劉義恭1 寵愛を受けた子 

文獻ぶんけん王 劉義恭りゅうぎきょう



劉義恭。幼い頃からイケメンで聡明。

なので劉裕りゅうゆう、めっちゃ溺愛した。

他の子もシカトな勢い。

食事のときも、寝るときも、

いつもそばに侍らせていた。


劉裕と言えばその質素さを

讃えられることが多い。

例えば自分の息子の食事にも、

五品以上のものは出させないようにした。


が、劉義恭に対しては別格扱い。

何かを食べたいと言いだせば、

それがいつ、どのようなタイミングでも、

あったとしても与えられるし、

過去に食べたことがないものであっても、

周りのものにせがんで入手、食べていた。


ちなみに劉義真りゅうぎしん以下の兄弟は、

そもそも求めようとしたことがない。

どうせ貰えないからだ。




江夏文獻王義恭,幼而明穎,姿顏美麗,高祖特所鍾愛,諸子莫及也。飲食寢臥,常不離於側。高祖為性儉約,諸子食不過五醆盤,而義恭愛寵異常,求須菓食,日中無算,得未嘗噉,悉以乞與傍人。廬陵諸王未嘗敢求,求亦不得。


江夏文獻王義恭、幼くして明穎にして姿顏は美麗、高祖の特に鍾愛せらる所にして、諸子に及びたる莫かるなり。飲食寢臥、常に側を離れず。高祖は性儉約を為し、諸子の食も五醆盤を過ぎざれど、義恭の愛寵は常に異なり、求須したる菓食は日中に算うる無く、未だ嘗て噉わざるも、悉くを以て傍らの人に乞うて得る。廬陵ら諸王は未だ嘗て敢えて求めざる、求めど亦た得ざればなり。


(宋書61-10_寵礼)




ふむう、これなんで劉義恭の寵愛が凄まじかったんだろう。謎なので、いちど息子たちの生年を一覧にしてみました。


劉義符りゅうぎふ 406

劉義真 407

劉義隆りゅうぎりゅう 407

劉義康りゅうぎこう 409

劉義恭 413

劉義宣りゅうぎせん 415

劉義季りゅうぎき 415


なるほど、義恭の前が開くのか。ここには一つ、重大な変数を置けそうですね。


正妻臧愛親ぞうあいしん死亡 408年1月


この間の開き方からすると、臧愛親死亡後三年近く妻の喪に服してたんじゃねえの、という気がしてきます。そんな服喪聞いたこともないですけど。礼経辺り漁ると出てくんのかな。


もちろん一方では、しばらくの間励んだけどぜんぜん男児に恵まれなかった可能性もあるのかもしれない。その場合はストレートに「久々の男児で嬉しい」って話にもなりますね。


にしても、全員違う母親ってことは、臧愛親の死亡前に最低でも三人の側室がいたってことだよなぁ。それは桓玄かんげんを倒して国トップクラスの貴顕となった劉裕にとっては当然のこととして認識すべきなのかもしれんけど、この辺りを制度面通例面から語れる材料がほしい。確かに桓温かんおんあたりも司馬しば氏以外の側室いっぱい抱えてたみたいだし、あとは謝重しゃじゅうもそうだよね。うーん、なにかいい材料ないかなあ。類書とかにありそうかしら。

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