みっしょん20 ぬらりん、覚醒 (2)

 ――アハハハハ! アハハハハハ…!


 ……どこかで、楽しげに笑う幼い少女の声が聞こえる。


 それは、赤い夕陽を浴びながら、両親と思しき人物と手を繋いで歩く少女の笑い声……。


 その少女はよく見知った顔をして、どこか見覚えのある水色のワンピースを着ている………。


 そう。それは幼い頃の鈴本人だ。


 薄れゆく意識の中、彼女は幼き日の懐かしい光景を思い出していた。


 あれは、父の舞台を見に行った帰りのことだったか? まだ母が父と離婚しておらず、家族三人で貧しくも楽しい生活をしていた頃の記憶だ。


 鈴は現在、母親と二人暮らしをしているが、彼女が小学校に上がる前に母と離婚した父親というのは、どうやら売れないお笑い芸人を生業にしている人だったらしい。


 らしい…というのも離婚した後は一度も父と会ったことはなく、今では顔も思い出せないくらいになっている。


 だから今、彼女の見ている記憶の中の父親の顔も、夕日の逆光で真っ黒い影となって見ることができない……。

 

 そんな父と、そして母に手を引かれ、幼い鈴は満面の笑みを浮かべながら、オレンジ色に染まる夕暮れ時の土手沿いの道を歩いていた。


「どうだ? パパ達の漫才おもしろかったか?」


 真っ黒い顔の父が、優しげな声で幼い鈴に尋ねた。


 きっとそれは母と一緒に父の舞台を見に行った後、仕事の終わった父と一緒に家へ帰る途中での出来事だったのだろうと思う。


「うん! と~っても、おもひろかった!」


 父の質問に、幼い彼女は舌足らずな調子で元気にそう答える。


「フフ…レイちゃんはパパの漫才、大好きですもんね?」


 それを聞いたまだ若い母も、頬笑みながら穏やかな口調で鈴に尋ねる。


「うん! あたし、パパのまんじゃい、だーいちゅき!」


「おおそうか! じゃあレイも大きくなったら、パパみたいなお笑い芸人さんになるか?」


 なんとも愛くるしい笑顔で答える鈴に、今度はそんな質問を父は投げかける。


「うん! あたし、パパみたいな、おわらいげいにんさんになる!」


 その問いにも、鈴は無邪気な笑顔で真っ黒な父の顔を見上げて答える。


「おお! そうかそうか! パパみたいなお笑い芸人さんになるか!」


「そう。それじゃ、レイちゃんもパパみたいになれるよう、お遊戯やお歌もいーぱい、がんばらなくっちゃね」


 喜ぶ父の姿に、母も笑顔で鈴を諭すようにして言う。


「うん! あたし、がんばる!」


 幼い鈴は、温かい父と母の手を引っ張ってはしゃぎながら、そう、大きく頷いた――。




〝うん! あたし、がんばる!〟




 今では遠い、いつかのあの日、幼い自分の発したその台詞が鈴の頭の中で木霊する。


 ……ああ、そうか。だから、あの頃、あたしはあんなに……。


「……っ!」


 〝その理由〟に気付いた瞬間、鈴の意識は覚醒した。


「……そうだ。あたしはお父さんみたいになりたかったんだ……なのに、あんなたった一度の失敗くらいで……」


「…ン? ナンダ? 何カ気配が変わったような……」


 いまだ殴られ続けながらも、ぬらりんの動きがどこか微妙に変化する。


「……期待してくれたみんなのためにも……あたしは、ここで負けるわけにはいかない……〝これ〟ぐらいの恥ずかしさで、怖気おじけづいてるわけにはいかないんだよっ! ポチッとな!」


 鈴はぬらりんの中でそう叫ぶと左腰に設けられた透明の〝安全装置〟カバーを外し、その下にある〝ドクロマーク〟ボタンを躊躇することなく押した。


 ボォォォォーン…っ!


 すると、何かが爆発するような音とともに、ぬらりん初号機の胴体部を覆っていた着物が分離パージされ、幾つかの塊に別れて四方八方へと吹き飛ばされる。


「ナ、何っ!?」


 突然のその出来事に、吹き飛んだ塊を腕で避けながら李姐豆は驚きの声を上げる。


「な、なんだ?」


「いったい何が起こったんだ……?」


 その爆発に、観客席にもザワザワとどよめきが沸き起こる。


「こ、これハ……」


 騒然とする会場の中、そこに李姐豆が見たものは、ラクダ色の長袖シャツと股引ももひきだけを身に着けた、さらにひょろりと細くなったぬらりんの姿だった。


 その格好は、まさにどっかそこらの家の中でくつろいでいる爺さんそのままである。


「ハッハハハ! なんだ、ありゃあ!」


「だはははは! 爺さんだ! うちの爺さんもあんな感じだよ!」


 そのなんとも言いようのない滑稽な姿に、会場全体が笑いの渦に巻き込まれる。


「……や、やっぱり、ちょっと、恥ずかしい……」


 やってしまった後で、やはり恥ずかしさを禁じえない鈴はもじもじとその細身の体を落ち着きなく動かす。


 だが、全身を覆っていた着物型の外部装甲がなくなったことで、一気にぬらりんの中の熱は四散して楽になった。


「ハッハッハッ! どうだ! これがおいらの開発した重層デュアルボディ構造……これぞ〝スーパーハッスルぬらりひょん〟モードだ!」


 そのまさに「ぬらり、ひょん」とした雄姿を眺めながら、開発者の真太は自慢げに胸を張る。


「着物の外装の下にもう一枚股引姿の外装を作っておいたのさ。ちなみにあの股引は通気性のいい素材で作ってあるからね。もう暑さに悩まされることもないよ?」


 真太の言葉を補足するかのように、瑠衣も両腕を組んで得意げに言う。


「あれが、ぬらりんの本当の姿……」


 無論、そうした仕掛けのあることは知っていたが、実際には初めて目にするそのスーパーモードに、茉莉栖は驚愕と感嘆のない交ぜになったような声でそう呟いた。


「オノレ~舐めた真似ヲ……デモ、そんな子供騙し、ワタシには効かないヨ!」


 意表を突いた仕掛けにしばし呆然としてしまう李姐豆だったが、気を取り直すと再びぬらりんに対して中華まんじゅうの拳と敵意を向けてくる。


「あ! なんか体も動きやすくなったな……よし! これならいけそうだ……」


 一方、こちらも身軽になったぬらりんの中の鈴は、手足をあれこれと動かして、運動性の上がった着ぐるみの動きをその体で確認する。


「おお! 爺さんの動きがなんかよくなったぜ?」


「あの爺さん、なんかやってくれそうだ……」


「いけ~! 爺さん! 饅頭の化物をぶちのめせーっ!」


 その老人とは思えない俊敏な動きに、会場からも期待の声が沸き起こる。先程のマントウくんのえげつない攻撃を見て、皆、すっかりぬらりんびいきになっているのだ。


「今度こそ、とどめを刺してヤル……チョコチョコとした攻撃ハもうやめネ。料理ハ技巧を凝らした味ヨリも、厳選された食材ノ持つ本来ノ旨みを引き出すことガ大切。コノ渾身の力を籠めた一撃デ、すべてヲ決めてヤルアル!」


 そんなアウェイと化しつつある会場の空気の中、李姐豆は意識を右の中華まんじゅうに集中し、改めて半身に身構えた。


「こっちだって、もうやられっぱなしじゃいないんだから……あたしが、一番うまくぬらりんを動かせるんだ」


 対する鈴もスタートラインについた短距離走選手のように、ぬらりんの体を低くして攻撃態勢をとる。


「………………」


 睨み合う二体の間を、ピンと張りつめた、ゆるキャラには似つかわしくない静寂と緊張が支配する。


 そして一瞬にも、あるいは永遠にも感じられる僅かな時間が過ぎた後……。


「アチョォォォォーっ!」


「ええええーいっ!」


 二体が同時に、互い目がけて飛びかかった。


「桃源仙郷! 好好ハオハオ桃饅フィンガァァァーッっ!」


 全身全霊の力を一点に集中したマントウくんの拳がぬらりんに向けて放たれる。


「安室、いっきまぁぁぁ~すっ!」


 ぬらりんを駆る鈴も、負けじとカタパルトで撃ち出されるが如く全速で前に突進する。


「あ…!」


 ……だが、鈴は大事なことを忘れていた……格闘技に馴染みのない自分には、何をどう攻撃していいのかよくわからないということを。




 ドゴォォォォォーンっ…!




 二体の影が交錯した刹那、轟音とともにマントウくんの渾身の一撃が、ぬらりんのボディへと深くめり込む。


「うっ…!」


 それまでの攻撃はすべて耐え抜いてきたぬらりんであるが、柔らか素材の外部装甲を取り払った今、その強烈な一撃を股引姿ですべて吸収することはできない。


「うぐぅ……」


 ………………ボテ。


 ダイレクトに好好桃慢フィンガーを食らった鈴はその威力に耐え切れず、ついにぬらりん初号機とともにその場へと倒れ伏した。


「………………」


 観客達が固唾を飲んで見守る中、飄々としたぬらりん初号機の体が直立態勢のままマットの上に横たわる……。


 意味ありげな変身を遂げたのにも関わらず、ぬらりんは特に何をするということもなく、あっさりと一瞬で勝負に敗れたのであった。


「…………ユルっ!」


 そのヘタレっぷりに、会場の全員が声を合わせてそうツッコんだ。




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