第十九話 お姉さんに任せなさい?

「えっと、先ほど言いかけた言葉の続きですが」


 俺たちは手ごろな喫茶店に入り、お兄ちゃん呼び女についてドリンクを飲みながら話すことにした。


「うん。早く言って?」


 目から一切の表情を排除した雪奈さんが、俺に早く話をするよう促す。特に会話を交わしたわけではないのに、そこまで逆鱗に触れることなのだろうか。

 いや、会話を交わしたら逆鱗に触れると思ったら自惚れていると思われてしまうだろう。そんなことはないはずだ。


「あの、実はですね。俺にストーキングしてくる子がいるのです」

「薄々思っていたけれど、やっぱりあの子ストーカーだったのね」


 まぁ、あんな大声でキ〇ガイみたいなことを叫んでいたらストーカー疑惑がかかってもおかしくはないか。


「前は寝起きで突撃されたこともあって。旅行に行くって言っていたから、昨日は無事だったのですが」


 俺の親が海外赴任するタイミングで旅行が決まったとき、あいつ残念がっていたなと、そんなことを思い出す。


 アメジストの瞳から溢れる水晶の涙。そのときに揺れた、光の粒子みたいな短い銀色の髪。

 桃色の頬に光を含んだ涙が流れる様子はやたらと神秘的だった。


 いや、思い出に浸っている場合ではない。


「えっと、そんなこと言っても仕方ないですよね。まず名前や関係などから伝えます。名前は舞鶴芙弓(まいづるふゆみ)。年齢は俺の一個下で、新中三ですね。関係はお隣さん、みたいな感じで幼馴染ともいえます。お兄ちゃん呼びは出会ったころからです。といっても、そのときは『永政お兄ちゃん』でしたが」


 雪奈さんはただただ頷いていた。金色の髪がそのたびに動き、俺に鮮麗な光を見せてくれる。


「最初は芙弓の両親に頼まれて、小学校まで一緒に登校するだけだったのですが、徐々に親しくなっていって」

「ふぅん?」


 雪奈さんの澄んだ碧の瞳と目が合う。

 周りが海の色をしているからか、その中にある漆黒が余計に目立つ。そこには殺意さえ見え隠れしているようで堪らない。


「俺が中学校に上がってからも、ちょっと離れているのに俺の学校まで迎えに来ることもあって。ちょっとおかしいなぁとは思っていましたが、俺も『お兄ちゃんがいなくなって寂しいの』って言われたら何も言えないですし」

「へぇ」


 青空の瞳が少しだけ曇りになる。無言で『さっさと言え』と伝えている雪奈さんに恐怖を感じながらも言葉を続けた。


「芙弓が中学に上がってからは余計ベタベタするようになってきて。ふと道を振り返ったら芙弓がいた、ということが増えたのもこのあたりですね。最近は気配すら消しているらしいですが」


 だからこそ、今回のような事態になってしまったのかもな。

 心の中で少し反省する。芙弓を止める方法が分からない以上、俺が対処するしかないのだ。警察や裁判沙汰になるのは俺とて望んでいないし。


「二年になってからは起きたら芙弓がいたこともあってですね。一番怖かったのは帰ってきたら部屋が芙弓の写真一色になっていたことです」


 懐かしさを込めながら、俺は言葉を発した。

 あのときは本当に怖かった。いくら芙弓が美少女だからといって、壁一面に写真を張られたら普通に恐ろしい。

 俺に向いていた多数の目を思い出して鳥肌が立つが、続ける。雪奈さんから身の危険を感じたからな。


「雪奈さんに相談する手もあったのは分かっていたのですが、さすがにこの程度の問題を共有していいのかは謎でしたし、過激になってきたころに雪奈さんと会っていなかったこともあり。それに」


 意を決して、俺は言った。


「雪奈さんと話していると、そんなことどうでもよくなってきて」


 あくまで芙弓は、ただの後輩。

 今も昔も、その認識はまったく変わっていなかった。

 だからいくらストーキングされようと、一緒に道を歩こうと、俺は今の今まで非リア陰キャを名乗ってきた。芙弓ともう一人の男友達以外友達がいなかったらこれを名乗っても問題はないだろう。

 そんな俺の言葉に。


「もう、そんなこと言われたらお姉さん怒れないわ」


 花が咲くように、ふんわりと笑う雪奈さん。

 肩に掛かっていた金色の光筋がゆるやかに離れてゆく。

 瞳の海には、不穏な影など一切見えなかった。ただ、凪いでいる。


「よし、分かったわ」


 雪奈さんはピンと人差し指を立てて、にっこりと笑い。


「お姉さんに任せなさい?」


 いつか聞いたような、雪奈さんらしい言葉を俺に囁いた。

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