第87話 初狩り後日談


 ――異世界転生者的なピンチやアクシデントは、どこへいったんだ?


 ふと、そんなことを思った。僕はむしろ初狩りよりも、そのことを心配していたはずだ。

 『初狩りが終わった直後や、帰り道、そんな気が緩んだ瞬間こそ、より警戒した方がいいのでは?』――そんなことも考えていた気がする。


 だというのに、僕は大ネズミを討伐してから、『あぁ終わった。帰ろう帰ろう』なんて達成した気になって。うっかりそのままユルユルの無警戒で家路いえじについてしまった。


 というより――家路につけてしまった。


 ――異世界転生者的なピンチはアクシデントは、どこへいったんだ?


 レリーナパパが敵として僕の前に立ちふさがったときには、これこそがアクシデントだと勘違いしそうになったけれど、結局レリーナパパは敵なんかではなく、それも予定通りの行程だった……。


 ちなみにレリーナパパは、初狩り後の誕生日会にも誘ったのだけれど、辞退されてしまった。

 大ネズミを捕まえたのはレリーナパパだし、一緒にどうかと思ったんだけど――


『いえ、やはりここは家族水入らずで――あ』


 レリーナパパはそう言い残し去っていった。

 最後の『――あ』は、家族ではないユグドラシルさんが平然と誕生日会に参加していたことに気が付いたからだろう。

 レリーナパパは若干気まずそうな顔で帰っていったが、ユグドラシルさんの方は平然としていた。


 そんなわけで、誕生日会では家族とユグドラシルさんとで、ネズミ肉を食べた。味自体は美味しかった。ネズミ肉だと思わなければ、とても良いお肉な気がする。

 ただ、さすがに丸焼きのネズミ肉が出てきたのには少し閉口へいこうしてしまった。なんだかそれも初狩りの風習らしい。スープかなんかに入れてくれればいいのに……。


 それから僕はシャワーを浴びた後、ユグドラシルさんと一緒にベッドで眠った。

 疲れていたのですぐに寝てしまうかとも思ったけど、案外目が冴えて眠れなかった。たぶん初戦闘により、頭と体が興奮状態だったせいだろう。ユグドラシルさんの方が先に眠っていた。


 そして翌朝、朝食を済ませた後、昨日の初狩りで持ち込んだ道具を整理しようとマジックバッグをあさっている最中に――僕はふと思った。


 ――異世界転生者的なピンチやアクシデントは、どこへいったんだ?


 あれほど恐れて、あれほど備えていたはずの初狩り……。

 だというのに、初狩り自体も非常にゆるくてぬるい儀式だったし、道中でも結局は何事もなく、すべてはあっさりと終了した。驚くほどあっさりと――


 ……僕はいったい今まで何をしていたのだろう?


 どうにも言葉では言い表せない気持ちになった。なんとも形容しづらいもやもやとした感情が僕の心の中で渦巻いて――


 とりあえず僕はベッドに横になり――ねた。



 ◇



「なんなのじゃいったい……」


「だってだって……」


「よいではないか、初狩りが無事に済んだのじゃから」


 掛け布団にくるまって拗ねる僕を、ユグドラシルさんが慰めてくれる。

 とりあえずユグドラシルさんには『もっと大変な事態が起きるかと思っていた』とだけ説明した。


 ユグドラシルさんの言う通り、初狩りが無事に済んだことはよかった。

 そりゃあよかったけど……というか、よく考えたらあんなものは無事に済むに決まっているじゃないか。


 確かに初めての森で、初めてのモンスター、初めての戦闘ではあった。

 しかし、森に入ってからあのネズミと戦った場所まで、せいぜい歩いて十分程度だろう。しかも、あの辺りはモンスターも出ないらしい。軽いハイキングだそんなものは。


 そもそも、あれを戦いと呼ぶのがおこがましい。気絶させられたネズミに、パラダイスアローを一本射っただけじゃないか。


 要約すれば僕の初狩りは、往復二十分ハイキングして、道中でネズミに一本矢を射っただけで終了した。

 そんな初狩りに、僕はどれだけ怯えていたんだ。なんかもう二ヶ月くらい過剰にビビっていた気がする。


 そして初狩り当日のテンパりようたるや……。


「むーむーむー」


「なんなのじゃ……」


 ベッドの上でちぢこまって、思わずうめき声を上げてしまう僕。ユグドラシルさんは呆れたように嘆息たんそくする。


「そもそも初狩りはそういうものじゃ。危険なことは起こらんと伝えたじゃろうが」


「ええ、はい。みんな言っていましたね……」


 みんな言うからフラグだと勘違いした部分もあるのだけれど……。


 そういえば、初狩りがあそこまでぬるい儀式だと、大人はみんな知っていたわけだ。

 ……みんなはどう思ったのだろう? そんな初狩りに対し、病的なまでに恐怖を抱いていた僕を、みんなはいったいどう思ったのだろうか?


 とくにローデットさんだ。あれほどに初狩りを恐れ、二日に一度は教会へ通い続けた僕を、ローデットさんはどう思っただろうか? 実際、そうとう困惑していたよね……。


「むーむーむー」


「そのむーむー言うのをやめい……」


 本当に僕は今まで何をしていたのだろう。この数カ月間は、いったいなんだったのだろう……。


「そうじゃのう。事前に初狩りがどんなものか、詳細を説明できたらよかったのじゃが……」


「はぁ……」


 まぁ僕が恐れていたのは異世界転生者アクシデントなので、詳細を聞いてもやっぱりビビっていた気もするけど。


「そういえば、喋ってはいけない決まりなんですよね?」


 初狩りのとき、父がそう言っていた。確かに父や大人たちも、初狩りの詳細については口を閉ざしていた。


「……ふむ。昔はそんな決まりはなかったのじゃがな」


「そうなんですか?」


「そもそも初狩りという儀式も、子どもに本当の狩りをやらせるものじゃった。森に子どもを放して魔物を狩ってこさせる――そんな儀式じゃ」


「それは……かなり無茶なのでは?」


「そうじゃのう。実際子どもが危険な目に遭うことも少なくはなかった……。なのでいつしか、『魔物を捕まえておき、安全な場所から子どもに弓を射たせる』――そんなことをこっそりする親が増えたのじゃ」


「それって……昨日僕がやった初狩りですよね?」


「うむ、そうじゃな。気付けばそれこそが『初狩り』と呼ばれる儀式になっておった」


「へー」


 そんな歴史があったのか。歴史だな、歴史を感じる。ユグドラシルさんは歴史の生き証人だな。


「子どもに初狩りのことを言わぬのは、そのころの名残なごりじゃろうな」


「というと?」


「当時は子どもに協力するのは秘密で、他の者に知られてはまずいことじゃった。なので事前に初狩りの内容を子どもには伝えぬし、初狩りが終わった後も、子どもには口止めしたのじゃ」


「……それがいつの間にか、エルフの決まりごとになっていたのですか」


「うむ」


 はー、興味深い話だ。なにやら民俗学の講義を受けているような気分になったけど。


 つまり今のぬるい初狩りとは違って、昔の子どもはガチの初狩りをやらされていたのか……。大変だなそれは。


「初狩りの歴史はそんなところじゃな。今となっては狩りそのもの練習というよりは、命を刈り取る練習といった趣旨しゅしになっておるが」


「そういえば弓を一本射つだけでも結構緊張しました」


 噛んだしさ。


「実際に殺すことができぬ子どもも多いぞ?」


「あ、そうなんですか」


 まぁ気持ちはわかる。自分の弓で生き物の命を奪わなければいけないなんて、十歳の少年少女には少し厳しい気がする。

 昔と違ってぬるくなったとはいえ、やっぱり結構な試練なんじゃないかな?


 ……なんだかこのあと初狩りを体験する二人の幼馴染のことが心配になってしまった。

 ジェレッド君は、無事にこの試練を乗り越えることができるだろうか?


 ……レリーナちゃんの方は、なんとなく大丈夫な気がする。……うん、なんとなく。





 next chapter:魔剣バルムンク

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