みっしょん4 高村ひかりの憂鬱
「
平七郎の作ったデータベースで臨時徴用する人員の候補を絞り込んだあの日の翌日金曜、条坊高校の入学式と始業式は執り行われ、新1年生の誕生とともに新学期もすでに始まっている。
そのさらに翌日が土曜のため、すぐにまた二日連休に入ってしまうところがなんなのではあるが、おかげでひかりは自分に一任されたゆるキャラの名称とデザインについて、ゆっくりと考える時間を持つことができた。
……だが、それで成果が上がったかというと、はっきり言ってまったく上がっていない。
全国のゆるキャラ資料を見返し、世の中にはどんなものが存在するのかを改めて見直すことはできたのであるが、いざ自分で濡良市のキャラクターを作るとなると、全然、アイデアが浮かんでこないのである。
「ハァ……」
すでに盛りを過ぎたピンクの花弁が舞い散る急な坂道の途中で、ひかりはふと立ち止まると大きく溜息を吐いた。
無論、散り行く桜に〝もののあはれ〟を感じたための雅な嘆息ではなく、思考に行き詰ったための落胆の溜息である。
明日からまた学校生活が始まれば、平七郎は早々に臨時部員のスカウトに乗り出すことであろう。
着ぐるみ制作に携わる人員が確保されたのに、当のキャラデザインが決まっていないのではお話にならない。それまでになんとか原案だけでも決めておかなくては……。
そんなタイムリミットに、ますますひかりの頭は焦って空回りをしてしまう。
「ハア……」
いまだ考えがまとまらず、もう一度大きく溜息を吐いた時、彼女は坂道を登り切り、小高い丘の頂へと到着していた。
ここはひかりの家の近所にある、濡良市郊外の丘陵に位置する公園。
今日一日、家で悶々とアイデアを捻り出そうと思案していた彼女は、ついに市松人形のようなおかっぱ頭が煮詰まって煙を上げ、気分転換でもしようかと、この公園へ散歩に出かけたのである。
時刻はすでに夕刻近く。
傾き始めた春の日差しが辺りを暖かな色彩に染め上げている。
公園内に植えられた桜の木々もやはり散り時を迎えており、オレンジ色に染まった桜の白い花弁がひらひらと穏やかな夕風に園内を舞っていた。
平らな丘の頂上に作られたこの公園には、ベンチや子供のための遊具などがいくつか置かれ、近所に住む親子連れなどが今日も幾人か訪れている。
そんな人々が
高台の縁に設けられた鉄柵に両手を置くと、眼下に見える濡良の景色が彼女の目の中に飛び込んで来る。
「はぁ……」
もう見慣れた風景ではあるが、その絶景に今度は溜息ではなく嘆息をひかりは漏らした。
手前には彼女の家のある住宅街、その先に田圃や畑地が広がり、さらにその向こうには小さな都会を思わす濡良の市街地が見える。
彼女の通う条坊高校があるのも、そのこじんまりとした街の中だ。
そんな景色全体が夕日で黄金色に染まり、山の端や物影になった部分には紫色の影を作って、なんとも言えない、のんびりとした田舎の光景をそこに作り出している。
こうして見ると、濡良の町も捨てたもんじゃないな……と、ひかりは思った。
「なんともよい景色じゃのう……なあ、お嬢さん。あんたは濡良が好きかね?」
そんな時、突然、自分に話しかける、しわがれた男性の声が聞こえる。
見ると彼女の左側、少し離れた位置に、ひょろりといい感じに痩せ細った老人が、眼下の景色に目を向けたままで飄然と立っていた。
誰だろう?
知らない人物だ。ただ、今までに会った記憶はないように思えるが、どこかで見かけたような気がしないわけでもない……近所の人だろうか?
「んー…まあ好きかな? 街並みもキレイだし、自然がけっこう残ってるし。でも、も少し都会みたくオシャレさんなお店とかテーマパークとかあったら申し分ないんだけどな」
ひかりはその老人の方へ顔を向けると、少し考えながらそう答える。
「ハッハッハッ……んまあ、若いもんはそうじゃろうなあ……濡良は人口10万の小さな市。つまりは田舎じゃ」
すると、ひかりの返答に老人はすっかり禿げ上がった頭を夕日に輝かせながら笑う。
「ただ、小洒落た店の代わりに寺はぎょうさんあるがのう」
長閑な風景の中にちらほらと点在する、瓦屋根の載った仏教寺院をぼんやりと見つめながら老人は言う。
「ですねえ……一応、〝寺の町〟っていうのが、この濡良市の〝売り〟だもんねえ……えっと、確か、あの大っきな
「おお、よく知っておるのう。その通りじゃ。じゃがそれだけじゃなく、濡良が古くより信仰心熱い人々の暮らす土地だったためか、東太寺とは違う宗派の寺もこの地に競うように進出して来た……それが、京都や奈良のように都があったわけでもないのに、この古都のような景観を作り出したというわけじゃ」
小学校だか中学校だかの社会科の授業で習ったことを思い出しながら話すひかりに、老翁は彼女の話を補足するようにそう語った。
「あっそうだ! お爺さん、何か濡良市でお寺の他にたくさんあるものってないかな?」
ひかりはそんな老人に、ふと思い立ったという様子で質問をぶつける。
濡良市のご当地キャラを作るには、先ず濡良市についてよく知っておかなければならない……見ず知らずの人物ではあるが、なんだか濡良のことに詳しそうなこの老人ならば、何かよいアドバイスを与えてくれるような気がしたのだ。
「寺の他に?」
「うん。お寺の他に」
今、会ったばかりの他人にこんな質問をしてしまうのも少々馴れ馴れしくはあるが、気付けば先程から、まるで以前よりの顔見知りと世間話をするかのように、ひかりはこの見ず知らずの老人に距離感なく接している。
そんな他人にオープンマインドな感じになってしまうのも、この穏やかな夕暮れ時の空気のせいだろうか?
「うーん。寺以外にか……まあ、なぜか銭湯も多いかのう。あと、これもなぜだか中国系の移民がわりかし多く住んでおって、中華街なんかもあるの」
老人は腕を組んで小首を傾げると、唸って考えながらそんな答えを返した。
「銭湯と中華街かあ……あんましパッとしないなあ」
「ん? ……わし、何か違うことを答えておるかの?」
どこか顔を曇らせるひかりに、老人も訝しげな表情をして訊き返す。
「あ、そゆわけじゃないんだけどね……なんというか、あたし的にはちょこっとイマイチかなあ~って……」
「いまいち?」
「ああ、えっと、その……今、あたし、とある理由で〝これぞ濡良市!〟ってな感じな、この町を象徴するものって何かなあ? って考えてたもんで……」
よりいっそう怪訝な顔をする老人に、ひかりはゆるキャラの件を詳しく話すのもなんだったので、とりあえず簡単にそう説明する。
「ほう。濡良市を象徴するもののう……」
「その他に濡良市っぽいものって何かない? 名物とか、特産品とか、そういうのでもいいんだすけど……」
「うーん。そうじゃのう……名物といえば漬物の〝濡良漬け〟かのう? 特産品といったらオクラか。最近はモロヘイヤなんかもよく作っておるようじゃがのう」
「うーん……それもなんかイマイチだなあ……」
ひかりも老人と同じように腕を組むと唸って、その回答にも満足いかない様子である。
「伝説じゃ、大昔にここへ都が移ってくる予定があったみたいだけど、もし本当にここが都になってたら、〝古都〟ってことでも少し考えやすかったんだろうけどなあ……それにそうなってれば、もっと街も京都とか神戸っぽく発展してただろうし……」
「ハッハッハッ! やはりお嬢ちゃんみたいに若いもんは都会の方がよいか。まあ、本当にそうなっていたら、確かに都会になっていたかもしれんの……じゃが、そもそもあの濡良に遷都の予定があったという話自体、ものすごく胡散臭いからのう」
「うん。確かにそうとう胡散臭いかも……」
愉快そうに笑って話す老人に、ひかりも苦笑いを浮かべながら頷く。
「まことしやかにそうした伝説がここら辺では云われておるが、それを証明する史料は何も残っとらんし、いつ、どういった理由でそう云われ出したのかすら定かではない話じゃからのう……じゃが、それにも関わらず、ここに住んでおる者の多くがそれを真実の如くに信じておる。いや、そればかりか市までがそれを記念して、お祭り騒ぎをしようとしておるんじゃから、なんともユルいとこじゃのう、この濡良は。ハッハッハッハッ!」
老人は持っていた杖を左から右へと動かし、濡良市の全域を指し示すようにしてそう言うと、なんだかとても愉快そうに再び笑った。
「ユルい市か……でも、あたしはそれでもいいかなって思うかな? それが嘘でも本当でも、そういうことにしといた方がやっぱりおもしろいし」
笑う老人にひかりも濡良の夕景へ視線を戻すと、その顔に微笑みを湛えながら呟く。
「ハッハッハッ! お前さんもユルい娘さんじゃな。それでこそ濡良の人間じゃわい」
そんな彼女の呟きを聞いて、老人は再び高らかに笑う。
「いやぁ~そんなあ~」
そう言われると、別に褒め言葉というわけでもないのだが、ひかりはなぜだか照れ臭くなって、体をもじもじと捩ってしまう。
ユルい娘……その表現が、ゆるキャラ好きな彼女としてはなんだかうれしかったのだ。
「そうじゃの。わしもやはり、そんなユルい濡良でよかったと思うのう」
そうしたひかりの反応を無視して、老人は話を続ける。
「もし、ここに都が移って来ておったら、こんな長閑な風景もなかったろうし、人間もこんな大らかではなく、もっと殺伐とした街になっていたかもしれんからのう……わしは、やはり今のユルい濡良の方がよい。都になどならず、ユルい町でよかったわい」
「うん。なんだかあたしもそんな風に思えてきた……」
そう言って、再び老人の方へ目を向けたひかりは、その瞬間、ハッと息を飲んだ。
なぜならば、オレンジ色に染まる夕暮れの景色の中、飄々としてそこに立つ老人の姿がなんともユルくて、そして、なんともいえない味を醸し出していたからである。
このお爺さん、ユルい……。
ひかりは、心の底からそう思った。そして、そのひょろりとした禿げ頭の老人の姿に、〝ぬらりひょん〟という言葉が自然と脳裏に浮かぶ。
ぬらりひょん――それはいわゆる妖怪の一種で、一説には忙しい夕暮れ時などにいつの間にやら家の中へと上がり込み、勝手にお茶を飲んではくつろいでいるという迷惑千万この上ない爺さまなのであるが、それ以外には別段何をするというわけでもなく、某超有名漫画などで悪者妖怪の首領になっていたりするわりには、その実、なんともユルいお化けなのである。
もとは瀬戸内海に浮かぶ人の頭ほどの大きさの妖怪で、捕まえようとすると「ぬらり」と手をすり抜け、「ひょん」と浮かんでくることを繰り返すタコやクラゲを表したものだとか、「ぬらり=滑らかな」+「ひょん=思いがけない」ということから、「要領を得ない、掴みどころのない」妖怪だとも云われている。
ぬらりひょんかあ……そういえば、なんだか濡良市とも音が似てるな……。
老人と、その妖怪の姿とが一つに重なったその瞬間、ひかりの中で何かが繋がり始めた。
そっか。濡良市の持ち味って、今見てるこの長閑な景色みたいに、ゆったり、のんびりとしたそのユルさの中にあるんだ……。
それによく似合う、このお爺さんのなんともユルい飄々とした立ち姿……。
それから連想される妖怪ぬらりひょん……。
そうだ! これだ! これこそがこの濡良市のユルさを象徴する造形だよ!
「うん。これしかない!」
いまだ景色を眺めている老人を見つめ、ひかりは人知れず拳を握りしめる。
「お爺さん、どうもありがとう!」
そして、夕日に染まる顔をさらに明るくすると、弾む声で老人に礼を述べた。
「ん? ……なんだかよくわからんが、まあ、どういたしまして」
老人は、なんのことだかわからないながらも柔和な笑みをその顔に浮かべ、そう、どこかすっきりとした様子の少女に優しくお辞儀を返した。
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