第三十一話 エピローグの序章

 しばらくその感覚を、愛とやらを感じていたが、どちらかともなく離れる。

 理由は来客がいることや、単に恥ずかしかったからか。


 照れ笑いを互いに浮かべていると、不機嫌そうな顔をした芙弓が部屋に入ってきた。


「もー、来客を待たせるなんて酷いよー!」


 ご意見ごもっともだ、などという感想を抱く。俺だってこんな扱いをされたら怒るだろう——友人の家だったら。


「あら、私のかわいい妹ちゃんじゃない。ごめんね。これからは甘えていいからねー」

「う、うんっ」


 雪奈の言葉や部屋に流れる雰囲気で何が起こったのか察したらしい芙弓は、一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべた。


 だけど次の瞬間にはパッと明るい笑みを見せていたのだからたいしたものだ。

 俺の妹は俺が知っているよりも強く、優しく育ってくれたらしい。たまに暴走することもあるけれど。


「ほら、永政くんもいらっしゃいよ! デレデレ妹が迎えてくれるわよ!」

「お兄ちゃん、おいでー!」


 本当の姉妹のような二人を見ていると、不思議と心が満たされてゆく。

 これが、俺の求めていたものだったのかもしれない。


 そんなことを思いながら、俺は二人のほうへ駆ける。


「よし、お兄ちゃんの頭を撫でてしんぜよう!」

「お、おう」


 意図は分からなかったが、ここは優しい妹に甘えておくとしよう。

 嬉しそうで辛そうな妹の小さな手が俺の頭を撫でる。


 一パーセントの辛さが俺の心に突き刺さって、何度も「やめてくれ」と言いかけた。

 だけど、本気で俺の幸せを祝福しようとしてくれている彼女に向かってそんなことを言えるかと言われれば断じて否で。


 結局、俺は芙弓が満足して雪奈さんが不満そうな顔を浮かべるまで撫でられるがままになっていた。


「じゃあ、わたし、そろそろ帰るね」

「えっ、もう帰るのか?」


 いつもは長居する芙弓なのに珍しい。そう思ったが、当たり前のことだということに気がつく。


 好きな人が別の人と付き合ったのだ。そう冷静さを保てるとは考えにくい。ましてや、隣にその彼女がいるという状況で。


「うん。また明日」

「あ、ああ」


 何と声を掛けたらよいか分からずに、俺は軽い言葉を発して拳を固く握ることしかできなかった。


 こんな現実離れした状況が起こるなんて思わなかった。事前に無理だと言ったから。

 色々言い訳は浮かんでくる。だけど、どれも薄っぺらいもののように思えた。


 そんな理由で、芙弓が心から笑えるようにはならないと分かっていたから。


「永政くん?」


 見てわかるほど苦い顔をしていたのだろうか、雪奈が心配そうな顔で俺の肩を叩いた。


「いや、ちょっと。芙弓が辛そうな顔をしていたから、俺の行動は正しかったのかなって」

「……何か、間違ったことをしたの?」


 訝し気に問う雪奈の言葉に、ゆっくりと首を横に振る。

 俺から見た場合だと、特に芙弓を傷つけるような行動を取ってはいない、はず。もちろん雪奈と恋人関係になったことは除いてだが。


 だけど、芙弓から見たら俺の行動に不誠実な部分があったのかもしれない。

 どんどん不安になってくる俺の心を救済するかのごとく、雪奈さんは明るい表情を浮かべた。


「なら、大丈夫よ。きっと、自力で乗り越えてくれるわ」

「でも——」

「でもじゃないわ。永政くんにはどうともできないことだと思うから」


 その言葉に、ちくりと胸が痛む。

 しかし、雪奈の真剣な青色の瞳を見ると、その痛みも和らいだ。


 雪奈が言っているのは、俺が思っているようなものではないと分かったから。

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