第三十話 俺は弟であり、彼氏だ。

「雪奈さん、ちょっといいですか」

「なぁに? 永政くん」


 雪奈さんは絶賛仕事中だったらしく、いそいそと掃除機を動かしていたのだがそこを呼び止める。


 珍しい俺の行動に若干驚きながらも柔らかい笑みを浮かべ、問い返す雪奈さんに俺は前振りとも取れる言葉を投げかけた。


「芙弓との問題、片付きました」

「……へぇ」


 そこで俺の言わんとしていることを感じ取ったらしい雪奈さんは掃除機から手を離し、俺に向き合う。

 海色の瞳と目が合い、金色の髪がささやかな風に揺れる。


「なので、改めて言います。——好きだ。雪奈」

「——っ!」


 サファイアのごとき瞳が涙に覆われる。

 何となく疎遠になって、再開して。


 何となく敬語で接していたのだが、ここでそれを解いた。俺の目指す関係は敬語では紡げるものではなかったから。


 それを察したのか、雪奈は細く白い首をゆっくりと、何度も縦に振り言った。


「……うん。よろしくね、永政くん」


 そこで、彼女は華のような笑顔を浮かべた。涙は目を覆うだけでなく、頬を伝っていたが、そのおかげでさらに笑顔が華やかなものになったような気もする。


「もう、どうして敬語になっちゃったのよ。お姉さんびっくりしたんだからね?」


 希少な宝石にも勝る光を放つ笑みのまま痛いところを突かれた。

 よくよく考えなくても分かることだったが、雪奈さんは俺に敬語など使っていない。


 これは、変わらず接していこうという気持ちの表れだったのかもしれない。そう考えたら申し訳なくなってくる。

 これ以上彼女を傷つけるのは憚られるため、俺は正直に言うことにした。


「理由は、何となくっていうのが近いかなと思うけど。雪奈お姉——雪奈が思ったより綺麗、になってた、から?」

「ちょっと、何でそこ歯切れ悪いのよ。あと雪奈お姉ちゃんって呼ぼうとしたわよね!? 呼んでくれてもいいじゃない!」

「嫌だよ、俺は雪奈の弟じゃなくて彼氏になりたいんだから!」


 照れくささはなりを潜め、この人の変態性は変わらないのかなどと思いながら大声をあげてしまったのが運の尽きか。


 再び照れくささが感情を支配し、雪奈の笑みが可憐なものからいたずらっぽいものへと変わりゆく。


「へぇ、そこまでして私の彼氏になりたいのね。お姉さん嬉しいわ。へぇ。へぇー」


 ニヤニヤと目を細めながら煽る様なことを言う雪奈に若干怒りを滲ませながら反論する。


「なら雪奈はどうだよ。俺の彼女と姉だったら」


 ちょっと面倒くさいセリフかな、などと思いながらも先にイジった雪奈が悪い。

 謎の言い訳を自分に向けて、雪奈の言葉を待つ。


「何言っているのよ。どっちもに決まっているじゃないの」


 返ってきたのは、そんな欲張りな回答だった。

 選ぶ気を微塵も感じさせない態度と言葉に面食らいながら、いやいや、と言葉を紡ぐ。


「雪奈、さすがにそれは両立できないだろ。姉と彼女だぞ?」

「ええそうよ。何の問題なく両立できるわね。そもそも、私たちが恋人になっても従姉弟という関係は変わらないでしょう?」


 ふふん、と自慢げに言う雪奈に半ば呆れながらも納得する。

 確かに、関係がひとつ追加されるだけかもしれないが。


「そもそも、従姉イコール姉ではないのでは?」

「へ?」


 そう。散々雪奈を姉として認識するよう教育されてきた俺だが、いくらなんでも十五年ほど生きていればおかしいことも分かってくる。


 少なくとも俺のクラスメイトたちは従姉を『姉』と呼ぶ人間に出会ったことがない。それが従妹でも従兄でも、従弟でも同じだ。


「永政くん、自分の環境が世界の環境とは限らないのよ」

「そうかもしれませんが、そこまでスケールの大きい話をした覚えはありませんよ」


 大真面目で鬼気迫った表情を浮かべながら肩を勢いよく掴む雪奈に、俺は笑みを浮かべ言った。


「ですが、雪奈が俺に弟でいてほしいと願うならば弟でいるのもやぶさかではありませんよ」

「えっ」


 予想外だったのだろうか、目を丸くする雪奈の頭に俺は手を置いた。


「俺は、弟しても彼氏としても、雪奈さんのことが大好きですから」

「永政くん……!」


 これまで見たことがないほど嬉しそうな顔をした彼女は、私もよ、と言いながら俺に抱き着いた。


 柔らかく、温かく、愛しい感触だった。

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