第84話 敵


 エルフは凄いな。


 森へ入ってまだ数分ってところだけど、僕はエルフの特異性に気が付いた。


 薄暗い森の中でも夜目がきき、視界良好なことはもちろん凄いけど、エルフの森適性はそれだけじゃない。


 まず踏破性とうはせいの高さだ。こんなにも歩きにくい森だというのに、僕はすいすい前へ進んでいる。

 足元には木の根や、折れた枝、石が転がっていて、さらにそれらは草や枯れ葉に覆い隠されている。――だというのに、僕はろくに足元を確認もせずに進んでいる。

 確認せずとも歩く道がわかる、足を置くべき場所がわかるのだ。転ぶことはおろか、つまづきもしない。間違いなくエルフの特性だろう。


 そして方向感覚、空間認識能力の高さだ。父の後ろを歩いている僕の頭の中には、どんどん地図が作られているのがわかる。

 おそらく僕一人でも、ここから自宅まで悠々ゆうゆう戻ることができるだろう。迷う気がしない、今まで通った道を間違える気がしない。

 たとえ違う道を通ったとしても、その瞬間僕の脳内マップには、新たな道筋がアップデートされるはずだ。


 なんだか少し楽しくなってきてしまった。

 ある意味エルフらしいな。森に来てついついはしゃいでしまうというのは、ある意味とてもエルフらしい。



 とはいえだ、楽しんでばかりもいられない。すでに初狩りは始まっているんだ。ここからは何が起きても不思議じゃない。気を引き締めていこう――


「そう力んでも仕方ないじゃろ。落ち着けアレク」


「あっはい」


 気を引き締めた瞬間、僕の後ろを歩いているユグドラシルさんから指導が入った。


「この辺りには、モンスターなぞおらん。そこまで気を張る必要はない」


「そうですか……」


「それに、わしもセルジャンもおるのじゃ。安心せい」


「はい、ありがとうございます」


 確かにそう通りかもしれない。残念ながら今の僕では、『世界樹』『剣聖』コンビと肩を並べて戦うのは難しいだろう。なんせこちとら『木工師見習い』だ。


 ここはサポートに徹しようじゃないか。僕には神様から貰った回復薬セットがある。戦いはできないが、回復薬が使えるんだ。


 パーティの誰かが怪我を負ったときには、すぐさま回復薬を使おう。

 いざというときに、すぐさま回復薬を――あれ? どう使えばいいんだろう?


 やっぱり飲ませるんだよね? え、それって結構難しくないかな?

 この二人が怪我をするようなモンスターだろう? そんなモンスターとの戦闘に割って入って、口の中に回復薬のビンを突っ込むのか? 難しくないか? というより邪魔じゃないか?


 あ、そうだ。ユグドラシルさんがチラッと言っていたけど、体にかけるんじゃだめなのかな?

 それでも回復薬の効果が発揮はっきされるのなら、僕はユグドラシルさんの背中に隠れて、タイミングを見計らってチョビチョビ彼女の背中に回復薬を振りかける役にてっするんだけど……。


 ただ、それはあまりにも格好悪い。それに、その行為を僕の初狩りと呼んでいいものかどうか――


「これアレク」


「いたっ」


「安心しろとは言うたが、流石に気を抜きすぎじゃろう……」


「すみません……」


 いつの間にか僕は思考の海へ沈んでいた。

 それに気付いたユグドラシルさんに、再び後ろから指導されてしまった……。


「歩きっぱなしで、少し疲れたのかな?」


「ありがとう父、大丈夫だよ」


「そうかい? けどまぁ、ちょうどあそこで一旦休憩の予定だからね、少し休もうか」


 父が示す先には、ぽっかりとひらけた空間があった。ここで休憩らしい。


 ここだけは高い木々もないので、陽の光も差し込んでくる。なんだかレジャーシートでも出して、お弁当を食べたくなる雰囲気だ。

 一応母から貰ったライ麦パンはあるけど、このパンは明日明後日に食べる用だからな……。


「ねぇ父、ユグドラシルさんも言っていたけど、この辺りにモンスターはいないの?」


 とりあえずパンは我慢して、水筒すいとうの水を飲みながら父に尋ねる。


「そうだね。もう少し奥へ進まないといないかな」


「へー」


「まぁこっちの方角はどれだけ進んでも、そこまで手強いモンスターはいないけど」


「そうなの?」


「うん。このまま真っ直ぐ進むと、ルクミーヌっていう村があるんだ。村と村の間だからね、あんまりモンスターもいないんだよ」


 ルクミーヌ村か。当然僕は行ったことがないけれど、ときどき大人が話しているのを聞いたことがある。隣村の名前だったのか。


 そう考えるとエルフの村は大変だな。どの村も隣村との間にはもれなく森があるんだから。

 ちょっと隣村へ行くにも、モンスターが出る森を抜けなければいけないとは……。



 ――その後も、なんだかのんびりとした時間を過ごす。父やユグドラシルさんに森のことや他の村のことを聞いたり、モンスターのことを聞いたり、やっぱりライ麦パンを食べようかと悩んだり。


 しばし弛緩しかんした時間が過ぎた後――――それは唐突に訪れた。


 何かが動く物音を、僕の耳は聞き取ったのだ。音のする方向に視線を向けると、かすかに揺れる草むらに気が付いた。


 父はこの辺りにモンスターはいないと言っていた。それじゃあ、あれは――


「父!」


「うん」


 僕が慌てて父とユグドラシルさんを見ると、既に二人とも気が付いていたようだ。僕の声に言葉だけで返事をして、視線は物音がした草むらから外さない。


 僕も草むらに再び視線を戻した。そして、揺れる草木を眺めながら思う――ついにこの時が来た。


 これこそ僕がずっと恐れていたこと、そして僕がずっと準備していたことだ。

 予想外のピンチや、想定外アクシデントが襲ってきたんだ――――敵が襲ってきたんだと、僕は確信する。

 間違いない。異世界転生者としての僕の勘が、そう告げている。


 緊張からか、うるさいくらいに鳴り響く自分の心臓の音を聞きながら、草むらをじっと睨みつける僕。

 それからすぐに、茂みをかき分けて、ある人物が姿を現した――


「え……?」


 その人物とは、レリーナちゃんのお父さん――レリーナパパだった。


「レリーナパパ……」


 ……流石の僕も、これは予想外で想定外だ。


 まさかレリーナパパが、敵だったなんて――





 next chapter:両手を頭の後ろに組んで、ゆっくり地面に膝をつけ! いいな? ゆっくり、ゆっくりだ!

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