後編(物語は続いていく 完)
学校についた俺は、それでも少しはかなえの用件についてを考えようとした。が、それは土台無理な話だった。これは当然といえば当然なのだが——眠かったのだ。
昨日——時間で言えば今日のことだが——まったくといっていいほど眠れていない俺は、襲ってくる睡魔に耐えきれず、ほとんどの授業を寝て過ごしたのだった。
そうして気がついたら、あっという間に放課後になっていた。
きょうも教室をすぐにでも飛び出して、白椿通りに行きたかったのだが、それはできなかった。
というのも、昨日はすっかり忘れていたが俺は今週、教室の掃除当番だったのだ。休み時間の間に同じ班の友人に指摘されて気がついたことだった。
だけどこれはある意味チャンスといえた。なぜなら俺の教室からは校門の様子がよく見えるのだ。校門を出ていくかなえの姿を見ることができればすなわち、少なくとも待ち合わせ場所は学校外だということが分かるからだ。
そう考えた俺は同じく掃除当番の奴らに、きのうのお詫びだと言って窓拭き——みんな雑巾に触るのが嫌なので、いつもはジャンケンで決めていた——を買って出ると、窓を拭きながら外の様子を注意してみていた。
すると、もうそろそろ窓もぜんぶ拭き終わるという頃、自転車に乗って帰っていくかなえの姿を俺は認めた。俺はひとまず安心することができた。
掃除が終わり学校をでると、俺はまっすぐ白椿通りへと向かった。うだるような夏の暑い日差しを浴びて、次から次へと頬を流れていく汗を拭いながら俺はせっせと歩いていく。
15分ほどで俺は白椿通りへとたどり着いた。
かなえは自転車だ。待っているのなら、おそらく駐輪場付近にいるはず。俺はそう考えて駐輪場に向かってみた。すると——いた。かなえだ。
かなえは駐輪場すぐそば、ふさふさと緑が生い茂った椿の木の影が伸びている街灯にもたれかかるようにして立っていた。やや俯きながらスマホをいじっている。俺はその姿を認めて、よかった、やっぱりあってたんだな……、とほっと安堵の息をはいた。
「かなえーっ!」
俺が声をかけると、かなえはスマホから顔をあげた。きょろきょろと辺りを見回していたが、やがて俺に気がつくと右手を胸のまえで小さく振ってくる。
俺が小走りになって駆け寄ると、「……よかった。ちゃんと解けたんだね」といってかなえはうすく微笑んだ。俺も「あたりまえだろ? これでもミステリークラブの一員なんだからさ」といって笑った。
それから俺たちは暑さを避けるため、近くにあったカフェへと入った。どこにでもある有名なチャーン店のカフェだ。
店内に入ると同時に、冷やされた空気が俺たちの体を包み込んだ。夏の太陽の下で
注文カウンターで俺たちはふたりともアイスティーを頼んだ。席は結構空いていたから特に急いで取る必要もないだろうと、俺たちはじっと商品が出来上がるのをその場で待っていた。
その間、俺たちは互いに一言も喋らなかった。正確にいえば、かなえが終始うつむいて俺と視線を合わせようとはしなかったのだ。いつもは元気よく話してくるかなえが、だ。俺はそんなかなえの様子に戸惑いながらも、何か声をかけようとした。だけどできなかったのだ。なんだかとてもそんな雰囲気ではなかった。明らかにかなえは何かを思い詰めているようだった。仕方なく、俺は店内にかかる洋楽の音を聞きながらアイスティが出来上がるまでの時間を潰した。
「……それで? わたしが言いたいことはわかった?」
商品を受け取り、窓際の2人がけのテーブル席にすわったあと、かなえがアイスティーに砂糖とミルクをいれながらようやく口を開いた。でもかなえは俺の方を見ることなく、飲み口に差し込んだストローをくるくると回していた。氷の立てるからんからんという音が妙に大きく響いて俺の耳に聞こえてきた。
「……すまん。一晩考えてみたんだが、それはやっぱり分からなかった」
俺は自分の分のアイスティを、特に何も入れることなく、そのままストレートで一口飲んでそう答えた。飲んだあと、ハーブの香りがつんと鼻を刺激するようにしてすぐに消えていく。酸味の強い、俺の苦手な味だった。
「……そっか」
かなえはそう呟いて、ストローを回す手を止めると、そっと顔をあげて俺をみた。店に入ってから初めて俺たちの視線が交わう。そしてなんだかかなえのその目はひどく悲しそうな色を浮かべているように俺には見えた。口元はうっすらと笑みを形作っているが、いつものえくぼはできていない。まるでいまにも散っていく椿の花のような表情。いつもの様子と明らかに違うかなえのその表情を見て、俺は困惑すると同時に——後悔していた。
——やっぱり何か重要な用件だったのだ。それを俺が忘れていてかなえは失望しているんだろう。きのう無理をしてでも考え続けるべきだったのだろうか。
そんな思いが頭を駆け巡っていって、俺はすぐに何かを口に出そうとした。
けれどかなえがそんな儚げな表情を浮かべていたのは一瞬で、かなえが一度アイスティーを飲むために視線を下げ、また俺を見たときにはもう消えていた。
次にその顔に浮かんでいたのは、あのいつものかなえのようににこやかな笑みをたたえた表情だった。今度は、かなえの短い髪によく似合う、あのえくぼもしっかりとできていた。
「そっか、そっか。それじゃあ約束どおり、わたしから教えてあげるね!」
かなえは今までの態度が嘘であったかのように、ぽんっと手を打つと、明るく元気な声を出して俺に向かってそう言った。その突然の豹変に困惑している俺をよそに、かなえは話を続ける。
「えっと用件っていうのはね。実はわたし——」
そういってかなえはテーブルを乗り越えるように上半身ごと俺に近づいてくる。そして俺の耳元に顔を近づけると、そっと告げてきた。「——そろそろまた髪を伸ばしてみようかなって思ってるの」
「……は?」
髪を、伸ばす……だって? 俺はその言葉の意味がわからなくて堪らずに聞き返した。
「え? 今なんていったんだ?」
「だからね。わたしそろそろまた髪伸ばしてみようかなって。ほら去年までわたしこのくらいまで髪の毛あったでしょ?」
けれどかなえは先ほどと同じ言葉を繰り返して、最後に自分の胸のあたりを手で示す。
確かにかなえは去年までその辺りまで髪は長かった。また伸ばすのも分かる。個人の自由だ。けどそれを俺にいうことがなんで手紙に書くほどの用件なんだよっ! そんなの部室で話せばいいじゃないか!
「どうして……。ていうか、えっ、なに? 用件って、それが?」
「うん、そうだよ」
呆気にとられている俺を見て、かなえは嬉しそうに続ける。
「——手紙を解いてもらうのが目的だったからね! 別に用件なんてなんでもよかったんだよ」
どん! と背後にそんな文字が見えそうなほど胸をはって答えるかなえに、俺は思わず声を荒らげる。
「いや、いやいやっ! でもお前、さっき俺が分からないって言ったら明らかに悲しそうな顔を浮かべたじゃないか。 それにここに入ってからずっと様子がおかしかった。あれはどういうことだったんだよ!」
俺の追及の言葉に、けれどかなえはしれっと告げた。
「ああ、あれ? あれはただそんな雰囲気を私がつくっていれば、たけるくん、なんかわたしに隠していることがあったらぺろっと言ってくれるかなって思ってさ? よかったよ、特に何も言い出さなかったってことは、やましいことは何もなかったんだ?」
それを聞いて俺はガックリと頭をうなだれるのだった。……おいおい、勘弁してくれよかなえさん……。これでも結構時間使って考えたのよ? ほぼ徹夜までした俺の苦労はなんだったんだよ。
「でもさ、結構楽しかったでしょ? 謎を解くのって」
「……まあ、それは否定できないな」
無邪気にそう聞いてくるかなえに、俺は確かにと首を縦に振る。
だけど。
だけど、疲れた。もうしばらくは謎解きはいいやと俺の心は思うのだった。
「あ、そうだ! このあとたける君の家に寄ってってもいい? 実は友達から面白い話を聞いたんだー。陽子ちゃんが好きそうな話をね」
そんな全身の力が一気に抜けた俺に、かなえはそう提案してくる。俺は特に考えることもせず、力なくうなづいたのだった。
それから俺たちは店を出て、俺の家へと向かった。もちろん途中で約束どおりデラックスプリンを買ってだ。
かなえには先に行ってていいぞと言ったのだが、いいよ一緒に行こうと断られたので、その代わり俺がかなえの自転車を押していくことにした。暑い日差しの中を自転車を押して歩くのは結構辛い作業だった。
「ただいまっと」
「お邪魔しまーす」
やっとのことで家にたどり着いた俺たちが2階にあがり部屋に入ると、ベッドに寝転がって本を読んでいた陽子が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「お〜待っておったぞ! 私のプリンよ!」
俺の手からプリンの入った袋を奪い取り、さっそく中をあらためてプリンをひとつとそれからスプーンを取り出すと、蓋を開けて食べはじめた。
「う〜うまいッ! 最高じゃ!」
そうしてひと口ふた口食べ進めた後、陽子はスプーンを操る手を止めてちらりと俺の背後のぞき見た。どうやらようやくかなえがいることに気がついたようだ。
「おーかなえではないか。久しいのう、2週間ぶりくらいか?」
「やっほー陽子ちゃん。うん、それぐらいかな」
かろやかに挨拶を交わし合うふたり。そして陽子はなぜだか俺に一瞬視線を送って、またかなえに話しかけた。
「ふむ。それより悪かったの、かなえ。こやつが唐変木で」
「あはは、やっぱり陽子ちゃんにはわかってたんだー」
「うむ当然じゃ。私に解けぬ謎などないのじゃからな」
かなえに向かって、プリンを持ちながらえっへんと胸をはる陽子。それを見て俺は不思議に思う。
「なんの話だ?」
「えへへ、秘密。もしかしたら来年ぐらいにまた教えてあげるかもね?」
「なんだよ、それ。また冗談か?」
「さあどうかな?」
そう言って笑うかなえに、俺は肩を竦めた。
「ま、いいや。それより座ろうぜ。俺は歩き疲れた」
俺のその言葉で3人はそれぞれ、かなえが椅子に、俺と陽子はベッドに腰掛けた。クーラーのガンガンにかかった部屋で俺たちはしばらくひと休みする。
その間、陽子は至福の表情を浮かべて、ひと口ひと口大事そうにずっとプリンを食べ続けていた。陽子がプリンを口に入れるたびにおおきな尻尾がゆさゆさと揺れていた。どうやら相当おいしいらしい。プリンの前では妖狐もかたなしだな、と俺は思って笑った。
そうして俺は視線をかなえに移した。
「そういえばかなえ。なんか話があるって言ってなかったか?」
かなえもかなえで微笑ましそうに陽子のことを見ていたが、俺の言葉でこっちに顔を向けると、
「あ、うんまあね。でも陽子ちゃんまだ食べてるからあとで話そうかなって」
「それなら大丈夫だ。陽子は聞いていないようでいつもちゃんと話を聞いてるみたいだから、興味が湧いてくれば自然と集中して聞き出すさ」
「そう? 分かった。じゃあ話すね。んんっ——あのね、これは友達に聞いた話なんだけど——」
そうしてかなえは話し出す。友達から聞いたという世にも奇妙な話を。話が佳境にはいる頃には、いつの間にか陽子もすっかり話にのめり込んでいった。
それでこのかなえの話をきっかけに、俺たちはまた新たな謎に巻き込まれていくのだが、それはまた別の機会に。
——了。
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