みっしょん15 勘違いと決意(1)

「――えっと、西側の〝条坊高校〟ってプラカードの立ってる応援席だよね……」


 一方、当の鈴の方でも、スマホをしまうと確認するように独り言を口にしながら、待井達とはまた違う角度より広い会場を見渡す。


「……でも、西ってどっちだっけ?」


 しかし、ここで思わぬ落とし穴に鈴は気付かされる……。


 彼女はどちらが西で、どちらが東なのか、東西南北の方角がわからなくなっていたのだ。


 この公園は朱雀門を潜ると一面芝生の張られた200m四方くらいの大きな広場となっており、その周囲を未舗装の道が回廊のように囲い、さらにその外縁にぐるりと梅の木が植えられている。


 今日は〝ご当地キャラ大選手権大会〟のために広場の中央を四角くロープで囲って会場を作り、余った広場の外側四辺が観客席となっているのであるが、その広場の西側に、今回のイベントに出場する四チーム――濡良市銭湯組合、濡良市仏教寺院連合会、濡良市中国人会、そして条坊高校ゆるキャラ部関係者の応援席が用意されているのである。


 そうした状況の中、現在、鈴が立っているのは広場の北西端にあるトイレの前だった。


「うーん……まあ、適当に歩いて行けばいいか。名前も書いてあるようだし……」


 広場の北側から遠くに朱雀門を眺め、鈴はそんな楽観的な判断を下す。


 朱雀門は南の正門なので、それを知っていれば、すぐにどちらが西かわかるのであるが、そのような知識のない彼女は見極めることを諦めて、とりあえずは歩き出すことにした。


 ……しかも、あえて東方向に。


 公園北側の、これも「大極殿だいごくでん(朝廷の正殿)を建てたとすれば、ま、たぶんここら辺だろう」という、ものすごく不確かな根拠をもとにした場所に立つ〝遷都予定伝説〟解説の石碑と、その背後に今回、予算がないのでやむなく書割かきわりで造られた薄っぺらい大極殿の復元模型横を通り過ぎ、角を南に曲がってから東側の道を鈴は進む。


 きょろきょろと辺りを探しながら歩いても一向に条坊高生らしき者の姿を見つけることはできなかったが、その代り、ふと彼女の視界の中に〝条坊高校ゆるキャラ部〟という文字が飛び込んでくる。


 その文字は、おめでたい紅白幕で四角く仕切られたスペースの前に突き刺さる、白いプラカードの表面に書かれている。


 その紅白幕で覆われたスペースは中に入れるよう所々隙間が開いており、他にもプラカードが刺さっているところを見ると、どうやら条坊高校以外の参加チームの場所も用意されているようだ。


「あ、ここだ!」


 鈴はそこが応援席だと判断するや、小走りにそちらへと近付いて行く。


 そして、紅白幕の中へ足を踏み入れると、あずなや待井達の姿を探そうとしたのだったが。


 ……?


 そこに待っていたものは、生徒達でごった返す応援席などではなかった。


 いや、それどころか、そこにいたのは応援に来た一般の観客達などでもない。


 そこで、鈴の目に映ったものは……。


「9時50分。そろそろ戦闘開始の時刻だ。ぬらりん初号機の発進準備を始めるぞ!」


 この日のために用意したオリーブ色の将校用軍服風コスチュームに身を包む乃木茉莉栖が、Sっ気ある乗馬用の鞭片手に他の部員達へきびきびと指示を飛ばしている。


「いえっさぁー! じゃ、ぬらりん装着準備よろしくね☆」


 その指示に、同じく黒の軍服風だが裾にフリルを付けてみたり、ミニスカもゴスロリ調に膨らませてメイド服のような印象にカスタマイズしている高村ひかりが、茉莉栖に敬礼を返すとさらに背後の二人へと指示を伝達する。


「あいよ!」


「了解!」


 今度はそれに答え、カーキ色の野戦服にオリーブのエプロンを着けた尾藤瑠衣と、同様の服に白衣を纏った西村真太が、大きな段ボール箱の中から着ぐるみの頭部と胴体部を引っ張り出し、それを装着者が身に付ける際に支えとなる補助具へと取り付けてゆく。


「んじゃ、俺は記録映像撮る準備でもしときますかね」


 その一方、紺色の大日本帝国海軍将校用軍服のようなものに身を包む東郷平七郎は、いつもの軽い調子でリュックからビデオカメラを取り出し、あれこれとその点検を始める。


 皆一様に軍服っぽいコスチュームを今日は着用しているが、それは茉莉栖の趣味なのか? どうやら部員全員でそんなドレスコードに揃えたようである。


「………………」


 その予想していたものとは明らかに違う光景に、鈴は目を丸くして立ち尽くしてしまう……。


 そこにいたのは応援に来た条坊高校の生徒達ではなく、逆に〝応援される〟側の、条坊高校ゆるキャラ部の面々だったのである。


 だが、別に驚くようなことでもない。それもそのはず。ここは会場の西側に設えられた応援席ではなく、東側に用意された参加チーム用の控え室なのだ。


 そんなこととは露知らず、同じようなプラカードを見て応援席だと思い込んでしまった鈴は、誤ってこちら側へ迷い込んでしまったというわけだ。


 対して本番を目前にピリピリとしている部員達は、そんな鈴という闖入者には気付くこともなく、着ぐるみ出場の準備に追われている。


「結局、声をかけた装着適合者は全員駄目だったか……まあ、どこの馬の骨ともわからん奴に任せるよりかはいいだろう……荒波君、行けるな?」


「はい……」


 不意に振り返り、茉莉栖が声をかけたその隅の方には、白い装着者専用スーツに身を包む荒波舞の姿も見受けられる。


 彼女は茉莉栖の言葉に頷くと、座っていた椅子から立ち上がって着ぐるみの方へと歩いて行く……。


 だが、その左足と右手にはいまだギブスが嵌められており、頭にも痛々しく包帯が巻れ、その歩みはものすごく辛そうに見える。


「うっ……」


 途中、引き摺る足が痛むのか? 時折その顔に苦悶の表情を浮かべ、小さく呻き声を上げながら舞はゆっくり進んで行く。


「………………」


 そんな舞の姿に、鈴は心臓をぎゅっと締め付けられるような、胸の痛い、なんとも遣り切れない感覚に襲われた。


「左脚に補助用の特殊フレームを入れて強化しておいたから、短時間ならなんとか歩行にも耐えられるとは思うけど……でも、本当に大丈夫か、荒波?」


 這うようにして着ぐるみの所まで到着した舞に、真太が心配そうな顔で声をかける。


「君の強い意思を尊重して任せることにしたが、もしも途中でこれ以上の装着は困難だとこちらで判断した場合、他の者と交代させるか……それが不可能な時は止むを得ん。競技自体をリタイヤする。いいか? これは司令としての命令だ!」


 険しい表情で、いつもながらに愛想のない口調ではあるが、茉莉栖もやはり心配なのか、そんな忠告を改めて彼女に与える。


「この中じゃ、あたしが一番、舞ちゃんと背格好似てるもんね……よし! もしもの時はあたしが思い切ってぬらりんに入るよ! あたしがデザインしたんだし」


 ひかりも小さな両の拳を握りしめ、彼女なりの覚悟を決めて痛々しい舞に申し出る。


「大丈夫……さっき痛み止めも飲んだから……」


 しかし、苦悶に表情を歪めながらも、舞は強がってぬらりんの着ぐるみへと手を伸ばす。


 ……痛み止めって……ほんとにそうまでして着るつもりなの? ……そんな、まだ全然、怪我が治ってないっていうのに……どうして…どうして、そこまでして……。


 黙ってその悲痛な姿を見つめながら、鈴は心の中で疑問の叫びを上げる。


「……今、一番、ぬらりんをうまく動かせるのはわたしだから……その期待をかけらてる限り、わたしが着なきゃいけないから……」


 期待……。


 その言葉を聞いた瞬間、あの日聞いた舞の言葉が鈴の脳裏に蘇る。



〝あなたこそ、なんで依頼を受けないの? みんなに期待されているというのに……〟



〝わたしは着るわ。みんながわたしに期待をかけてくれているから……〟



 また、それとリンクするかのようにして、心のどこかに引っかかっていた東郷や待井達の言葉も彼女の中で再生される。



〝それに君は心の奥底で、本当はこの役をやってみたいと思っているんじゃないのかな? 君を見ていると、僕にはどうしてもそんな気がしてならないんだけどな〟



〝大会とかじゃガチガチに緊張しちまってるだけど、練習ん時はものすごく伸び伸び走ってるじゃん。その方が断然、安室に向いてるよ。俺もそんな安室の方が好きだし〟



 目の前の舞の姿と頭の中に木霊するその言葉達に、鈴はどうにも居た堪れなくなった。


「……あたしが……あたしが着ます!」


 そして、気付いた時にはもう、そんな台詞を彼女は無意識の内に叫んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る