第3話
その夜。
坂井家の団らんが済み、護が1人で入浴している時。
クリスはフードを被り、ベランダに立ち、開け放された窓の縁から顔を出していた。部屋には坂井美幸1人だ。
「坂井美幸さん、こんばんは。僕はクリスです。」
「クリス…?え、誰…?」
唐突の自己紹介に戸惑う坂井美幸。
無理もない。いきなり窓から全身黒ずくめの青年に自己紹介をされれば、話を聞くべきか警察を呼ぶべきか、不審なのか丁寧なのかよく分からないだろう。
しかし、坂井美幸よりも戸惑っていたのはクリスの方だった。
今目の前にいる美幸は、夕方頃の美貌からは程遠い。顔色が悪く、くまも酷い。艶やかだった髪の毛は面影もなく頭皮が剥き出しになっていた。
「なに…?誰なの?」
戸惑い硬直するクリスに声かけたのは美幸の方だった。その声に呼び戻され、急いで本題を続ける。
「あ、ええと、すみませんでした。僕、死神をしてまして。坂井美幸さんへお知らせがあって来たんです。」
「坂井美幸さん。」
「残念ながら3日後に、僕はあなたの魂を回収しなくてはいけません。」
「意味は…僕が説明しなくても大丈夫ですか?」
ゆっくりと、落ち着いて伝えなければと思っていたクリスだったが、坂井美幸があまりにも相槌を打たないので、急ぎ過ぎたかと不安になり始めた時。
1粒の光が美幸の頬に照らされた。
「なんで…なんであんたなんか…なんで来るのよ!!」
途端に泣崩れた美幸がクリスに向かって目覚まし時計やら枕やら、罵声をぶつけてくる。
残念ながら人間から死神へ物理的なダメージは何も無い。
しかし反応からして、恐らく自分でも死期を勘づいてたのだろう。
「すみません。でももう決まったことですから…」
努めて冷静に、できるだけ安心して貰えるよう笑顔で伝える。
この行為が人間の感情を逆撫ですることは分かっているのだけれど、クリスにはこれ以外の対処法が見当たっていないのだ。
「ふざけないで!!わたしはまだ…これからなのに…まだ死にたくない…っ!!」
夕方の綺麗に作られた容姿からは想像出来ないほど、坂井美幸は顔を歪ませて泣いていた。
少し困って辺りを見渡すと、あの綺麗な髪の毛はそっくりそのまま机の上に置いてあった。
つまりは本人の髪の毛はとっくに無くなっていたのだ。
しかしそれでも坂井美幸という人間は今まで通りを演じ続けてきた。旦那へ自分の死期を悟られないように、変わらない姿で居続けようと懸命だった。
そんな美幸の張り裂けそうなほど辛い気持ちは、もちろんクリスにも伝わっていた。あんな幸せそうな風景を見て、何も感じないわけがない。
“僕だってお迎えしたくて来たわけじゃないんです。運びたくなくても運ぶしかないんだ”
しかし仕事上、こんな事は口が裂けても言えない。
だってクリスの仕事は“死神”なのだから。
「坂井美幸さん。すみませんが決まってしまったことです。3日後、またお迎えに来ます。くれぐれも、僕の存在は口外しないようにお願いします。これ以上、あなたを傷付けたくないので。」
そう言い残すとクリスはまた逃げるように姿を消した。
「美幸…?どうしたんだ?」
「護さん…わたし…っ」
「はぁー……………。」
坂井美幸の前から姿を消したクリスは、屋根の上で盛大にため息をついた。
仕事と情の狭間でやるせない気持ちをなんとか落ち着かせようと必死だった。
仕方の無いこと、決まったことなんだ、これが仕事なんだといつもの様に何度も言い聞かせる。
「よっ、クリス。まぁーた凹んでんのか?」
いつの間にか後ろには見慣れた赤髪が立っていた。
「なんだアレンか。ちょっと今君の相手をする程の気力を持ち合わせていないからまた今度にしてくれないかな。」
自分の落ち込んでいる気持ちとアレンへの苛立ちを隠そうともしない物言いをクリスは顔もあげず一息で言い切った。
「そう言うなって。俺も帰り道なんだよ。」
「そうかい。なら足早に通り過ぎ去ってくれ。」
「…なぁ、ポジティブにいこうぜ?俺らが回収するから人間は輪廻転生があるんだ。そりゃ俺らだって元々は人間だけど、この仕事だって誰しもがやれる訳じゃない。いちいち凹んで仕事もままならない様じゃ運ばれる側も不安で仕方ないだろ。」
そんな話はもう耳タコだと言い返したい気持ちをぐっと堪えて立ち上がる。
ここにいたってアレンは先に帰らないし、仕事についてもなんの変化だって起こらない。
それならば、とクリスは死神界に帰ることにした。
背中に2人の泣き声と悲しみと絶望を感じながら
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