第52話


「ダッ、クス…………」


あれ……おかしいな。

視界がぼやけててうまく定まらない。

あんずちゃんがぼくの名前を呼んでくれてる。

……どこだ? あんずちゃんはどこだ?


「……クゥン」


見つけた。あんずちゃんだ。

寝転がってる場合じゃない。早く立ち上がってあんずちゃんを守らないと……、


(——うそだろ……体に力が入らないや……)


「ひー……ひー……こんのクソ犬がぁあああ!てめぇだけは絶対殺す!生かしちゃおけねぇ!」


男は負傷した腕の痛みをこらえながらも、利き手じゃない方の手を使い金属バットを拾い上げる。相当イラついているのか、見るに耐えない憤怒の形相だ。


……どうしよう。このままじゃあんずちゃんを守り切れない。

きっとこの男はぼくを殺したあと、怒りに任せてあんずちゃんまで殺すだろう。

そんなのは絶対に容認できない。


(立て……立ってくれ……ぼくのからだ……どうして動かないんだよ……頼むから、あと少しだけでいいから……大好きな人を、大切な人を、あんずちゃんを守りたいんだ……)


「ダメっ! 殺しちゃダメ……!これ以上、ダックスをいじめないで!」


「ああ? 誰に偉そうな口聞いてんだガキ。その駄犬と一緒にあの世へ行くか? おとなしくしてりゃ数分数秒は長生きできたのによ」


あんずちゃんがぼくの体を抱えて、大事そうにぎゅっと抱きしめてくれる。

この男の手によって撲殺されないよう、身を呈して守ってくれてるんだ。


……あったかいな。


あんずちゃんの体の温かみと慈愛を、両方ストレートに感じられる。


——嬉しいな。


いつのまにかぼくは、あんずちゃんが命がけで守りたいと思えるほどの、大切な存在になれていたんだね。


これからもずっと一緒にいたい。同じ時を共に過ごしたい。


……でもダメだ。


動けるようになったのなら、ぼくを置いて、一刻も早くここから逃げてほしい。


「ダックスっ!死んじゃダメ! しっかりして!」


あんずちゃんが涙を流しながら、ぼくに『生きろ』と懸命に声をかけてくれている。

こんな絶体絶命のピンチの瞬間にだ。

今まさに、他人によって命が奪われようとしてるっていうのに……。


——ほんと、あんずちゃんはどこまでも優しい飼い主さんだったな。



「……うぜぇ。しらけるわ。俺を無視して二人の世界に入ってんじゃねぇよ。——もういい。二人仲良く死ね」


男がそう冷たく吐き捨て、頭上に金属バットを振り上げた。

ぼくを庇うあんずちゃん諸共殴り殺そうと照準を合わせる。


——いよいよぼくの意識がシャットダウンしそうになった、まさにその時だった。


銃声と男の悲鳴が、家の中にこだまする。

おそらくだが、杏也君が自宅の異変に気付いた際に110番していたのだろう。

通報によって駆けつけた警察官に、男は確保された。





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