5(白椿通りにて)

 すっかり日も暮れた空の下、陽子に家を追い出された俺は自転車を走らせていた。昼間にかいた汗でしっとりと湿った制服を着ている身としては、肌寒ささえ感じられる夏の夜の風を浴びながら、せっせとペダルを漕いでいく。


 目的地は商店が多く立ち並ぶこの街の目抜き通り——白椿しろつばき通りだ。


 その名の由来は、通りの両脇に街路樹として3月ごろ白い花を咲かせる椿が植えられていることに起因する。昔——といっても精精20年程まえのことだが——地元の商店街組員の人たちが、寂れゆく商店街をなんとか立て直そうと案を出し合ったらしい。そしてそのときに採用されたのが、白い花を咲かせる椿の木を街路樹として植え、商店街自体を観光地化することによって活気を取り戻そうという案だった。


 苦肉の策だったのであろうが、結果的にそれが功を奏して、毎年白椿の咲く季節になると商店街には多くの観光客で賑わいを見せるようになり、地元の人たちにもそれ以来白椿通りと呼ばれて親しまれてきた。


 もちろん俺もよく利用している。学校からも家からも近く、書店やカラオケ、カフェなどが集まっているこの場所は何かと便利で、よく学校の連中と一緒に来たりしている。今日も本来であれば学校帰りにここにある書店に寄ってくるはずだった。忘れてたけど。


 そんなことを考えながら自転車を走らせること5分。


 白椿通りのまえにたどり着いた俺は、まず自転車をとめるために駐輪場へと向かった。この商店街は観光地化を推進しはじめてからは、安全性のため9時から19時まで歩行者天国となっており自転車や車は通ることができない。だから自転車で来るときは併設されている駐輪場へとめなければいけないのだ。


 いまの時刻をさっきスマホで確認したら18時40分だったから、少しまてば通れるようにはなるんだけど、俺にはそんな時間の余裕はなかった。なにしろ30分以内に帰らなければいけないのだ。先ほどの陽子のあの様子から、こんど遅れればどんな目にあうのかは火をみるよりも明らかだった。


 ——あーもうっ! なんで俺こんな理不尽な目にあってんだよ! 手紙のことだってどうすればいいか考えなきゃいけないってのに!


 思わずそんな本音が頭に浮かんでしまう。


 が、どうしようもない。悲しいかな、俺はどうも陽子に甘いらしい。なんやかんや言いながらも陽子のわがままに付き合っているのがその証拠だ。


 というか、陽子が——実際は何歳であれ——いたいけな幼子の姿をしているのが悪い。これが俺と同い年ぐらいの見た目であれば話が違ってくるはずだ。


 だって、いったい誰がおさない子どもが悲しむ姿を見たいと思うだろうか。


 もしいても、そんなやつ絶対ろくな大人にならないはずだ。いや知らないけれども……。


「……さてと、まずは書店からいくかな」


 そんなどうでもいい考えを巡らせながらも、混雑した駐輪場にたどり着いた俺は、わずかながら空いているスペースを見つけると、そこに自転車を押し込んだ。そうしてスタンドを下げ鍵をかけると、そう呟いて街灯に照らされた賑やかな通りの中を進んでいくのだった。




 それから10分後。


 無事、書店で『桜宮静さくらみやしずかの執事』の新刊、スーパーで醤油とついでにプリンを買うことができた俺は駐輪場まで戻ってきた。


 案の定あとから詰め込まれた自転車の群れから自分のを引っ張り出し、荷物をカゴに入れ、さて帰ろうとサドルにまたがろうとしたところで、


「おーい! たけるく〜ん!」


 と声をかけられた。みると、かなえがちょうど自転車でやってくるところだった。制服を着ているので、学校から帰る途中で寄ったみたいだった。俺は手をあげてかなえに応える。


「おうかなえ。さっきぶりだな」


 かなえは俺のまえまでたどり着くと、自転車から降りた。


「へへ、偶然だね。たける君も買い物?」

「ああ、陽子のやつに頼まれて本を買いにな。あと母さんに頼まれて醤油も」


 前かごに入れた荷物を指差してそう答え、俺もかなえに尋ね返した。「かなえは?」


「わたしはあし……じゃなくて! えっとわたしも本屋さんに行こうと思っててっ!」

「お、おうそうか」


 なぜか途中から熱量をあげたかなえの返答に俺はすこし気圧される。


 その隙にかなえは逃げるように、俺がとり出したことで空いた駐輪スペースへと自転車を止めるために動き出した。


 いつもならそんな様子のおかしいかなえにつっこむところだが、俺は特に何も言わず黙ってその様子を見ていた。


 手紙のことを考えていたからだ。


 ここでかなえに会うことができたのはチャンスじゃないか。手紙を無くしたことを謝って、できることならその複製かなんかを貰うための絶好の機会だ。メールだと言いづらいと思っていたが、対面ならいける。


 そう決意した俺は、自転車を停め終えたかなえに向かって話を切り出した。


「——あのさ、かなえ……手紙のことなんだけど……」

「あー。大丈夫、わかってるよ」


 だけどかなえは俺が最後まで言葉を続けるまえにそう言ってうんうんと頷きながら手で制してきた。


 そしてかなえはそのまま俺のもとまで戻ってくると自信満々でこう言った。


「——ヒントが欲しいんでしょ?」


 かなえはにやにやしながら俺のことを、もう〜しょうがないな〜たける君は〜、という風に見つめてくる。俺は内心で頭を抱えていた。


「いやちが……」


 俺は訂正しようと口を開きかけるが、先にかなえが続けてきた。


「——きょうの部室での会話を思い出してみて。ヒントになるようなことは、わたしぜんぶ言ったはずだからさ!」


 それだけ言うとかなえは、俺の返事も待たずにくるりと身を翻すと「じゃあね」と言って走り出した。


「あ、おいちょっと待ってくれかなえ! 俺の言いたかったことはそうことじゃ……」


 そんな俺の声も虚しく、かなえは振り返ることなく商店街の中へと走りさっていってしまった。


「……あーあ、いっちまった……」


 ぽつんとひとり残された俺は仕方なくサドルに跨ると、帰路へと向かって自転車を走らせることにした。


 夜風を浴びながら考えるのはやはり先ほどのかなえとのこと。


 言い出せなかったことを悔やむと同時に、なんか今日のあいつテンション高いなー、と俺は不思議に思うのだった。

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