第37話
昨日の頭髪検査の件で、帰宅後歩美に髪を切ってもらった。
歩美は髪を切るのも美容師並みに上手くて、短いは短いが割と悪くない。
『博也は、髪が長くても短くてもどっちでもカッコいいんだから気にしないの』
最初こそ散髪を渋っていた俺だが、歩美にこんな嬉しいことを言われては観念するしかなかった。
ふなばあに大人しく従ったみたいで癪だが、俺は歩美の言葉で髪を切ろうと決めたんだ。
「ひ、博也の髪が……」
ああ。絶対そうなると思ったわ。
「どーしてそんなに薄くなっちゃったの……? もしかしてストレス?」
休み時間、校内で三人分の缶ジュースを購入していたところ、俺の姿を見つけた降旗がこっちに近寄ってきて異変に気付く。
いつも撫でまくっているお気に入りの髪の毛が短くなっていることに、大層驚いたご様子だ。
大変失礼ではあるが、俺の髪がストレスで抜けたのではと心配している。
「薄くなっちゃったとか嫌な言い方すんな。まるでハゲたみたいじゃねぇか。頭髪検査があっただろ。髪切っただけだ」
「頭髪検査とか無くなっちゃえばいいのにっ! こんなに短かったら撫で心地が変わっちゃって——」
強制的にしゃがませられたのち、降旗が恐る恐る俺の頭に手を伸ばし軽く触れる。
「これはこれで意外と……悪くないかも」
降旗って俺の髪が好きっていうより、ただの髪フェチなだけな気がするわ。
俺の髪なんか触るより歩美の綺麗な髪触った方が絶対にいいんだけどな。経験者は語るってやつだ。
降旗相手なら、歩美も快く承諾してくれると思うぞ。
「へー。この娘が降旗さんかー。噂通り、ひろくんとは気安い仲って感じがぷんぷんするわ」
降旗から頭を撫でられているそんな最中、俺のいとこである大築在処が突如として現れ、話に割り込んできた。
「うん。いい……ちょっとチクチクするけど、またそれが癖になる」
だが降旗はマイペース。
在処のことなど眼中にないらしく、華麗にスルーして頭撫で撫でを続行中だ。
「ちょっとっ!? ありかのこと無視する気っ! 降旗さんっ! ありかはあんたに話しかけてるんだけど!! 聞いてるっ?」
「うるさいなー。博也、この一人称のイタい人だれ?」
「えっとだな、こいつは——」
「一人称のイタい人っ!? なあに? あんたもしかしてありかに喧嘩売ってんの?」
俺がいとこを紹介しようと声を出したが途中で遮られる。
痛い人なのは事実だが、無自覚の本人にはダメージが大きい。
降旗の明け透けな物言いに、在処は案の定怒り出す。
「イタいのは事実でしょ。それで、あたしに何の用?」
降旗さんは頑なに容赦が無かった。
なんだこれ……今にもごたごたが勃発しそうな雰囲気じゃねぇか。
「みんながあんたを可愛い可愛いってほめそやすから、実物がどれほどのものかわざわざ確認しにきてあげたの。美少女と呼ぶにふさわしい器なのかどうかをね。まあ、ありかの足元にも及ばないだろうけど」
在処がそれらしく捲したてるが、はっきりと言っておこう。
おまえが降旗より優っている部分など一つもないからな。
「……ねぇ、博也」
降旗は在処を残念な人と認識したような、非常にあきれた表情で俺にこう尋ねかけてきた。
「この人、美少女とか何言っちゃってんの?そんなことであたしにわざわざ会いに来るとかさ……暇人?」
「間違いなく暇人だな」
「聞こえてるんだけど……、ありかのいとこの髪触ってるあんたの方がよっぽど暇人なんじゃない? 人前でそんな大胆な真似して、恥ずかしくないわけ?」
「人前でありかありか言ってる方が恥ずかしいと思う。あたしなら耐えられない。——ていうかこのイタい人、博也のいとこだったんだ……ちょっと引く」
勝手に引かれても困るが、たしかにいとこはいとこだ。
絶対に変えることのできない事実だが、俺とこいつを一緒にしないでほしい。
歩美に『火炉也と似てた』とか言われてちょっと凹んでるくらいなんだぞ。
「あたしそろそろ行くね。次調理実習
だから。移動の準備しないと」
「お、おお……またな……」
「博也もとっとと教室戻ったほうがいいんじゃない? ここから結構距離あるでしょ」
——そうだった。
杉並に中庭にしかない自販機限定の飲み物をリクエストされてちょっと遠出したんだ。
こっから教室までは何気に遠い。下手したら授業が始まってしまうかもしれない。
昨日庇ってくれた礼とはいえ、歩美のように謙虚さを持ってほしいものだ。
歩美は『博也が選んでくれたものならなんでもいいよ』って言ってくれたぞ。
ほんとうに可愛いやつだ。
「なに勝手に話終わらせて帰ろうとしてんの!? 逃げる気っ?」
休み時間も残りわずかというこの逼迫した状況で、在処はなおも降旗に突っかかる。
自分の教室の方へ歩き始めていた降旗は、一旦立ち止まり在処へ顔を向ける。
「……にげる? あたし、あなたと何か勝負とかしてたっけ。してないよね。それじゃ」
説き伏せられた在処はそれ以上何も言えなくなり、中庭から去って行く降旗の後ろ姿を見送った。
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