第32話
「そんなとこから飛び降りても、痛いだけだぞ」
これはまだ、俺が歩美と出会ったばかりの小学生の頃の話。
放課後に下校せず、一人だけ別方向に向かった歩美が気になって後を追いかけた。
校庭にあったばかでかいジャングルジム、その頂上にある滑り台に、歩美がぽつんと座っていた。
徐に立ち上がったときは滑り台でも使うのかと思ったが、なにやら様子がおかしい。
てっぺんから地面を見下ろし、体を震わせている。
——早い話が、この時歩美は自殺を試みようとしてたんだ。
「じゃましないで。私、これから天国に行くの」
「天国か。行けたらいいな。死んでも必ず天国に行けるとは限らないけどな」
天国どころか地獄もあるかどうか。
完全なる暗闇、永遠の無の世界ってのも考えられるよな。
死後の世界について詳細に知っている人間などどこにもいないのだから。
「何言ってるのかわかんない……死んだ人はみんな天国に行くんでしょ。止めようとしても無駄だから」
「まあまて、早まるな。行動に移すにしてもだ、経験者の貴重なお話をちょっとばかし聞いてからでも遅くないんじゃないか?」
「けい、けんしゃ……?」
「ああそうだ。経験者だよ。俺は小1のときにお前が立ってるその高さから二度も落下して体を強打した経験がある……別に自殺しようとしたわけじゃねーからな。遊んでたら自分の不注意で落っこちちまったんだよ」
背中から落っこちて、しばらくのあいだ痛みで立ち上がれなかったよ。
しかも、俺が1回目に落下したときは、昼休み終了の知らせが鳴ったのとほぼ同時だった。
だから、誰も倒れてる俺に肩なんか貸してくれなかったよ。
自力で教室まで帰ったさ。
「それで……? 死んだの?」
うまく気を引けたのか、歩美は滑り台を滑ってジャングルジムから降りてきた。
そして、俺の前まで歩いて来て興味深そうに問いかけてくる。
「死んでねぇよ。死んでたら今ここにいないだろ」
まだ幼かった歩美には、俺が死んでもすぐに生き返るような化け物にでも見えていたのかもしれない。
この言葉、まるで謎だからな。
「奇跡的に体はなんともなかったから医者とか行ってないけど、ちょっとの間は起き上がれないくらいのダメージは受けるな」
——あ、これ死んだわ。
とか思ったけど、この通りピンピンしてるし。
たまたま地面に打ち付けたところが、致命傷にならない部位だっただけかもしれない。
頭から落っこちてたらどうなってたかはわからないが、もしかしたら危なかったかもな。
「嘘付いてるだけでしょ。私の自害を止めようとして咄嗟に考えた作り話。あんな高いところから落っこちて無事で済む筈ない」
「そんなこと言われてもな……俺の体が頑丈だったとしか言いようがない。牛乳とか好んで飲んだりしてないし、不思議だ」
泣きそうになるのを必死に堪えはしてたぞ。
泣いてるところをクラスメイトに見られでもしたら、絶対からかわれると思ったし。
「うーん……どうしたら信じてもらえるんだろ。坂本さんがさ、その、なんだっけ……じがい? とかいうのに失敗してさ、痛くて泣いてるとことか見たくないんだ」
「余計なお世話。たとえ失敗したとしても、私は絶対に人前で泣いたりしない」
歩美は俺との会話をそこまでにして、再びジャングルジムの方へ歩を進めようとする。
「今日のところはやめて一緒に帰らないか? 俺送っていくからさ。悩みとかあるなら聞くぞ」
俺はもちろん、歩美の手を取って立ち止まらせたさ。
そうでもしないと、目的の場所まですたすたと歩いて行きそうな勢いだったからな。
「……ひろやくんだっけ? どうして私に構うの?」
「おお……美少女に下の名前で呼ばれるとか感動」
「美少女……? 私もしかして馬鹿にされてる?」
「馬鹿にしてない馬鹿にしてない。俺が生まれて初めて恋をしたのが坂本さんなんだ。一目見た時から美少女だって思ってたんだけど?」
正直、おまえ鏡見たことあんの?
……って言いたくなった。
だって、本人が全くといって自覚してなかったからだ。
自分がとてつもなく容姿の整った可愛い美少女だってことに。
「……変なの。そんなセリフ、よく恥ずかしくもなく言えるね。——死にたいとか思ってる変な子なんか、放っておけばいいのに。放して。もう行かなくちゃ……」
「……放してもいいけど、放したあとはもちろん家に帰るんだよな?」
「帰らないよ……言ったよね。天国に行くんだって」
「そんなとこ行ったって楽しいかどうかわからないぞ。坂本さんがいなくなったら俺は好きな女の子に二度と会えなくなるわけだが、可哀想だとは思わないか?」
歩美はこの頃から女性恐怖症で、クラスに友達は皆無だった。
女子とうまく関われないから男子と関わろうとしてみるが、その男子に想いを寄せている女子がいるんじゃないかと考えると誰とも関われなくなる悪循環に陥っていた。
歩美にはそんな気少しも無かったが、過去に男子から告白されたのが引き金となって、無視されたり悪口を言われたりしたらしい。
イジメに近いような酷いことをされたのがトラウマとなって、女性恐怖症を発症してしまったのだと思う。
「そんなこと聞かれても、わからないよ……」
泣きこそしなかったが、歩美は今にも泣き出しそうな辛そうな表情をしてた。
自分の手を掴んでいる俺の手を、もう片方の手を使って優しくほどき、ジャングルジムへ向かおうとする。
「……ひろやくん、好きって言ってくれて嬉しかった。ありがとう。期待にこたえられなくてごめんね……それと……ばいばい」
「——わかったよ。この手はできれば使いたくなかったんだけどな」
人間の体ってのは思ってるより丈夫で、こんな中途半端な高さからの落下じゃ苦しまずに死ぬなんて不可能だって教えてやる。
このときの俺は、大好きな歩美のためならなんでもできた。
自分の体を犠牲にするのも厭わない。
どんな汚い手を使っても、なんとしても歩美の自害を止めてやる。
そう決心して、ジャングルジムのてっぺんまでのぼっていく。
「なにするつもり……なの?」
「見てわからないか? これから坂本さんに証拠を見せてやるんだよ。ここから落っこちても死ねないんだってことを」
歩美を納得させるにはもうこの方法しか残ってなかった。
俺がこっから飛び降りて無傷で生還すりゃ、さすがに意地っ張りな坂本さんでも諦めざるを得ないだろうと——
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