時が来ることを。
宮廷の内外で
徐羨之らの姿を見届けたときには、
ぎり、と歯を噛み締めて、言うのだ。
「いつか貴様らには、
悪の討ち滅ぼされたる日を
迎えさせてやろうともさ」
王華と、孔寧子。
二人はまさに志を同じくしていた。
だが、425 年。孔寧子は病死。
翌 426 年の徐羨之らの誅殺を、
かれが見届けることはなかった。
そして劉義隆体制が整うと、
王華は護軍に将軍に任命された。
宮殿中の武力を掌握したわけである。
先是,會稽孔甯子為太祖鎮西諮議參軍,以文義見賞,至是為黃門侍郎,領步兵校尉。甯子與華並有富貴之願,自羨之等秉權,日夜構之於太祖。甯子嘗東歸,至金昌亭,左右欲泊船,甯子命去之,曰:「此弒君亭,不可泊也。」華每閑居諷詠,常誦王粲登樓賦曰:「冀王道之一平,假高衢而騁力。」出入逢羨之等,每切齒憤咤,歎曰:「當見太平時不?」元嘉二年,甯子病卒。三年,誅羨之等,華遷護軍,侍中如故。
是の先、會稽の孔甯子は太祖が鎮西諮議參軍と為り、文義を以て賞さるを見られ、是に至いて黃門侍郎と為り、步兵校尉を領す。甯子と華は並べて富貴の願い有らば、羨之らの權に秉してより、日夜之を太祖と構ず。甯子の嘗て東歸せるに、金昌亭に至らば、左右は船を泊めんと欲せど、甯子は命じ去り之かしめんとし、曰く:「此て弒君の亭。泊すべからざるなり」と。華は閑居し諷詠せる每、常に王粲が登樓賦を誦じて曰く:「冀くは王道の一平、高衢に假ち力を騁せん」と。出入し羨之らに逢わば、每に切齒憤咤し、歎じて曰く:「當に太平の時を見たらんや不や?」と。元嘉二年、甯子は病卒す。三年、羨之らを誅せるに、華は護軍に遷り、侍中は故の如し。
(宋書63-5_文学)
登樓賦
https://w.atwiki.jp/sangokushi7/pages/59.html
ここに全文、及び訳があります。ていうかなんだこの wiki 、なんでこんなすげえ情報が……ありがてえ。
こうして見ると、劉義隆にとっての重要なサブは王華と孔寧子だったわけですね。これだけ劉義隆に近いとなると
まぁ何にせよ、こうして見てみると徐羨之らをチョロくは思っていたものの、とは言え油断はできない相手だったんでしょう。
徐羨之らを打ち倒せたとき、「やったぞ、孔寧子……」とばかりに無言で見つめ合う劉義隆と王華を想像しました。ェモォ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます