7(狐の窓)

「——ふむ、なるほどの。……つまり私にお主を覗かせ、その手紙とやらを複製しろと、そう言っておるわけじゃな?」


 どうやら俺はあまりの発見に興奮して冷静さを失っていたらしい。


 陽子に頭を叩かれ冷静になった俺は脱衣所まで戻り、置きっぱなしにされていた服を着て部屋に戻ってきた。


 それからまた不機嫌になってしまった陽子をなんとか宥めすかし、どうして俺があんな暴挙に出たのかを含めて、これまでの経緯いきさつをぜんぶ説明した。最初からぜんぶだ。


 かなえに手紙をもらったこと。


 それにはかなえが考えた謎解きが書かれていたこと。 


 けれどそれを誤って失くしてしまったこと。


 だから陽子の力を使って複製してくれないかということ。


 全てを話し終わるまで、陽子はベッドに腰掛けながら腕を組んで黙って聞いていた。まだ怒っているらしく、口をへの字に曲げてだ。


 床に正座をしながら話をしていた俺は、ちゃんと聞いていてくれているのか分からないその様子に戦々恐々としていたが、幸いなことに陽子は俺の話が終わると冒頭のように口を開いてくれた。

 

 俺はかなえに向かってうなづく。


「どうだ、やってくれるか?」


 だが。


「——嫌じゃ。なぜ私がそんなことをせねばならん。アレをやるのは疲れるのじゃ」


 ばっさりと拒否される。けれどそれでハイそうですかと諦めるわけにはいかない。いまは陽子だけが頼りなのだ。俺はなんとか陽子に了承してもらうため説得をはじめる。


「やってくれたらさ、かなえが考えた謎が解けるんだぞ?」


 かなえは俺に対して陽子に助言を求めることは禁止するが、手紙自体は見せても構わないと言ってくれていた。謎解きが好きな陽子からすれば、これだけでも十分やってくれる理由になるはずだった。


 けれど。


「よい、今日はもう本とプリンでお腹いっぱいじゃ」


 またもやあっさりと断って、ぷいっと顔までそらす陽子。


 ……この野郎、いつもなら『謎じゃ謎じゃ〜! 私には謎が足りんのじゃ〜!』とかなんとか言って駄々をこねてるくせにっ!


 そう思うが、俺はお願いする立場。ここは下手したてにで続けるしかない。俺は媚を売るように両手をすりすりとこすり合わせると、陽子に向かって猫なで声を出した。


「頼むよ陽子ー。やってくれたら明日、商店街で売ってるデラックスプリンを買ってきてやるからさ〜」

「え〜い気持ちわるい声を出すのでない、鬱陶しい…………じゃが、デラックスプリンとな?」


 はじめて陽子がわずかに興味深げな視線を俺にくれた。腕を組んでそっぽを向いたままだが、目だけをちらちらと俺に向けてくる。


 その様子に、にやりと俺は内心でほくそ笑んだ。——釣れた。陽子は明らかに興味を持っている。我慢しているようだが、尻尾がぷるぷると震え始めているのがその証拠だ。チャンスを見た俺は、ここぞとばかりに攻め立てた。


「ああ、あの高級プリンだ。それも——」


 ここで勝負を決める。俺のすべてをつぎ込んで陽子に力を使ってもらうことを了承させてやる。出し惜しみは無しだ。


 さようなら。俺の小遣い。お前のことは決して忘れない。だから力を貸してくれ。俺は必ず本懐を成し遂げてみせる!


 決死の覚悟を決めた俺は、陽子に向かって一気に手のひらを広げた。


「——それも5つだ」

「——乗った!」


 血の涙を流した代償は無駄ではなかった。


 陽子はそう叫んでベッドから勢いよく立ち上がると俺のもとまでやってくる。そしてにやりと笑って右手を差し出してきた。


 俺も同じく笑みを浮かべると立ち上がった。足が痺れていてもつれそうになるがなんとか我慢する。


 俺たちは互いに見つめ合うと、がっしりと握手を交わした。小さな手が俺の手をしっかりと握りしめる。


「くくっ、お主も悪よのう」

「いえいえ、妖狐さまにはかないませぬわ」


 しばらくそのままふたりで笑いあい、様式美を行っていた俺たちだったが、時間が惜しいとさっそく準備に取り掛かることにした。


 準備といっても複雑なことは何もない。


 陽子が手紙を書き写すための紙とペン、それと下敷きを用意するだけだ。


 すぐに準備は完了する。


「——ではそこに立つのじゃ」


 陽子はベッドの中央に立つと、その対面の位置に俺を誘導する。俺はその通りに移動した。そうすると、ベッドの高さを借りた陽子の目線の高さがちょうど俺の胸のあたりになる。用意したペンなどは陽子のそばに置いてあった。


「して、お主が確実にその手紙を見ていたのは何時ごろかわかるのかの?」


 陽子の問いかけに、俺は思い出す。


 きょう俺は、LHRロングホームルーム——つまり6限のチャイムが鳴ってすぐに教室を飛び出した。そして昇降口まで立ち止まることなく一目散に駆け抜けていった。おそらくチャイムが鳴ってから3分と経たずして靴箱のまえまでたどり着けていたことだろう。そして俺の高校では、6限は15時30分に終わる。

 

 だから——。


「——15時30分から35分の間ぐらいだと思う。どんなに遅くても15時40分までには確実に見ているはずだ」

「ふむ、それは僥倖じゃ。まさかそんなに正確な時刻が分かるとはの。お主にしては用意がいいの」

「……お前なぁ、俺をなんだと……はあ、まあいいや。さっさと覗いてくれ」


 からからと意地悪く笑う陽子に向かって俺は呆れながら続きを促す。もうこれ以上時間は無駄にできない。俺は一分一秒も惜しいのだ。


「まあそうくでない。まったく、からかいがいのないやつじゃのぅ」


 そう言うと、陽子は俺に向かって両手を突き出し、独特の手の形を作りだしていく。


 ——狐の窓。


 古くからそう呼ばれる手の組み方だ。俺ははじめて陽子のその組み方と能力を見たとき、気になって図書館で調べたことがある。そして一冊の本を見つけた。しぐさの歴史について書かれた本だった。それによると、狐の窓とは本来、この手の組み方でできたと呼ばれる隙間を通して外界をみると、いつもはみえないものが見ることができるというのだそうだ。例えばその本によると、晴れているのに雨が降っている天気のことを『狐の嫁入り』ともいうが、そのときにこの狐の窓を覗くと本当に狐の嫁入りしているところが見えるらしい。あるいは、人間に化けている妖怪といった類の正体を見抜くことができるとも書いてあった。


 だが、陽子の言うような覗いた相手の過去を見ることができるという記述はなかった。その理由がただ単に知られていない狐の窓の特性なのか、はたまた陽子の特異性によるものなのかは分からない。けれどおそらく後者であろうと俺はみていた。特に理由はない。ただなんとなくだ。強いて言えば、陽子は妖狐であるのだ。そんな特異性を持っていたって不思議ではないだろう?


 俺がそんなことを考えている間に、陽子は狐の窓を完成させていた。


 そうして陽子はゆっくりと窓を覗いていく。


 その瞬間、俺の背筋にぞわりという感覚がはしった。

 

 まるで全身という全身の毛穴を望遠鏡でつぶさに覗かれているような、そんな感覚。俺のすべてを見透かされているようなその感覚を、なんど経験しても俺は慣れることはなかった。


 そんな俺のことを、陽子はただじっと狐の窓を通して見ていた。


「——ふぅ」


 やがて覗いた時と同じようにまたゆっくりと狐の窓から目を離した陽子はおおきく息を吐いた。どうやら終わったようだ。陽子は狐の窓の形に組んでいた手をほどくと、そのままベッドにぺたりと腰を下ろした。

 

 それと同時に、俺の抱いていた奇妙な感覚も霧散していく。その解放感から俺もほっと息をはいた。


 それから陽子は用意しておいた紙とペン、下敷きを手に取るとさらさらっとペンを走らせていく。そして完成したらしきそれを俺に向かって差し出してくる。


「——ほれ、できたぞ」


 俺は受け取って渡された紙を見てみる。もちろんそこに手紙の複製が書いてあることを期待してだ。だが、違った。そこにはなめくじが這った後みたいな字が並んでいた。文のようになっているのは辛うじてわかるのだが、いくらなんでも字が汚すぎる。まったく読めなかった。


「……すまん陽子。言いにくいんだが……俺にはお前の字が汚すぎてなに書いてあんのか全然分からない」

「なッ! バカなこと言うな! 私は達筆としていくども時代に名を馳せたのじゃぞ! それをこともあろうに字が汚いとはッ! お主は何をぬかしておるのじゃ!」

「いや汚いものは汚いんだって。ほら自分でももう一度見てみろよ、ミミズみたいだろ?」

「バカものッ! それは草書体で書いてあるのじゃ! 貸せ! まったく、これだから現代の若者は……ほれ、これでいいんじゃろ」


 と、ぶつくさ言いながらもちゃんと書き直してくれた紙には、こんどこそ確かに昼間見たような文字が並んでいた。達筆というのは嘘ではないらしく、書きなおされた字は確かに綺麗で読みやすい。内容については細かいところまで覚えていないが、ここは陽子の力を信じることにする。


「ありがとう、陽子。恩に着るよ」

「うむ。デラックスプリン、忘れるでないぞ……」


 そう言うと陽子はパタリとベッドに倒れ込んでしまった。どうも力を使うと疲れるというのは本当らしいのだ。いつも陽子は俺のことを覗き終わるとしばらく休憩が必要になる。そしてその疲労度は使う時間に比例して増大していくらしい。今回はピンポイントで時間が分かったので、力を使う時間が短く済んだ。だからだいぶマシなようだ。その証拠にすぐに頭をもたげて俺のことを見てきた。なぜだかにやにやと笑みを浮かべながら。


「なに笑ってんだよ、陽子?」

「いや、なんでもないわい。ただちょっと微笑ましかっただけじゃ」

「微笑ましい?」


 陽子は俺の疑問の声に答えず、話を変えてきた。


「それはそうと……、その謎解き。私が手伝わなくても大丈夫なのかの?」

「ああ大丈夫だ。これは俺ひとりで解いてみるよ」

「そうか。うむ、それがかなえのためにも良いじゃろうな」


 それだけ言うと、陽子はまたぱたりと頭を下ろした。このままもう寝るつもりなのだろう。


 俺はクーラーで冷えないようにそっと布団をかけてやると勉強机に向かう。そして手紙の複製をあらためて睨みつけた。

 

 ここで安心するのはまだ早い。これはまだ、スタート地点に戻ってきただけなのだから。明日の放課後までにこの謎を解かなければならないのだ。

 

 時計を見ると、現在の時刻は22時を少し過ぎたところ。まだ時間は十二分にある。


 あとは頭をフル稼働させて謎を解くだけだ!

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