みっしょん5 ヴィトウの細工 (2)

「――ここなら余計な邪魔が入らず、話ができそうだね」


 その後、場を改めた瑠衣と東郷は、別の空き教室で顔を突き合わせていた。


 デートというのは残念ながら本当のデートではなく、二人で話がしたいということだったらしい。


「で、あたいにいったい、なんの用だよ?」


 先程、相手が先輩であることが判明したわけなのであるが、瑠衣は片肘を椅子の背もたれにかけて仰け反ると、横柄な態度で東郷に尋ねる。


 もともとこうした軟派な男が大嫌いなところへ持ってきて、わけのわからぬままこんな人気のない所へ連れ出した見ず知らずのチャラ男に、瑠衣は完全なまでの不信感を抱いているのだ。


 加えて、そんな男のふざけた文句に図らずも顔を上気させてしまった自分への恥ずかしさが、よりいっそう彼女を不機嫌なものにさせている。


「なんの用……か。ま、簡単に言うと〝君がほしい〟ってことかな?」


 が、そんな瑠衣の質問に、性懲りもなく東郷は歯の浮くような台詞で答えてくれる。


「ぶぁっ! ……な、何言ってんだい!」


 その言葉に、またしても瑠衣は顔を紅潮させた。今回は先程にも増して真っ赤である。


「ん? ……ああ、そういう意味じゃなくてね、つまり君をスカウトしに来たんだよ」


 しかし、東郷の言ったのは、どうやら彼女の想像したような意味ではなかったらしい。


「へ? ……スカウト?」


 自分の勘違いにまたも気恥ずかしさを感じつつも、さらにその意図が見えなくなった東郷の話に瑠衣はぽつねんとした表情で呟く。


「ああ。君の手芸の腕を見込んでね、ゆるキャラ同好会へ引き抜きに来たんだよ」


「ハァ~っ! 引き抜きぃぃぃ~っ?」


 そして、今度はさらっと言ってくれたその爆弾発言に、彼女は顔を歪めると思わず大きな声を静かな教室内に響かせた。


「そ。引き抜き。ゆるキャラ同好会の期限付き臨時会員候補に君は選ばれたんだよ。もちろん、そのまま正規の会員になってもらっても全然OKだけどね」


「ちょ、ちょっと待ちなよ。いったいどういう話だい? なんであたいがそんな弱小同好会の会員なんかに…」


「ああ、手芸部には後でちゃんと話通しとくから心配いらないよ。こっちには生徒会のお墨付きもあるしね。はい、これ」


 寝耳に水な話に慌てる瑠衣を他所に、東郷は平然と話を進めると、クリアケースから取り出した一枚の紙を彼女に手渡す。


「ん? ……なんだい、これ?」


「生徒会から発行された許可証だよ。ゆるキャラ同好会の活動のために各クラブより部員を一定期間強制的に引き抜くことを認めたね」


「生徒会の許可書だあ?」


 瑠衣は眉間に皺を寄せると、唐突に差し出されたその紙を睨みつけた。


「ああ、もちろん偽造文書なんかじゃなくて、ちゃんと議会の承認を得た正式なものだよ? ね、ちゃんと生徒会のハンコもついてあるでしょ?」


「ハァ? なんで、んなことを生徒会が勝手に決めてんだよ? あたいはそんな話、全っ然、聞いてないよ?」


 さらに寝耳に水どころか水鉄砲を打ち込まれたかのようなそのふざけた話に、瑠衣はますますもって声を荒げる。


「まあ、知らないのも当然かな。まだ春休み中の先週の水曜に議会通ったやつだからね。でも大丈夫。これを見せれば、手芸部の部長さんも否とは言えないだろうから。如何せん、部費と部の承認権を握ってる生徒会にはどの部も逆らえないからねえ。いやあ、権力をかさに着た奴らってのは最低だねえ」


 あまりに身勝手な話に怒りを顕わにする瑠衣だったが、東郷は自分達のことは棚に上げて、まるで他人事みたいにそう嘯いた。


「いや、そういうことじゃなくて、な・ん・で、あたいがあんた達の同好会に入らなきゃならないのかって訊いてんのさ!」


「ああ、そっちのこと……ほら、君もニュースなんかで知ってるでしょ? 大昔、この濡良の地に遷都されるかもしれなかった時から数えて1300年を記念しての濡良市公認ご当地キャラを決める選手権大会。あれにうちも出場することになってね。そのためには着ぐるみも作らなきゃいけないんだけど、現在、うちの会にはそんな芸当を持った人間が一人もいないのさ。で、その道の第一人者である君に白羽の矢が立ったというわけ」


 怒鳴り散らす瑠衣は、どこからどう見ても完全に怒っている……。


 ガタイがよく、言葉使いも荒々しい瑠衣が怒り出すと、並の男子ならとうにビビッて黙しているところであるが、この東郷というチャラ男はまるでお感じにないというような様子で、先程来、平然と自分のペースで話を続けている。


 一見、軟派な軽い男のように見えて、実はただ者ではないのかもしれない……。


 瑠衣がそんな感想をなんとなく抱いていると、東郷はやはりすべてを受け流すかのような笑顔を見せて、さも話は決まったと言わんばかりに彼女に告げる。


「ま、そういうわけなんでよろしくね。今日から君も我らゆるキャラ同好会の一員だ」


「な、なに勝手に決めてんだよ! あたいは絶対そんな同好会なんかに入らないからね!」


「フゥ…もお、噂通りにほんと頑固なんだから。ま、そこがまた君のカワイイところなんだけどね」


 我に帰り、断固拒否の構えを見せる瑠衣に対して、東郷は「困った子だなあ」という感じで眉を「へ」の字にさせてみせる。


「うるさいねえ! バカなこと言ってんじゃないよ。これは頑固とかそういう問題じゃないだろうに! …んん? ああ! よく見れば、この許可書には〝ただし、本人の同意がない場合は引き抜きを無効とする〟って但し書きが付いてるじゃないか!」


 最早、完璧に先輩とは見なしていない東郷をバカ呼ばわりする瑠衣だったが、その直後、ふと視線を落とした許可書の中に、そんな但し書きを彼女は目聡く見つける。


 ……そう。この許可書には、東郷達ゆるキャラ同好会にとっては不都合な、そうした条項が一つ記されていたのだ。


 いくら他のクラブからの強制的な引き抜きを許可するといっても、その強制力は部や同好会側に対してであり、引き抜く対象となる当の本人の同意が得られなければ、それを為すことはできない……。


 これは〝クラブ選択の自由〟という、条坊高校校則の根幹を為す「基本的生徒権」の一つに抵触するものであったために、さすがに生徒会も本人の意思を無視することを許さなかったのだ。


 故に、これは生徒会側のゆるキャラ同好会に対するせめてもの嫌がらせでもあったが、必要な人員をゆるキャラ同好会がスカウトできるか否かは、最終的には本人を説得できるかどうか如何いかんに――ひいては東郷の腕にかかっているというわけである。


「ってことは、あたいにその気がなければ、引き抜くことはできないってことだね? そんじゃ、あたいにその気はさらさらないんで、これでこの話はもうおしまいだね」


 そのことに気が付くと、瑠衣はそう言葉を結んで早々に席を立とうとする。


「さあ、それはどうかな? 君なら必ず僕らの同好会に入りたいと思うはずだよ? いや、もう本心ではすでに入ることを決めているはずだ」


 だが、東郷はまったく慌てる風でもなく、まるですべてを見透かしているかのような眼差しで瑠衣の顔を見つめ、不敵な笑みを浮かべながらそう宣言してみせた。


「フン! 知ったような口きいて。あんたにあたいの何がわかるって言うのさ? 誰がそんな興味もないゆるキャラの同好会なんかに…」


「いいや。君のことならよく知ってるよ」


 言いかけた瑠衣の口を、東郷の言葉が塞ぐ。


「尾藤瑠衣。2年1組、16歳。7月7日生まれの蟹座のAB型で、鞄職人の父とテーラーの娘であった母を両親に持つ。自身も幼い頃より手芸に親しみ、昨年、1年生ながらに全国手芸大会高校生の部で準優勝するまでの腕前に成長。現在彼氏なし。好きな食べ物はパスタ。苦手なものはお化け……って程度にはね」


「な……」


 思いの他、自分のことを知っている東郷に瑠衣は絶句する。


「……だ、だったらなおのこと、あたいがそんなもんに入るわけないってわかるはずだよ! あたいは手芸以外のことをやるつもりはないんだってね!」


 なんとか気を取り直し、どこか無理やりに息巻いてみせる瑠衣だったが、それでも東郷は表情を崩すことなく、落ち着いた口調で彼女に問い質す。


「だからこそ、君は今の手芸部での活動に満足してないんじゃないのかい?」


「な、何を……」


 瑠衣は再び言葉を濁らせる。


「現在、君の技術は他の手芸部員達のものを遥かに凌駕している。それに優勝は逃したとはいえ、全国大会で準優勝を果した君は高校生としての一つの頂点を極めてしまったと言ってもいい……そんな君は今、さらなるステップアップを目指し、何かこれまでに作ったことのない新しいものへ挑戦したいという思いに駆られているんじゃないのかい?」


「だ、だからって、なんでゆるキャラに……」


 誰にも話したことのない、他人が知る筈もないと思っていた心の奥底に秘めた本心を東郷に突かれ、瑠衣はひどく動揺しながらも、それでもなんとか反論を試みる。


「君は、着ぐるみを作ったことはあるかい?」


「そ、それは……」


 だが、東郷の攻めの手は止まらない。


「君ならばわかるはずだ。着ぐるみを作るのにどれだけの高い技術が要求されるかってことを。もしも作ったことがないのなら、これはぜひとも挑戦してみるべき新たなる分野だと僕は思うけどね……そうは思わないかい?」


「いや、それは……そうだけど……」


「それとも、着ぐるみなんて高度なものを作る自信が君にはないのかな?」


「な、なんだって?」


「ああ、それならそれでいいよ? 別に強要はしないからさ。そうかそうか。まあ、自信がないんじゃ仕方ないな。そういうことなら残念だけど僕も諦めるよ。そっかあ、自信がないのかあ。どうやら僕は尾藤瑠衣って人間をちょっと買いかぶっていたみたいだな」


「バカ言うんじゃないよ! 誰に向かって言っているのさ! あたいに作る自信がないだって? 先輩だろうがなんだろうが、ふざけたことぬかすと承知しないよ!」


 東郷のあからさまな挑発に、職人気質の瑠衣はまんまと乗せられてしまう。


「ほおう。それじゃ、君には着ぐるみをうまく作る自信があるっていうのかい?」


「ああ、もちろんさ! あたいを誰だと思ってるんだい? 着ぐるみなんざ、あたいの手にかかれば朝飯前にちょちょいのちょいさ!」


「さあどうかなあ? 口ではなんとでも言えるからねえ。ま、うちでデザインしたゆるキャラの着ぐるみを作れたりとかしたら、その大口を信じてあげなくもないんだけどねえ」


「ああ! 作ってやるよ! そこまで言うんだったら、そのゆるキャラの着ぐるみとやらを作ってやろうじゃないか! ぐうの音も出ないくらいにものすごいのを作って、その無礼な口を塞いでやるから覚悟しとくんだね!」


 売り言葉に買い言葉、頭に血が上った瑠衣は思わずそんな言葉を口走っていた。


「フフッ…今、着ぐるみを作ってくれると言ったね? そんじゃ話は決まりだ。尾藤瑠衣さん、ゆるキャラ同好会副会長として君の入会を心より歓迎するよ」


 東郷は不意に表情を綻ばすと、うれしそうに瑠衣へ笑いかける。


「ハッ! しまった……」


 そこで、ようやく彼の意図に気付いた瑠衣は「やられた!」というような顔で後悔の言葉を口から漏らす。


 こうして、彼女の密かな願望とプライドを利用した東郷の巧みな交渉術によって、尾藤瑠衣は図らずもゆるキャラ同好会の野望の一角を担わされることになったのであった――。

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