第35話 『夜を染める』

 森を抜けて村に辿りつくと、完全に炎に包まれた村の姿がラルフを出迎える。

 ……四方は全て火の海だった。

 木造の家々はいとも簡単に燃え上がり、時折建物の軸が崩れる音と屋根が壊れ落ちる音を響かせる。

 そして炎と煙の向こうからは、微かに人の悲鳴と軍靴の音が聞こえてきた。


「……くっ」


 ラルフは歯を食いしばって一番近くにあった家に走った。

 そこはラルフも何度か来たことのある家……ジョエルとアンナが住んでいる家だった。


 もう火が燃え移った家の扉を足で蹴り飛ばすと、中から黒い煙と熱気が外に吹き出してくる。

 室内に立ちこもっている煙を避けるため、ラルフは少し屈んだ体勢で中に足を踏み入れた。


「誰かいるか!? いるなら返事しろ!」


 煙と炎で視界は最悪。手探りで慎重に前に進むと居間の方から人影が見えた。そこには床に倒れたアンナと、そんな彼女を抱きしめるようにして被さっているジョエルの姿があった。


「……ッ……ラルフ……君……」


 近づく足音に気づいてか、ジョエルが重たい体を引きずるようにして振り返ってくる。

 そしてやっと口を動かしたかと思えば、激しく咳き込み赤黒い血を床に吐き出す。

 その一方、アンナは微動だにしないまま……振り返ってくることはなかった。


「とにかく外へ! ここは危険だ」


 ラルフが早足でジョエルの前に来て、片膝を折って手を伸ばす。

 だがジョエルはゆっくりその手を退かして首を横に振った。


「私は……もう、駄目だ……」


 ジョエルの手は固まった血でもう黒く染まっていた。

 そして彼の腹部には大きい刺傷が出来ていて、そこからは今もなお赤い血が噴水のように流れていた。


「せめ、て……アンナと、一緒に……逝かせて、くれ……ッ」


 途切れ途切れでそう話を繋いだジョエルは、何とか顔を上げてラルフに視線を合わせて言ってくる。


「レナと……ティアン、を……たの、む……」


 何とか力を搾り出してそう話すジョエル。その間にも天井の一部が壊れて床に堕ちてくる。


「……わかった」


 ラルフの返事を聞き、ジョエルはわずかに唇を動かして笑みを作り、すぐ顔を落した。

 ……まだ息はあるが、もうこっちの事を感知できないくらい精神が混濁しているようだった。


「…………っ」


 ラルフはゆっくり体を起こして振り返り、そのままジョエルとアンナの家を出て走った。

 走る途中、とうとうジョエル達の家が屋根ごと崩れて完全に焼け落ちる。

 ほんの数秒の間、足を止めてそれを見つめていたラルフは、村長の家がある坂道へと足を速めた。


「やはりか」


 行く道の端々には村人達の死体が転がっていた。

 何かに追われて逃げる最中に、その背中を刺されて事切れたようなそれらに目を背け、ラルフは坂道を走る。

 その最中、上の方から黒い鎧姿の帝国兵二人が一つの家から出てくるのがラルフの目に入った。


「あ? 何だ……あいつ。まさか、あれが例のやつか!」


 そして帝国兵達もまた、ラルフを発見して腰から得物を抜き取る。ラルフもさっき帝国兵から奪った剣を構え応戦しようとした時だった。

 どこからか飛んできた矢が、帝国兵一人のこめかみに深く突き刺さる。


「えっ、な、何だ!?」


 倒れる仲間を見て、慌てて周りを見渡すもう一人の帝国兵。次の瞬間、その男は額に矢を生やして仰向けに倒れた。

 そして東の方から解体用の出刃包丁を腰にぶら下げ、手に弓を持ったスベンが走ってくる。

 スベンはラルフの姿を発見すると大きく声を張り上げた。


「おい、ラルフ! こいつらは一体何なんだっ!? 村を滅茶苦茶して……一体何なんだよ!?」


 怒気を含んだスベンの声。状況が飲み込めてない焦りと苛立ちからスベンの目は相当血走っていた。


「やつらは帝国軍だ! 早くここから逃げろ!」

「帝国軍だぁ……? そうか……こいつらが。くっそ! 一体何がどうなってるんだ」 


 ラルフも叫んで答えると、スベンは忌々しげに倒れた帝国兵達に目を向けてそう呟く。

 そしてそんなスベンの後ろから、炎の逆光に紛れて一つの人影が近づいてきた。


「後ろだーっ! 後ろを見ろ!!」


 ラルフの叫びに慌てて振り返ろうとするスベン。

 だがそれは一歩遅く、近づいてきた帝国兵に背中を大きく斬られた。


「くぅああッ!?」


 スベンがたたらを踏んでよろける。帝国兵は今度は正面からスベンの腹部深くに剣を刺し込んだ。

 腹と口から同時に血を噴き出すスベン。彼は腰に差していた解体用の出刃包丁に手を伸ばした。


「クッソがああぁぁあぁぁ――ッッ!!」


 口から血を迸らせ出刃包丁を帝国兵の首筋深くに突き刺し、そのまま体重ごと押し付けて傷口を深く広げる。

 血が噴水のように飛び散り、やがて帝国兵とスベンは同時にその場に倒れた。


「おい、しっかりしろ! ……おいっ!」


 ラルフが駆けつけてスベンを抱き起こすと、その腹に深々と刺さった剣から血が噴き出してくる。そして力のない声でスベンが言ってきた。


「ちっ……ドジ、踏んじまったぜ……ッ」

「喋るな、傷に障る」


 そう言いながらも、ラルフは彼がもう手遅れであることを直感的に感じていた。

 そしてそれをスベンもまた感じているらしく、弱々しくその口を動かす。


「なぁ……ラルフよ……ワシらが、何をしたって……いうんだ? なんで、こう……なった」


 一言喋る度に段々と弱くなるスベンの声。

 ラルフはただ無言でその言葉に耳を傾けた。


「お前は……嬢ちゃんのところに、行け……。ワシはもう……疲れた」


 そう言ってラルフから視線を外し、空を見上げるスベン。

 炎と煙に覆われた空でも、その隙間からは三つの月が垣間見えていた。


「ああッ……シロディア様……我ら、を……導き……たま、え……」


 遠くを見る目で主祈祷文を呟くスベンは、それを言い終えると完全に体から力が抜けて項垂れる。


「…………」


 スベンの最後を見届けたラルフはそっと彼の目を閉ざしてやった。そしてその場から立ち上がり村長の家へと走り出した。

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