第二十一話 お姉さんと妹

「う、嘘。そんな、急に姉なんか!」


 芙弓がガタガタと震える。そりゃそうだ。俺だって突然友達に姉ができたらびっくりするだろう。


「姉好きのお兄ちゃんに姉なんてできたら、わたし勝てないよっ!」

「待って。どうしてそれを……じゃなくて。それ嘘だから。全部雪奈さんの妄想だから」


 危うく自ら性癖を暴露してしまうところだった。危ない。

 しかし、芙弓が俺の性癖を言ったことは変わりなくて。本当ならばなんで知っているか聞きたいのだが!


「へぇ、永政くん姉好きなのね?」

「そうなの! 特にメイドで姉属性を持っていて、更に若干上からきてくれる人がいいらしいの!」


 ヌアアアアアアァァァァァァァァ——!

 思わず頭を抱えて叫びながらゴロゴロと床を転がりたくなるが、寸前で堪える。


「へぇー、そうなのね。へぇー!」


 ニヤニヤしている雪奈さんが俺のほうへ好奇の視線を向ける。こっち見んな。


「意味わかんないよね。そんな存在いないのにね! 素直に妹属性に転がったらいいのに!」


 ぷく、と頬を膨らませて抗議の声を上げる芙弓。

 そんな芙弓の頭に、雪奈さんは手を置いて言った。


「残念ね。それ、私なの」


 自信満々な雪奈さんの言葉に、芙弓がフリーズする。

 アメジスト色の瞳がしばし見開かれたまま固まり、5秒ほどたった頃、やっと口を開いた。


「う、嘘だよね、お兄ちゃん。わ、わたしに何も言わず、好みの雌豚とイチャイチャしようとしたわけじゃないよね?」

「雌豚ってなによ。メイドお姉さんよ」


 雪奈さんにジト目を向けられる芙弓から、仔犬のような目を向けられる。それには、涙が溜まっていた。


「若干勘違いしていそうな部分もあるが、芙弓に伝えられなかったのは事実だな」


 それに、俺は肯定も否定もしなかった。無論雪奈さんを雌豚扱いした事実はないが。

 そんな俺の言葉に何を感じたのだろうか、芙弓は頬に涙を伝わせた。


 月光に照らされた銀色と、流れゆく液体化した水晶。涙に濡れている濃紫色の眼。

 非はないはずなのに、俺の胸には罪悪感がこみ上げてくる。

 いや、知らないうちに俺は芙弓の心を傷つけていたのか? ああクソ、何も分からない。


「す、すまん芙弓。これからはできるだけ伝えるから、だから」


 泣かないでくれ。

 自分勝手な言葉は口から出ることなく、芙弓によって遮られた。


「も、もうお兄ちゃんなんて信用しないんだから!」


 そう叫び、泣きじゃくりながら廊下を駆け抜ける芙弓。ドン、と音がしたのち、またけたたましい足音が聞こえてくる。復活しているとはいえ大丈夫なのだろうか。

 どうしたものかと頭を悩ませるなか、雪奈さんが俺の隣——ベッドの上に腰掛ける。


「雪奈さん?」


 なぜ急に、という意味を込めて問う。

 その問いに雪奈さんは微笑みながら、俺の頭を優しく撫で、呟くように言った。


「ごめんね、永政くん」


 いったいどうしたのだろうか、と思い雪奈さんのほうを向くと、いつもの表情を捨てたのかと聞きたくなるほど悲しげな表情を浮かべていた。

 金色の睫毛は伏せられ、サファイアの瞳を若干隠している。


 それが余計に雪奈さんの魅力を引き立たせており、世話好きのイタズラ好きなお姉さん、といった印象から深窓の令嬢みたいな雰囲気へ早変わりさせていて。


「そ、そんなことないですよ!」


 俺は思わず口を開いていた。

 勝手に喉元を通った言葉は、暴走した機関車のように続きを引き出す。


「雪奈さんが来てくれなかったら、芙弓に帰ってもらうこともできなかったですし。今も芙弓の独壇場になっていたと思いますし、ええっと、とにかくありがとうございます!」


 終着点が曖昧になってしまったが、何とか伝えることができた。

 雪奈さんの宇宙みたいな瞳が俺を見つめている。


「えっと、雪奈さん?」


 しばらく経っても何も言う気配がしなかったので、呼びかけてみる。


「永政くん、優しいのね」


 しかし、返ってきた言葉はイマイチよく分からないもの。

 直近でやったことといえば、芙弓を泣かせたことくらいしか思いつかなかったので、そんなことないですよ、と返答する。

 すると雪奈さんは、いつも通りの、でも少し慈愛の色が濃い笑みを俺に向けて。


「うん、やっぱり優しいわ」


 そう言い、俺を押し倒す。


「……」


 自分の置かれている状況が理解できず、沈黙する。

 数秒を経て、やっと俺は雪奈さんに押し倒されたのだと理解する。理解したところでどうなる問題でもないのだが。


「あの、雪奈さん? これはいったい」


 どういうことですか、と尋ねようとしたところ、口を塞がれる。

 柔らかく、薄桃色を帯びた雪奈さんの唇によって。

 刹那に感じた温かい感覚と、何とも言えない感情が合わさって俺の脳は思考を放棄する。


「かわいい弟だもん。独り占めしたいの」


 微かに戻った意識が、雪奈さんの妖艶な笑みと艶やかな声を捉えた。

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