7
悪魔城。
最上階、踊り場。
直輝と少女が階段を上り終えると、そこには大きな扉があった。
今までの階段は、踊り場と廊下が直結していた。
しかし、今回は踊りに数メートル程の高い壁が聳え立っており、そこには大きな扉がついていた。
「開けるよ。」
「うん」
……。
先程現れた老婆の話によれば、少女はもう、人間に戻ることはできないということになる。
しかし、あの老婆が本当のことを言っていたという保障も、あの老婆の知らない手段がこの城に存在していないという保証もない。
そう考えた直輝は、取り敢えず城の全域を回ることにしたのだった。
そしておそらくここが、まだ到達していない最後の場所である。
二人の前に聳え立つ、くすんだ白い壁。
大きな扉。
直輝はそれを、ゆっくりと開いた。
そこには、大広間が広がっていた。
広間の奥は数段分高くなっており、そこには巨大な玉座が置かれていた。
そしてその上に、一人の男が座っていた。
灰色の肌。褪せた金色の短髪と顎鬚。黒いマントと褌。
「待っていたぞ。直輝とかなよ」
筋骨隆々としたその男は、玉座に座したままそう言った。
「私は魔王。この悪魔城の城主だ」
魔王は更に続けた。
「話は聞いておる。かな、そして直輝よ。私の部下達が、人類悪魔化計画などという愚かな計画を遂行し、お前達に大変な粗相をかけてしまったようだな。すまない。この通りだ」
そう言うと魔王は頭を下げた。
「だが、」
魔王はそう言いながら頭を上げた。
「非はこちらにあるとは言え、私の大切な部下達に手を出されて放っておけるほど、私はできた人間ではない。いや、そもそも人間ではないがな」
「……。」
「だがやはり、こちらに非があることは事実だ。そこでだ。お前達二人と、私が特別に招いたこの男。三人の内二人だけ、今回は見逃してやる」
魔王がそう言っている最中、玉座の後ろから目を瞑った青年が浮上した。
「!」
魔王の後ろに浮遊しているその青年を見て、少女は驚愕した。
「あの人、知ってるの。」
そう問う直輝に、少女は答えた。
「……うん。私の……、彼氏」
「そう。この男は、かなの彼氏だ。お前達二人とこの男、三人の内二人だけ、私は今回見逃してやる。さあ、選べ」
「愚問だな。」
直輝はそう呟くと、魔王に向かって言った。
「彼女と彼を見逃して下さい。」
「ほう……。かなよ。お前もそれでいいのか?」
「……」
「私の部下達の愚かな計画によって、夢魔サクブスとなったお前のために、ここまで諦めることなく体を張って戦ってくれたのは誰だ? お前を守ってくれたのは誰だ? 辛い目に遭っているお前の側にいてくれたのは誰だ? 今、お前の隣にいる、その男じゃあないのか? お前はその男を見捨てて、この、何も知らずに、何もできずに、ただのうのうと過ごしていた彼氏の方を選ぶのか? かなよ。お前はそんな、非常な人間なのか? それで、いいのか?」
「……」
沈黙する少女に、直輝は言った。
「俺が
「フッ。直輝よ。お前も本当に、それでいいのか? お前はここまでかなのために体を張ってきたんだ。今ここで、この男を見捨てても、誰もお前を攻めはしないぞ。むしろ、この男より、お前の方がかなの彼氏に相応しいのではないか? なあ、かなよ。そうは思わないか?」
「……」
沈黙する少女を少し見つめた後、魔王は再び口を開いた。
「直輝よ。お前のそれは、偽善だ。お前はヒーロー気取りなのかもしれないが、違うぞ。お前はただの偽善者だ。お前はかなのことが好きなんだろう? それだというのにお前は、この男、かなの恋人の犠牲になるというのか?」
「……、偽善? ちげぇな。これは狂気だ。偽善者? ちげぇよ。俺はキチガイだ。犠牲になんか、なる気はねぇよ。俺がテメェを、倒すからな。」
「ほう……、そこまで言うのならいいだろう。かなとこの男を見逃してやる」
魔王がそう言うと、少女の彼氏はゆっくりと空中を移動し、直輝達から少し離れた床にゆっくりと崩れ落ちた。
すると、少女の彼氏は目が開いた。
「聞こえていただろう、青年よ。お前が眠っていると思っていれば、かなもお前を見捨て易いと思ったのだがなぁ。結局そうは、ならなかったか。よかったなぁ、青年よ」
魔王は続けた。
「さあ、かなよ、青年よ。約束通り、今回だけはお前達二人を見逃してやる。帰るなり何なり好きにするがいい。ただ、この城の悪魔達は
魔王のその言葉を聞いて、少女の彼氏――青年は言った。
「何だと。……お前」
「フッ。なんだ、その顔は? 元の世界に帰して貰えるとでも思っていたのか? 私はただ、見逃してやると言っただけだぞ。助けてやるとも帰してやるとも、一言も言ってはいない。さあ、好きにするがいい」
「なんて奴だ……」
憤る青年の横を、通り過ぎ、直輝は魔王に言った。
「そんなこったろうと思ったよ。」
魔王はその言葉を訊き軽く微笑むと、口を開いた。
「うむ。では、私はお前を始末するとしよう」
「抵抗は、させて貰うぜ。」
「かまわぬ」
魔王がそう言い終わった瞬間、二人は同時に走り出した。
二人の距離は瞬くに縮まり、手をのばせば触れられる程になった時。
直輝は右拳を魔王の顔面目がけて突き出した。
魔王はそれをかわしながら、直輝の腹部を右拳で突き上げた。
「アゥッ……、ラァ!」
直輝は呻き声を漏らしつつ、左フックで魔王の米神を捉えた。
「……、ツゥゥ……アァ!」
魔王は右手で直輝の肩を抱くように押さえ込み、左膝を腹部に打ち込んだ。
「オゥッ!」
直輝は呻きつつ、自分の腹部へと打ち込まれた魔王の左脚を抱き抱える。
すると魔王は右足で直輝の左肩に跳び回し蹴りを決めた。
それでも直輝は左脚を離さず、両足が空中に存在する魔王を押し倒す様に倒れ込んだ。
そして魔王に馬乗りになると、顔面に両の拳を交互に打ち下ろし始めた。
魔王は顔面に、直輝の拳を食らい続ける。
「すげェ……。魔王と互角……、どころか勝ってる……」
青年が、呟く。
しばらくすると直輝は素早く立ち上がり、間髪いれずに魔王の顔面を思いっきり踏みつけた。
そして素早くその足を引っ込めようとした直輝のその足首を魔王は右手で鷲掴みにした。
直輝はすかさず、もう片方の足で魔王の腹部を踏みつけた。
が、魔王は全く動じない。
「直輝よ……。弱いではないか」
そう言った瞬間、魔王は直輝の足首を掴んだ手を素早く振るった。
直輝は勢いよく床に叩きつけられた。
魔王は直輝の足首を持ったまま立ち上がると、思いっきり腕を振り回した。
直輝は成す術無く、何度も床に叩きつけられる。
魔王はしばらく直輝を振り回すと、数メートル離れた壁に向かって投げつけた。
直輝は激しく壁に叩きつけられ、数メートル下の床へ突っ込んだ。
落下地点には既に魔王がおり、床に激しく打ちつけられた直輝の首を掴んだ。
そして、天井まで跳び上がると床に向かって投げつけた。
直輝は、少女の彼氏のすぐ近くに、勢いよく落下した。
「魔力もない人間風情が、魔王であるこの私に勝てるはずがないだろう」
床へと着地した魔王は直輝の方に向かってそう言うと、玉座の方へと歩いて行った。
直輝は微動だにしない。
そこで……、突然の逆転劇を前にして唖然としていた青年は我に帰り、直輝の許へとかけよった。
すると、僅かに直輝の体が動いた。
「だっ、大丈夫か!」
驚いた青年は、叫んだ。
しかし直輝はそれに答えず、ポケットから小箱を取り出し、少女の彼氏にさしだした。
「これを……、あなたに……、託します……。」
「これは……」
「ヒトの……、強い思いを元に……、魔力を生み出す……、魔法の指輪です……。俺は……、魔力がなくても気合いで悪魔と戦えるから、使わなかったけど……。」
「なら、今から使えば」
「今の俺は……、その指輪が使えたとしても……、魔王に勝つことはありません……。お願いします。」
「……。わかった」
少女の彼氏――青年はそう言うと、直輝から小箱を受け取り、中から指輪を取り出した。
そして、ゆっくりと立ち上がると、玉座の前で仁王立ちしている魔王の方を向いた。
「フッ。その指輪で魔力を生み出すには、相当な強さの思いが必要だぞ。並の人間では、不可能。お前にそれが、できるのか? 何も知らずにのうのうと眠っていた、お前に」
「そうだな。俺は、かなが悪魔にされたなんて知らずに、かなが苦しんでるのに何もできなかった。いや。そのことを知ってからも、さっきから俺は何もできなかった。俺は無力だった……。でも! この指輪があれば! そこの彼には感謝してる。でも、彼にばっかり良い顔はさせねえよ。なんてったって俺は、かなの彼氏なんだからなァ!」
そう言って青年は、左手の薬指に指輪をはめた。
その瞬間。
指輪から強烈な白い光が発せられ、その光は、広間全体を埋め尽くした。
そして……。
光は青年に向かって収束していき、最後には青年を覆うだけとなった。
その光は、青年に吸い込まれる様にして見えなくなり、青年の姿は現になった。
青年は、白を基調とした高貴な衣服に身を包んでいた。そして、その隣には、美しい一頭の白馬が立っていた。
青年は白馬に飛び乗ると、少女の許へと馬を走らせた。
そして、少女の許へ辿り着いた青年は言った。
「遅くなってごめん。かな。迎えに来たよ」
少女は、潤んだ瞳で、今まで直輝に言葉を発したどの時とも違う表情で、声で、青年の名を口にした。
二人は互いに見つめあい、そして、キスを交わした。
その瞬間、ネグリジェ姿だったかなの服は、洋服へと変化した。
かなの見た目の変化はそれだけだったが、その場にいた誰もが、かなが悪魔から人間へと戻ったことを確信した。
「ほう……。人間に戻っただと……。一体どうやって。何が起こった」
驚く魔王に、床に倒れた直輝は言った。
「……決まってんだろ。女の子の呪いを解くのは、王子様のキスだってよう。」
「……フッ、フハハハハハハハ。そうかそうか。滑稽だが、暇潰しとしては十分だ。あの呪いを解く手段があったとは驚いたが、所詮は我が部下達の愚かな戯事。ハッハッハ。いやぁ、面白いものを見せて貰った。だが、これでお前達が無事に人間界へと帰り着ける可能性は万が一にもなくなったな。その女が悪魔であったなら、直輝とでも体を交えサクブスとして完成することで、この城の悪魔達に対抗しうる力を得られたかもしれないというのに……。ただの人間二人ではなぁ」
青年は魔王の言葉を聞きながら、かなに言った。
「かな、乗って」
「うん」
かなは青年の手を借り、白馬に――青年の後ろに乗った。
「しっかりつかまってろよ」
「うん」
かなは、青年のお腹に手を回し、青年の背中に体をぴったりとくっつけ抱きついた。
「行くぞ」
「うん」
かなの返事を聞くと、青年は魔王に向かって白馬を走らせた。
「ほう。私に向かってくるとは。なんと愚かな」
「それはどうかな」
青年はそう言うと、白馬を走らせながら腰に下げていた剣を抜いた。
鞘から抜かれたその刃は、神々しい光を
聖なる剣を右手に握り、愛するものを背中に感じ、白馬に乗った青年は、魔王に向かって駆けて
「ウォォォォォォォォ!」
青年は、聖なる剣で魔王を切った。
その瞬間、
「なっ! グッ、グワァァァァァァァァァァァァ!」
魔王は倒れ、動かなくなった。
「やったか。……もう大丈夫だ、かな」
「うん」
青年は剣をしまい、かなの頭を軽く撫でた。
その後、直輝に向かって白馬を走らせた。
「ありがとう。貴方のお陰で、かなは助かった」
「何を言ってるんですか。貴方が魔王を、倒したんじゃないですか。」
「それも貴方のお陰だ。それに、それまでの間かなを守ってくれた。ありがとう」
「……。」
「さあ、乗ってください。一緒に帰りましょう」
「いや、俺はいいです。二人で行って下さい。」
「何を言ってるんですか。さあ、乗って。これはお礼です。遠慮はいらない」
「……、フッ。三人乗りは、子供ができるまでとっとけよ。」
「なっ……」
「フフッ。俺はやり残したことがあるんで、二人で帰って下さい。俺は大丈夫ですから。さあ、早く。」
「……わかった」
そこで、少女が口をはさんだ。
「いいの?」
「ああ。彼がいいって言ってるんだ」
「そうだけど」
「じゃあ、本当にありがとう。今度、お礼をさせてください」
「木村……、ありがとう」
「……。」
直輝は無言で微笑みを返した。
「じゃあ、行こう」
そう行って、白馬ごと扉の方を向き直った青年に、直輝は言った。
「彼女を、絶対に守って下さいよ。王子様」
「フッ、言われなくとも」
青年は振り向きそう言いながら、扉に向かって白馬を走らせた。
去っていく二人に、いや、少女に向かって、直輝は声を放った。
少女の苗字にさんをつけ、呼んだ。
振り返った少女に、直輝は言った。
「お幸せに。」
二人を乗せた白馬は、扉の向こうへと消えていった。
*
白馬に乗った青年は、右手に聖なる剣を持ち、背中の愛する者を守り、
あっという間に城を抜け、悪魔が塞ぐ門を抜け、人間界へと帰り着く。
愛する者を送り届け、青年はいつもの姿に戻る。
その左手の薬指に、強い力を携えて。
そして二人はいつまでも、いつまでも中睦まじく幸せに暮らしましたとさ。
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