第64話


うげ……しょっぱ。


「どおっ! ありかの作った厚焼き玉子!」


在処が双眸を輝かせて感想を聞いてきたが、どうもなにも塩辛くて水分が欲しくなる味だ。

甘い味の方が好みな俺からしたら、この瞬間に降旗の勝利が確定した。

なお、在処のお望みどおりまったくといって忖度はしていない。

厚焼き玉子は審査する人間が甘いのが好きか甘くないのが好きかによって意見が違ってくるだろうし。


「これ、醤油入れすぎたんじゃないか……? 塩分が強すぎて噛んで飲み込むという他愛もない動作が辛い」


「そんな大袈裟な……味は確認してないけど、降旗さんのを完璧にコピーして——」


在処は手掴みで一口分の玉子を手に取ると、俺の発言を確かめるように自分の口へ運んだ。


「まっず!? しょっぱっ!!」


しょっぱいより先に不味いが飛び出してくるあたり、在処にとってもこの味は予想外だったみたいだ。

……つうか、味見くらいしとけよ。俺はお前の実験台か。


「どうして肝心の味見を怠った……?」


「だって、降旗さんがやってるように作ったし、必要ないと思ったから……」


ああ、確かにカンニング紛いなことしてたもんな。

あそこまで大胆にやっておいて味がこれだけ別物に変わるのかよ。ある意味才能だな。どこでぱくり間違えた?


「降旗の作ったのも食べてみ?」


「さっき100点とか120点とか絶賛してたよね。食べたところでありかの作ったのと大して変わらないと思うけど」


「それが、天と地ほどの差があるんだよなぁ」


しょっぱいのと甘いのじゃ、煎餅とケーキくらい違うだろ。


「そっ、そんなに違わないから! 過大評価しすぎでしょ!」


在処が降旗の作った厚焼き玉子に手を伸ばす。

自分の作った厚焼き玉子とどれくらいの違いがあるのか、己の舌で篤と味わってみるといい。


「……なにこれ、おいしい。上品な甘さがデザートみたい……これなら毎日食べても飽きないかも」


食べた感想が中々的を得ていた。

降旗がこの場にいないと思って油断していたのか、在処の口からありのままの感想が飛び出した。


「うれしい賞賛をありがとう」


「うきゃあぁあっ!?」


突然、在処が間抜けな驚愕の声をあげる。

降旗が帰ってきたのと在処が言葉を紡いだタイミングはほぼ一緒だった。

厚焼き玉子のおいしさに心を奪われて、周りへの注意さえ疎かになってたみたいだな。

よって、ただふつうに歩いてきた降旗の接近に気付けなかった。本人のすぐ近くで本音を呟いてしまった。


「ふ、降旗さん……いつからそこに?」


「いま帰ってきたところだよ。そろそろ御開きにしよっか」


それだけ言うと降旗は、空になった食器をまとめて洗い場に持っていき洗い物を片付け始める。

食器用洗剤を少量付けたスポンジをくしゅくしゅしている姿は何故だか可愛らしい。ほんとうに何故だろう。


「ありかの使った食器まで一緒に洗ってくれるんだ……ありがとう……」


「いえいえ。ついでだから気にしなくていいよ」


これまでの接し方とはだいぶ違って見える降旗の様子に、在処はきょとんとした顔で洗い物をしている降旗を眺めていた。

在処の正直な感想を聞いてから、明らかに降旗の表情がやわらかくなった。


「……あ、勝負の結果だけど、ひろくんの反応見る限りありかの完敗。ありかのは見た目も味もダメダメだったけど、降旗さんのはほんとうにおいしかった。今まで食べた厚焼き玉子の中でいちばんおいしかったかも。……昨日は強がって下手っぴなんて言っちゃったけど、ハッシュドビーフもありえないくらいおいしかった」


「勝負なんてしてたっけ。なんか勝ち負けとかどうでもよくなっちゃった。——在処ちゃんがおいしいって言ってくれたからかな」


降旗が初めて在処を名前で呼んだ。

しかも「ちゃん付け」の超好意的な呼び方でだ。

自分が作った料理をおいしいと褒めてもらえた。

たったそれだけのことで、降旗は今まであったいざこざの数々を洗いざらい水に流せちまうくらい度量の大きい人間なんだよな。










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