第十八話 お姉さんと試着室に入ってしまった

「な、永政くん!? だめよ、そんな、こんなところで……っ」


 途切れ途切れに、雪奈さんの恥ずかしげな声が聞こえてくる。見れば、頬は紅潮し、体温も微かに上昇していた。


 そりゃあそうだ。俺だって急に試着室に入られたらこうなる。

 床に散らばった、雪奈さんの衣服から目を逸らし、上のほうをじぃっと見つめる。


「すみません雪奈さん。俺も好き好んでここに入ったわけではなくて」

「何ですって!?」


 そう言って、ぷりぷりと怒り始める雪奈さん。ポイントがズレている気がするが、俺は気にせず続けた。


「実はですね、俺に——」

「あれ? お兄ちゃんの残り香がしたのにいない。おかしいなぁ。張り込みしよ」


 愛らしい、幼子のような声がした瞬間、息を潜める。一時的に逃れられたものの、張り込みされてしまったが。


「ねぇ、さっき張り込み宣言した子が関係しているの?」


 雪奈さんが豊満な胸を俺にグリグリと押し付けながら、小声で問う。

 残り香すら察知できるヤツが近くにいるのに、声を発するわけにはいかないと思った俺は、黙って頷いた。


 しかし、張り込みときたか。

 張り込まれたら安易に外に出るわけにもいかないし、かといってこのまま長時間いるのも問題があるだろう。店の人にも迷惑がかかるし。


 一瞬だけ俺のみ外に出るというのはどうなのかと思ったが、そのあとに入られては終わりだし、まずお前試着室で何してんだ、となり変態扱いされること請け合いだろう。可能な限り避けたい。


 俺が今後の展開を考えていると、唐突に雪奈さんが俺の腕を握る。

 安心させてくれているのだろうか、と思ったのも束の間、それはどんどん上に移動して。


「……」


 雪奈さんのほぼ剥き出しになった乳房に触れる。

 遠目で見ただけでは分からない、繊細な細毛の感覚も指から伝わってきて、脳髄が溶けそうになるほどの誘惑が俺を襲う。


 心地よい日光を彷彿とさせる体温、黒い線を描いた谷間、上目遣いにこちらを窺う碧い瞳。思わずそっと口を付けたくなる細く白い首筋。


 そのすべてに身を投じたくなったが、すんでのところで抑える。

 危ない。ここで流されてしまったら雪奈さんが捕まってしまうかもしれないのに、俺はなんてことをしようとしたのだ。


 だいいち、雪奈さんも雪奈さんだ。俺が声を出せないのをいいことに大胆な行動に出やがって。


「ちょっと、動きそうになったわね?」


 耳元で囁かれた言葉に、脊髄がピシッと反応する。

 飛び跳ねるようにも見えた俺の行動に、雪奈さんはわずかに笑い、俺の頬に両手を添えて自らの顔を近づける。


 嘘だろ、こんなことがあっていいのか。

 近づいてくる甘酸っぱい汗の香りと、ミルクのような香りが徐々に強くなり、鼻孔を刺激する。


 状況と雪奈さんの行動が合わさり、心臓がバクバクと高鳴る。

 もうすぐ、唇と唇が合わさるかと思ったそのとき。


「お兄ちゃんの何かが危機になってる! 助けなきゃ!!」


 という、声が聞こえる。

 慌てて俺たちは距離を取り、互いに目を逸らす。


「待って、わたし不審者じゃないの! わたしはお兄ちゃんの守護神なのっ!」

「えっと……学校名と家の電話番号、あと君の名前を教えてもらっていいかな? 現時点では何もしてないから通報はしないけど」

「お兄ちゃん、お兄ちゃんだめ!」


 叫び声が遠ざかってゆく。危機は去った。

 俺はそっと試着室を出て、彼女待ちですが何か? と言わんばかりの顔を浮かべる。


 知り合いに会ったら面倒なことになるかもとは思ったが、まさかラスボス格と鉢合わせ——てはいないが、しそうになるとは。あいつには何と説明すべきか悩んでいると、雪奈さんが試着室から出てきた。


「永政くんお待たせ。ところで、さっきの子、何なのか聞いてもいいかしら?」


 怒気を孕んだ笑みをこちらに向けながら、雪奈さんが言った。

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