第5話
-------------[回収リスト其ノ弐]-------------
名前:鐘田 トメ(かねた とめ)
1924年9月8日生まれ 性別女。
戦争を語り継ぐ会に在籍し、後世へ伝え続けることを生き甲斐としていた。夫の明夫(あきお)は戦死。それからは未亡人のまま。
近年、高齢化による体力の低下から横になる時間が増えている。
2日後に回収。
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「ってことは、この人は老衰でいいのかな」
今日の回収リストを確認しながらぽつり、とクリスは呟いた。
昨日の一件で、かなり精神ダメージが大きかったため、今日はお願いをして1件だけにしてもらっていた。
「それにしても1924年って…何歳なの…」
通達に向かっても言葉が通じなければ意味が無い。痴呆がないことをただただ、祈るしか無かった。
今日は早めに終わらせて、ゆっくりとちゃんと休もう。そう決めたクリスは例の如く鐘田トメを観察してみることにした。
老衰なら悔いはないかもしれない。痴呆があれば未練すら分からないかもしれない。そうなれば気を遣う必要も無いかもしれないが…。
なんとなくクリスにはそこを怠るわけにはいかない気がしていた。
**********
A市内の大学病院。そこの2304号室で鐘田トメは横になっていた。
ずっと梅干しをくわえてるのではないかと疑うほどに顔はしわくちゃで、口もすぼんでいる。
布団から見える腕はミイラのように細く、繋がっている点滴が生命線なのだとひと目でわかる光景だった。
クリスが観察を続けていると、すっ…と鐘田トメが窓の外へ顔を向けた。
自分の姿が見えてしまったのではないかと内心ギクリとしたが、なんの反応もないので恐らく寝ているのだろう。
この様子じゃなんの進展もないな、とクリスが判断し、動き出そうとした時。
鐘田トメの病室の扉が開いた。
「おおばあちゃーん!」
勢いよく転がり込んできたのは3歳程の少年だった。
その後に続いて男が2人、女が1人、女の腕の中に赤ちゃんが1人がやってきた。
あれよあれよという間に賑やかになる病室。
鐘田トメもいつからか起きて少年の相手をしている。
きっと彼らは鐘田トメの子供やそのまた子供たちなのだろう。あと2日で亡くなるのを知らないにしてもとても健気な家族だ。
「おおばあちゃん、いつ、おうちくるの?」
「おうちねぇ…。いつだろうねぇ…。元気になれたらかねぇ…」
「大丈夫だよお袋。まだまだいけるだろ。」
「そうですよ、みなさんお家でトメさんの帰りを待ってますから。」
「ばあちゃんの知恵袋ってやつ、この子らにも教えてやってくれよ」
全員が順番に励ましている光景に火傷のようなズキズキとする痛みをクリスは胸に感じていた。
しかし昨日の坂井美幸の時とは違い、痛いけれど逃げたいとは違う気持ちがあった。
どういう訳か分からないが、どことなく懐かしさを感じていたのかもしれない。
そしてまた、この人たちのこの空気を自分が壊すのだと自覚した痛みだったかもしれない。
自分の気持ちもよく分からないまま、クリスは鐘田トメの家族が帰るまで、しっかりと病室を見つめていた。その姿勢はまるで分からないものを理解しようと凝視するかの如く。痛みを押し殺しながら、必死に何かを探しているようだった。
日も傾き始め、面会時間もついに終わりを迎える。
1番初めに転がり込んできた少年はしばらくの間ぐずっていたが、鐘田トメが家に遊びに行く約束をすると笑顔で指切りをして帰って行った。
家族が帰った後、ここからがようやくクリスの出番だ。
結局、自分の矛盾した気持ちが何なのかは分からなかったが、仕事はしなければいけない。
見たところ鐘田トメに痴呆はないようだった。あれだけしっかり家族と会話ができれば問題ない。老人だから驚いて死なないように扉から入ろうと病室の前に立つ。扉をノックしようとした時、クリスの予想に反して中から声がかかった。
「どうぞ、お入りになって」
クリスは固まってしまった。
確かにクリスは扉をノックしようとした。しかしまだ対面もしていない死神に対して、そんな自然に促す声をかけられるだろうか?そもそもクリスを死神と認識しているのかも怪しいが。
他の人間でさえ、面会に来る時間でも巡回する時間でもない。訪ねるはずのない時間帯に気配を感じたら不安になるはずなのでは?
そんな思考が延々と巡りノックしようと握った手も喉も詰まってしまった。
「どうぞ」
再び中にいる鐘田トメから声がかかる。我に返ったクリスは改めてノックをして入る。
「こんばんは、鐘田トメさん。」
「死神さんね?わたしのお迎えに来たんでしょう…?」
「…はい。今日はそのお知らせだけです。2日後、老衰でお亡くなりになります。」
鐘田トメが真っ直ぐクリスを捉えて訪ねた。その視線に応えるように素直に伝えるクリス。鐘田トメの対応からして恐る恐る伝える必要はないと判断したのだ。
「そう、今日じゃないの…。お迎えは…あなたが来てくれるの?」
「いえ、わかりません…そこまでは決められていないので。」
「そう…」
なんだか少し残念そうにも見えた。しかしこれでクリスの仕事は終わりだ。通達は済ませたから、これ以上の深入りや詮索は不要だった。
しかしクリスはお昼間の矛盾した気持ちがまだ解決せず、つい聞いてしまったのだ。
「…僕に、お迎えに来てほしいですか?」
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