悪魔城。

 とある一室。

 直輝と少女は時々言葉を交わしながら、部屋を物色していた。

 少女を人間に戻す薬の手がかりを一向につかめないでいた直輝は、書物が大量にあるこの部屋を見つけ、何か手がかりをつかめないかと書物を漁ってみることにしたのである。

「う~ん、これもだめ。まず何語なのかもわかんないし……」

「あー。まあ俺は、日本語意外だったらもうわかんないけどね。」

 二人は少し前から、少し言葉を交わすようになっていた。

 この城内に入ってから二人は、短い時間の中でいくつもの出来事を共有した。その影響か、直輝と少女は少しだけ、ほんの少しだけ打ち解け始めていた。

「でもアルファベットってことは、人間の言語ではあるのかなぁ?」

「あー、確かに。」

 そう答えた直後、直輝は一つの小箱を見つけた。

「……。」

 その小箱のすぐ側には、小さな冊子も置かれていた。

「っ……。」

 直輝はその冊子を見て、少し驚いた。

 その冊子には、日本語の文章が書かれていたのだ。

「どうしたの? なんか見つけた?」

 そう少女が直輝に言った直後、突然部屋の扉が開いた。

 そして、一人の老婆が入ってきた。

「ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ」

 黒いドレスを着た老婆は、不気味な声で笑いながら、二人にゆっくりと近づいてきた。

 少女は目を見開いて、老婆を見つめた。

「イヒッ。頑張ってるねぇ」

 老婆はそういうと、二人の顔を交互に見ながら言った。

「そんな二人にねぇ、イイコトを教えてあげようと思ってね」

 シワだらけの顔に、更にシワを作りながら老婆は続けた。

「お二人さんが探している薬なんだけどねぇ……。そんなもの、ないんだよ」

 老婆は嬉しそうにそう言った。

「嘘じゃないよ。そもそもその娘を悪魔にしたのはアタシだからね」

「……私、この人、見覚えある……」

「イヒヒヒヒ。覚えているのかい。そうかいそうかい。イッヒッヒッヒッヒッヒッ」

「じゃあ、どうしたら彼女は人間に戻れるんですか?」

 そう訊いた直輝を、老婆は可笑しそうに見返して言った。

「この娘を人間に戻す方法なんてないよ。なんたってこれは、呪いのようなものだからね。ヒッヒッヒッ」

「……」

「有事の際のために人間に戻す薬を作っておいて欲しいとは、頼まれてたんだけどねぇ……。そんな都合の良い薬、作れるわけないでしょう」

「……。」

「ヒッヒッヒッ。でも、姿形は人間と変わらないんだから。そのままでも人間に紛れてやっていけるんじゃぁないかねぇ。最初からそうすればよかったじゃないか。ヒッヒッヒッ」

「貴方が彼女を悪魔にしたのなら、それができないのはわかってるんじゃないですか。」

 直輝も最初、同じことを思った。

 悪魔にされてしまったと言われても、少し魔力を使えるだけで姿形には特に変化が見られない。

 ならば、精液を奪うため人間世界に送り出されたまま、悪魔城に帰らなくてもよかったのではないかと……。

 だから直輝は、なぜそうしないのか、できないのかを、既に少女から聞いていた。

「ヒッヒッヒッ。なんだ、知っていたのかい。つまらない。ヒッヒッヒッ」

 彼女の悪魔化は、まだ不完全である。故に、彼女は悪魔の力をほとんど制御できない。

 例えば、鏡や写真にうつらない、影ができない。彼女は、常にそんな状態になる可能性を秘めている。それだけでも、人間社会で生きていくのは難しくなる。

 しかし、それだけではない。彼女は悪魔の弱点と言われているあらゆるもので、命を落とす危険性がある。日光、水、十字架……、彼女にとっては何がいつどんな影響を及ぼすか、わからないのだ。

 更に、側にいるだけで男の性欲を暴走させる可能性や、自身の意思に反して男と性的な交わりに興じてしまう可能性もある。

 いつ、自身の力や性質がどのように変化するのかわからない。そんな状況では、少なくとも今までのような生活は送れない。

「でもね、全く可能性がないってわけじゃあないんだよ? ヒッヒッヒッ」

「……、本当ですか。」

「ああ、本当さ。今はね、まだ悪魔化が不完全だから、上手く力を制御できないんだよ。つまり、ある程度完全な悪魔になれば悪魔としての性質は安定し、力も制御できるようになる。完全に、悪魔になればいいのさ」

「……。」

「ベースはスクブスだからね。色んな男を誘惑し、体を交え、精液を奪い獲ればいいさ。そうすれば、今よりもっと悪魔化が進むよ。ヒッヒッヒッ」

「他に方法は……。」

「ないね。私の呪いは、薬や呪術なんかで解けるような、そんな生半可なもんじゃないよ。ヒッヒッヒッヒッヒッ」

「そうですか。わかりました。ありがとうございます。」

 直輝は老婆にそう言うと、少女の方を向いて言った。

「この部屋に手がかりはなさそうだし、もう行こう。」

「えっ。あっ、うん……」

 直輝は再び老婆の方を向いた。

「ありがとうございます。では、これで。」

 そう言って少女の方に歩み寄る直輝に、老婆は言った。

「んん? どこに行く気だい? ヒッヒッヒッ」

「何か他に方法がないか探しに行きます。」

「その呪いを生み出したアタシがないって言っているのに。まったく……。ヒッヒッヒッ。アンタ達に一つ、提案をしてあげよう。ヒッヒッヒッ。かな。アンタはもう、サクブスになる以外に道はない。ならば、最初に交わるのはその男にしたらどうだい?」

「えっ?」

「ここまでその男は、アンタのために体を張ってくれたんだ。そのお礼も兼ねて……、ね。ヒッヒッヒッ」

「……」

「そんなお礼、俺にとってはお礼になんてならないし、彼女は人間に戻」

「アンタには言ってないよ。黙んな。さぁ、どうだい? かな」

 老婆の言葉<i>を</i>受け、少女は少し沈黙し、その後直輝の方を向き、言った。

「……ねぇ、木村」

「……。」

「いいよ」

「……。」

「木村だって本当は、したいんでしょ? 本当だったら私は、最初の時点で木村とするつもりだったし……、もう、諦めてたから……。でも、木村はここまで頑張ってくれた。ありがとう」

「……。」

「ごめんね。私のために……。でも、もういいよ。だってもう……」

「……。」

「木村……。私と、エッチしよう」

 そう言うと少女は、直輝の方へと歩みよった。

 少女は、直輝の目の前まで来ると立ち止まり、直輝の目を上目遣いで見つめた。

 直輝も、少女の潤んだ瞳を見つめた。

 少しの沈黙が流れたあと、少女は目を瞑った。

 それでも直輝は、少女を見つめ続けた。

「……。もしかして木村、キスするのも始めてなの?」

「……。」

 少女は再び目を瞑り、直輝に顔を近づけた。

 直輝の唇と、少女の唇の、距離がゆっくりと縮まっていく。

 そして、直輝は少女のキスをかわした。

「……、木村……」

 そして、少女から離れた。

「行こう。」

「……」

 少しの間、沈黙が流れた。

 その沈黙に、しばらく黙っていた老婆が終止符を打った。

「おい、アンタ。女の子にそこまでさせておいて。なんなんだい、アンタは。アンタ、それでも男かい!」

「……俺は俺だ。男であるよりも、生物であるよりもヒトであるよりも男であるよりも、なんであるよりも俺は俺だ。俺の生き様曲げるのが、好きな女の子泣かせるのが男だってぇんなら、俺は男でいようとは思わねぇ。」

「くぅぅぅ、なんなんだいアンタは! もういいよ」

 老婆がそう言い終わった途端に、部屋の扉がひとりでに閉まった。

「アンタがその子と交わらなくたってねぇ、結局その子は好きでもない男達と体を交えるんだよ。その子はもう、サクブスとしてしか存在できないんだからねぇ」

 そう言うと老婆は宙に浮き上がり、手を前にかざして何やらぶつぶつと呟いた。

 すると、老婆に手の平を向けてられている床の上に、突如二メートル程の土色をした大男が現れた。

 黒い海パンの様なものだけを身につけた大男は、少女を見つめ、突然走り出した。

 直輝はすかさず、少女と大男の間に入り込んだ。

「フゥ、フゥ、フゥ、フゥ」

 息を荒くした大男はそれに構わず、直輝ごと少女を突き飛ばした。

「わっ!」

「きゃっ!」

 直輝は倒れる最中、少女を下敷きにしてしまわない様なんとか体をずらしつつ、少女の後頭部に手を回した。

「ごめん。大丈夫。」

「う、うん……」

 少女の返答を聴きながら立ち上がろうとした直輝は、突然強い衝撃を受け横方向にふっ飛ばされた。

「フンッ、フンッ、フンッ、フンッ」

 直輝を突き飛ばした大男は、少女の顔の両脇に手をつき奇声を発した。

「ウァァァァァァァ!」

 少女の顔の脇に、大男の唾液がボタボタとこぼれ落ちた。

 直輝は素早く立ち上がり大男に駆け寄ると、大男の横顔を思いっきり蹴り飛ばした。

 が、大男はびくともしない。

 直輝は何度も大男の横顔を蹴りつけたが、大男はびくともしない。

「無駄だよ」

 老婆が言う。

「そいつには私のとっておきの魔法がかかっている。そいつを中心とした半径三メートルの空間内では、そいつにいかなる攻撃も術も通用しない。そいつは無敵だよ」

 老婆は宙に浮いたまま、直輝の方へゆっくりと近づいてくる。

「でもね、一つだけ例外がある。そいつの無敵空間内では、だれでも自由に自分にある呪いをかけることができるんだ。その呪いにかかっている者だけは、そいつを傷つけることができる」

 老婆はニタァっと笑う。

「その呪いにかかった者がセックスをした瞬間、相手を愛している場合にはその相手が、相手を愛していない場合には自分の最も愛する者一人が、愛している者がいなければ自分が死ぬ。永久に解けない呪い」

 老婆は天井すれすれまで浮かび上がり、直輝を見下ろす。

「もう一度だけ、チャンスをあげよう。アンタがその娘と今ここで、セックスをするならその男を消してあげる。でももし断れば、アンタの目の前でその男にその娘を犯させて、その後アンタを殺させる」

 老婆は急にまじめな顔になり、床にゆっくりと着地した。

「好きでもない男とのセックス。それでその娘は、サクブスとして完成する。その娘はもう、サクブスとして生きるしかないんだよ。いつまで意地張ってんだい? いつまで格好つけてんだい? アンタだって本当は、かなとしたいんだろう? 今までアンタはかなのために頑張ってきた。報われたって、良いんだよ。それに、かなにとってもそれは、イイことなんだ。必要な、ことなんだよ」

「……。」

 直輝は、大男の方に向き直った。

 そして、大男の横顔を思いっきり蹴り飛ばした。

「フンッ!」

 続いて、低く呻いた大男の脇腹付近を思いっきり蹴飛ばした。

 大男は蹴り飛ばされ、呻きながら横方向に仰向けに倒れた。

 直輝はすかさず大男の股間を思いっきり踏みつけた。

「なっ……、アンタ、まさか」

「残念だったな。俺は一生、童貞だ。」

「なっ……」

「こんな呪いに、意味はねぇ。」

 そう言うと直輝は老婆に駆け寄り、右拳で老婆の顎を突き上げた。

「ウッ!」

 老婆は床に崩れ落ち、大男の姿は消えてなくなった。

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