第三話 メイドお姉さんと弟

 その後、皿洗いは手伝おうとしたのだが断られてしまったので勉強することにしたのだが。


「これは計算ミスだから焦らなくていいわよ。……よくできました」


 驚くほど手際よく皿洗いを済ませた雪奈さんに勉強を教わることになりました。

 計算ミスを直しただけで頭を撫でられるといったら夢でも見ているのか、と思われるだろう。しかし驚くべきことに、これが現実なのだ。


「あ、あの。何もここまで面倒見てもらわなくて大丈夫ですよ」


 そもそも迷惑ではないかと思ったことと、横にいてあれこれやってくれるため、たびたび胸が当たって勉強どころではない場面が多々あることからそう言ったのだが。


「ううん、私、弟に勉強を教えたかったの。そうは言っても永政くんは優秀だからあんまり教えることもないけれどね」


 はにかみながら悲し気にこんなことを言われたらやめてくれだなんて思うのも憚られる。これが魔性の女というやつか。恐ろしいことこの上ないな。


「ご、ごめんね。迷惑だったらいいの。永政くんが頑張るなら私も頑張れるから」


 いつものお姉さん然とした雰囲気は壊れていないものの、守ってあげたくなる欲求がとてもくすぐられる言葉。なぜこんな奇跡的なことができるのか教えてもらいたい。

 それはそうと、ひとまず困り眉になってしまった雪奈さんに安心してもらわなくてはならない。雪奈さんを困らすのは何となく人類の損失な気がする。


「いえいえ、俺のせいで雪奈さんに迷惑がかからないか心配で!」


 ああだめだ、普段陰キャとして生きている弊害か上手い言葉が見つからない。雪奈さんに不信感を抱かれては一巻の終わりだ。

 もっと伝わるようにと一生懸命言葉を探していると、雪奈さんがぷっと噴き出した。


「そんなに気負わなくて大丈夫よ。私のことを慮ってくれたのでしょう?」


 何か地雷でも踏み抜いてしまったのか心配になっていた矢先の言葉だったので、一瞬だけ固まってしまう。

 柔らかい表情をする雪奈さんの優しさを感じながら頷くと、頭に若干の重さと温かさが伝わる。

 見ると、雪奈さんが俺の頭を撫でていた。


「雪奈さん、俺のこと撫ですぎですよ」

「なぜか撫でたくなるのよね、永政くん」

「なんですかそれー」


 そう笑うが、本当に謎の安心感があるんだよな。この人に頭を撫でられるの。

 だから幼稚園教諭が天職だったはずなのだが——それだけが全てでないのも事実だろう。


「永政くんは優しすぎるの。だからもう少しお姉さんに甘えてもいいのよ?」


 そう言い、俺に笑いかける雪奈さん。相変わらず天使のような人だ。この人こそ誰かに甘える必要があるだろう。……そうだ。


「分かりました。でもその代わり、雪奈さんも俺に甘えてくださいよ」


 お前はメイドを何だと思っている、と怒られてしまうかもしれないセリフ。でも、これが俺の本心だ。

 雪奈さんは優しい。間違いなく優しい。幼少期から雪奈さんを見ていた俺だから断言できる。


 でも、優しさは持ち過ぎたら自分を傷つけるとよく言われているだろう。俺もそう思っている。なので、俺は雪奈さんに癒され、雪奈さんは俺に癒されるという関係ができたらいいなと思ったのだ。共依存と言われてしまうかもしれないが。そもそも貴様なんぞに癒されるかと思われてしまう可能性もかなりあるのだが。

 未だかつてないほどドキドキしながら、雪奈さんの返答を待つ。


「……本当にいいの?」


 何秒経ったのだろうか。もしかしたら一瞬のことだったのかもしれないが。

 雪奈さんのか弱い声が耳に届いた。

 何かに怯えた小動物のような目をしてこちらを窺う雪奈さんを見て、俺の予想は間違っていなかったと確信する。


「ええ。俺でよければ」

 そんな雪奈さんを抱きしめるがごとく言葉を発した。

 数瞬のタイムラグののち、雪奈さんはとびっきり嬉しそうな顔を浮かべて、俺の手を取った。


「やった! じゃあさっそく行きましょう!」

「え」


 行きましょう、と言われても目的地など知らされていない俺はイエスともノーとも取れない言葉を零すのみだ。急に変わった雰囲気に呑み込まれたことも大きい。

 それを察したのか、雪奈さんは言葉を付け足す。

 これからの、俺たちの日常を変える言葉を。



「『弟とやりたいこと』を叶えられる場所へ!」

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