第255話 僕はもう疲れたよ。なんだか、とても眠いんだ
ユグドラシルさんへの言付けを教会本部の人へお願いしてから、僕は自宅へ帰ってきた。
そしてシャワーで汗を流し、夕食を食べてから――今日あった出来事をナナさんに報告していた。
「そうですか、記録を更新しましたか」
「悪いけどナナさんの記録は、この僕が抜かせてもらったよ」
「いえ、それは構わないのですが……」
とりあえず僕は、ドヤ顔でナナさんに勝利宣言をした。
……ただ、もしもこれでナナさんがムキになり、本気でタイムアタックに挑戦されたら、僕はもう勝てないだろう。
「えぇと、最終的に矢切り『パラライズアロー』で駆け抜けたのですか?」
「そうだね、三日かかったよ」
三日だ。挑戦三日目にして、ようやくナナさんの記録を抜くことができた。
「むしろ私としては、申し訳ない気持ちでいっぱいです。そうまでしないと破れない記録を作ったつもりはなかったのですが……」
「…………」
「そもそも私は、元々のマスターの記録を、そこまで大幅に更新しようと思っていたわけではないのです……。申し訳ありませんマスター」
「……いや、いいんだよナナさん」
謝られると逆にキツイわ。
「しかし今回のレベルアップで『素早さ』が上ったそうじゃないですか。ひょっとすると、そのマラソンのおかげでしょうか?」
「んー。どうだろうね。そりゃあ多少の影響はあったと思うけど、三日間の矢切りマラソンのおかげってだけでもないんじゃない? その前にやっていた普通のタイムアタックとかも、結構影響していそう」
あとはあれだな、最近は剣を使うことも多いから、その影響もあるだろう。
剣を使う場合、弓みたいに足を止めて固定砲台ってパターンもないからね。いろいろ動き回ったりもするわけで、それで『素早さ』が上がったってことも考えられる。
「とりあえず、さらなる『素早さ』の向上を目指して、これから
「そうですか、応援していますマスター」
「ありがとうナナさん。目指すはバランスタイプだ。いずれは全ての能力値を同じ値で揃えたい」
そんな究極のバランスタイプに、いずれはなりたい。
「普段のマスターを見ていると、どうやっても『器用さ』だけは確実に伸びていきそうですが……」
「……まぁ、そこだよね」
もしかしたら『素早さ』を上げることよりも、『器用さ』を上げないことの方が難しいかもね……。
「それはさておき、ついにレベル25ですか」
「あ、うん、ついに到達したね。まぁ大体普段通りのペースかな」
「これでいよいよチートルーレットですね」
「そうだねぇ、いよいよだ」
今回のルーレットも、なかなかに重要だ。
なにせ世界旅行出発の日まで、もうあと三ヶ月。是非とも今回は、旅行で使えるチートなんかを手に入れておきたい。
「――それでね、ナナさん」
「はい? なんでしょう?」
「もう僕はレベル25に到達しているわけで、寝たらすぐに天界へ転送される。――とはいえ、僕はまだ寝るわけにはいかない」
「そうですね、ユグドラシル様ですね」
「うん。ユグドラシルさんを待たなければいけない」
ユグドラシルさんは、僕の転送シーンを大層見たがっている。
僕が十歳の頃からのことなので、もうすでに六年も待ち、今回が四回目のチャレンジとなる。
あれだけ楽しみにしているのだから、いい加減見せてあげたい。
「……だけど、今ちょっと問題が起きている」
「問題ですか?」
「僕は今日、ダンジョンマラソンをとても頑張ったので――――とても眠い」
「…………」
結構本気で眠い。まぶたが重い。
「いえ、ですがユグドラシル様を待ちませんと……」
「だけどナナさん……僕はもう疲れたよ。なんだか、とても眠いんだ……」
「このあと死んじゃいそうな台詞じゃないですか……。どこの名作劇場ですか……」
そのくらい疲れているんだ。矢切りマラソンは本当に疲れる。この三日間は、毎日ヘトヘトになっていた。
「そういえば最近マスターは、夕食後すぐに寝ていたようですね」
「そうなのよ。毎日そんな感じだったのよ……」
「ですが、今日ばかりは頑張っていただかないと」
「そうなんだよね。どうしたもんかな……」
もちろん僕も、ユグドラシルさんが到着するまでしっかり起きているつもりではある。
だがしかし、このままだとうっかり寝落ちしてしまいそうなのも事実。
「眠気覚ましに、何か良い方法はないものかな?」
「そうですね、眠気覚ましですか……。一番良いのは、十五分程度の仮眠をとることだと聞きますが」
「一番最悪なやつだよそれ」
前回やったわ。一番やっちゃいけないやつだったわ。
「まぁそれは冗談です。なんですかね、コーヒーでもあったら良かったのですが」
「そうだねぇ。代わりにハーブティーでも飲もうか? ハーブティーにカフェインって入っているのかな?」
「ないですね」
ないんだ? お茶なら大抵入っているものだと思ったけど、ハーブティーはノンカフェインなのか。というか、よく知っているなナナさん。
「ストレッチや散歩とかも良いらしいですね」
「なるほど、案外運動もいいのか。……だけど、もう夜だしなぁ」
今から外を出歩くってのもなんだかな。
「ふむ。でしたらマスター――これを」
「ん? えぇ……?」
それかぁ……。
◇
「アレクー! 来たぞー!」
「ふぇ……?」
「どうなんじゃ!? 今回はちゃんと――――何をしておるのじゃ?」
「あ、はい。フラフープを」
眠気対策の軽い運動として――僕はナナさんからフラフープを渡された。
疲労と眠気でフラフラになりながらも、なんとか頑張ってフラフープを回し続けていたのだ。
フラフラでフラフープ……ふふ。
……あぁ、こんなことで面白くなっちゃうくらい、今の僕は疲れているらしい。
「ユグドラシル様が来られるまで起きていようと、このようにマスターは頑張っていたのです」
「ん? おぉナナか、邪魔しておるぞ。……えぇと、それでつまり、アレクはまだ寝ていないのじゃな?」
「そうです。褒めてあげてください」
「まだ子供も寝ない時間じゃと思うが……。いや、うむ、よくやったアレク。でかした」
「ありがとうございます」
確かに時間的にはまだ早い、まだまだ宵の口といったところだ。
逆に言えば、今回もユグドラシルさんは、相当急いで来てくれたということだ。
「どうにか今回は、ユグドラシルさんとの約束を果たせそうですね」
「うむ。もういつ寝てもよいぞ?」
「そうですか。では僕は今から…………シャワーを浴びてきていいですか?」
そこそこ長い時間フラフープを回し続けていたので、じんわり汗をかいている。
シャワー浴びたい。
「シャワー? それは構わんが……大丈夫か?」
「はい? 何がですか?」
「シャワー中に寝てしまわんか?」
「え? いや、たぶん大丈夫だと思いますが……」
そりゃあこの状態でゆっくり湯船に浸かろうものなら寝落ちもあるだろうが、この家に湯船なんてものはない。立ったままシャワーで汗を流すだけだ。それなら問題はないだろう。
「なるほど。つまりマスターはこう言いたいのですね? 『うっかり浴室で寝落ちするのを止めたいのなら、一緒にシャワーを浴びたらどうか』と」
「えぇ……」
「アレクはスケベじゃのう……」
「えぇ……」
ひどい冤罪だ……。そんなことは欠片も思っていない。
そもそもユグドラシルさんは幼女だし、ナナさんもナナさんで……もうだいぶ自分の娘だという認識が芽生えてしまっている。そんな二人に対し、僕のスケベ心は働かない。
「いえ、一人で大丈夫です。ササッと行ってきます」
「そうか、気を付けるのじゃぞ?」
「はい、ありがとうございます」
じゃあ行ってこよう。
サッと行って、サッと浴びて、サッと帰ってくるだけだ。問題ない。さすがに居眠りなんてしない。
――浴室で滑って転んで失神なんてことでもない限り、きっと大丈夫だろう。
◇
「大丈夫だったね」
「そうですね、意外です」
「意外って何さ」
「マスターのことですから、浴室で滑って転んで失神でもしているんじゃないかと」
「…………」
確かにそんなフラグを立ててしまった気もするけれど……。
だがしかし、僕はそんなフラグにも負けなかった。居眠りもせず、転倒もせず、無事にシャワーから帰ってきた。
「実は、二人で見に行こうかと相談していたんです」
「『絶対転んでるはず』とか言って、ナナがおどかしてきたのじゃ」
「なんというか……まぁ、思い止まってくれてよかったです」
どんな相談だ。というか、絶対て。
とりあえず、そんな二人の話を聞きながら、濡れた髪をタオルでわしゃわしゃと拭く。
僕の髪はかなり長めなので、乾かすのも結構大変。
「うん。もういいかな。――では、これから寝ようと思います」
「うむ。しっかり見ておるからな」
「私もじっくり観察しておきたいと思います」
「う、うん……」
そんなふうに二人から凝視されたら、むしろ寝にくいのだけど……まぁいいか、僕もかなり限界だ。すぐに眠れるだろう。
髪を拭いていたタオルを適当に椅子の背もたれに放ってから、僕は布団の中に滑り込んだ。
「じゃあ行ってきます」
「うむ。楽しみじゃのう」
「ナナさんも、例のことよろしくね」
「はい、お任せください」
よし、じゃあ――寝る。
おやすみなさい。
next chapter:アレク君十六歳、二年ぶり六回目
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