劉義康1 彭城王の管轄範囲
かれが十二のとき、
督豫司雍并四州諸軍事、
冠軍將軍、豫州刺史に任じられた。
劉裕が
劉義康を壽陽の責任者とした。
更に昇進し、司州刺史、
督徐州之鍾離、荊州之義陽諸軍事に。
劉裕が皇帝となると彭城王となり、
官位は右將軍となった。
421 年、には南豫州刺史、
監南豫豫司雍并五州諸軍事に。
えーと十五歳なんですが?
422 年には、南徐州刺史、使持節、
都督南徐兗二州揚州之晉陵諸軍事。
えーと(以下略)
劉義隆が即位すると、驃騎將軍に。
散騎常侍、給鼓吹一部、開府儀同三司。
虚号ですと宣言しているようなものだ。
頼むから幕佐のリストをください。
義康軍府があったなんて
記録残しといたって
しゃあねえじゃんかよ。
彭城王義康,年十二,宋臺除督豫司雍并四州諸軍事、冠軍將軍、豫州刺史。時高祖自壽陽被徵入輔,留義康代鎮壽陽。又領司州刺史,進督徐州之鍾離、荊州之義陽諸軍事。永初元年,封彭城王,食邑三千戶,進號右將軍。二年,徙監南豫豫司雍并五州諸軍事、南豫州刺史,將軍如故。三年,遷使持節、都督南徐兗二州揚州之晉陵諸軍事、南徐州刺史,將軍如故。太祖即位,增邑二千戶,進號驃騎將軍,加散騎常侍,給鼓吹一部。尋加開府儀同三司。
彭城王義康、年十二にして宋臺の督豫司雍并四州諸軍事、冠軍將軍、豫州刺史に除せらる。時に高祖は壽陽より徵さるを被り入輔したらば、義康を留め壽陽を代鎮せしむ。又た司州刺史を領し、督徐州之鍾離、荊州之義陽諸軍事に進む。永初元年、彭城王、食邑三千戶に封され、右將軍に進號す。二年、監南豫豫司雍并五州諸軍事、南豫州刺史に徙り、將軍は故の如し。三年、使持節、都督南徐兗二州揚州之晉陵諸軍事、南徐州刺史に遷り、將軍は故の如し。太祖の即位せるに二千戶を增邑され、驃騎將軍に進號し、散騎常侍、給鼓吹一部を加う。尋いで開府儀同三司を加う。
(宋書68-1_政事)
すまんな。ちょっとさすがにキレてしまった。うーん、これどうにかして各王の軍府のスタッフをピックアップしてかないとだめだなー。劉義季まで終わったら一度取りまとめてみよう。
ちなみに劉義康は、圧政乱世をしなかった司馬道子と考えてくださればいいかと思います。つまり皇帝の弟として信任され、大権を振るったのだけれど、最終的には皇帝に疎まれるようになりました。つらいわね……。
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