90.夢の中 悪夢の中/三原順

 何で三原順かと言いますと。

 友人が「ビリーの森ジョディの樹」をよーやく読んだ、という話を聞きまして。

 「ビリー~」は未完作品なんですね。三原せんせいがお亡くなりになってるので。

残された原稿やネームから復元されたものを今となってはあの80年代花とゆめ時代人気作家だった方々が協力して再構成したという。


 ……ので、そのあたりの作品どんなんだったかなー、と思ってとりあえず短編集を見たらですな。

 きたわーーーーーーーーーーーーーーーー。

 えぐられっ!


 何がえぐられって、文庫本表紙の主人公の彼女が「家族の中の黒羊」だった中でのサバイバルと、ようやく抜け出したと思った地での幸福が、よりによって息子によって破られてしまったということなんだよな。


 ページ数的には決して多くは無いけど情報量すげえ。

 更にもの凄いと思うのは、「このマンガ誰の固有名詞も出してない」んだよな。

 ワタシそれを数回読んでようやく気付いたという!

 私・母・兄・彼・彼女・息子という主人公にとっての関係性だけで描いてるんだわ。

 主人公の気持ちがあんまりにも辛すぎたので気付けなかった。


 「私」は三人の優れたスポーツ選手の兄の下の一人娘。

 最初に登場した場所がセラピストのとこ。母親が何処もヤブだ、と言って何人ものところに通わせられてる。

 主人公はどう見ても普通体型。ごくごく普通に「勉強は一人で静かにやりたいし本も読みたい」と思ってるだけ。

 だが「やせ過ぎ」「一人の部屋に籠もりたがり」と母親に決めつけられている。というか、家族全体がそう思ってる。恐ろしい……


 そういう「私」の家の食卓。テーブル一杯に乗りすぎる程の食事、それが普通だと思っている皆。

 ものがあちこちにともかく存在していて、基本的に雑。

 多すぎる食事に「とりあえず見てくれますか」と来たドクターも驚いてしまう。その後に「遠慮せずに」と楽器演奏を進められる。

 ドクターは判ってくれたけど、母親はヤブと決めつけるのみ。

 彼女は「擦り合わせてみる」ということで、診断書だけきっちりもらってくる。

 そして何とか読書時間を維持したいがために、フェンシング部に入っている、と嘘をつき、「決して自分の家が普通という訳ではない」ことを判らせてくれた友人の使用済み着替えを借りてくる。

 ところが何とかして多すぎる夕食を食べるために昼の弁当を捨てていたのを長兄にばれてしまった。そのくらいしないと、「全然食べない」と母親に思われる訳だ。

 彼女は長兄に無理矢理ソフトボール部に入れさせられる。入れさせられるんだよな!

 中途半端に運動神経はあったのでソフトボールがある程度できてしまった。

 けど中途半端だから、それだけでくたくたで、反抗することも読書をする余力もなくなってしまっていた。

 ―――のだけど、そのおかげでアキレス腱を切って入院。

 その横のベッドに居た女性の紹介で得たバイト先が本の整理だったことで、「やっと本が読める」と、もううれし涙。

 そしてバイト先の教授? の甥と次第に仲良くなって行くんだけど。

 彼もすぐには彼女の恐るべき環境が信じられなかった。「10歳の時にはフォアグラ用のガチョウに同情して泣いてしまいました」という彼女。

 そのお弁当ときたら、彼が見ても多い。

 彼と一緒になる、ということをその頃家長代わりだった長兄に話し、その時はとうとう通すんだけど、それは彼女の思う反応ではなかった訳だ。

 兄の目に映っていた自分はやっぱり「スポーツをするまではなまけもの」「やり通した自慢の妹」「だから応援してやる」。

 要するに、「ただ静かな環境で落ち着いて本を読むのが好き」な姿は全く頭にない訳だ。だから「とうとう本気で反抗したな」と喜ぶくらい。これは「ざまぁ」をやらかしてやろうとしたら、肩透かしを食らってしまった気分だよな。

 いやそれ冗談じゃねえ、と叫びたくなりますよ全く。

 主人公は彼氏に一緒に来てほしい、兄を殴らない様にと泣きながら頼むんだよな。何というか、もう何も通じない。言葉も認識も全く通じない。この無力さときたら!

 そんで結婚して、しばらくは何とか母親をスルーしつつ近くで暮らすけど、何だかんだで夫が遠くに赴任したことで、よーやく望んでいた穏やかな日々、実家に帰らずに済む日々を過ごす訳だ。……彼女の一番幸せな時だな。

 んだけど、母親が事故で。

 ところがその母親が最期の辺りで「私達がお前を愛していることを判らせるまで死ねない」ということを言って死ぬんだよな。

 内心彼女叫ぶ訳だ。自分を保つのに精一杯で愛する暇なんか何処にもなかった、ということを。

 ちなみに母親のこの言葉も兄にしてみれば「妙なこと」で。兄からしたら母親の態度は自分と同じで正しい。だから何で母親がそんなこと言うのか兄には判らない。

 彼女からしたら判りきっていたんだよな。ずっと母親は「お前が本当に人を愛せるのか不安だよ」と結婚してまで言っていたくらいなんだから。愛するということがどういう行動なのか、全く異なっていることに母親が気付いていないのだから。

 ……で、その時に妊娠してることが判るんだけど。

 残酷なことに!

 生まれた子がまた隔世遺伝で。

 母親や兄達によく似て騒がしいし片付けないし声もでかい。

 だけど声がでかいのは「私が鼓膜を破るようなぶちかたをしたから」とあるから、彼女がまずその大声以前の騒がしさに耐えられずに暴力を振るってしまったことがたった一コマで判る訳だ。

 旦那が言う訳だ。

「あの子はひと時もじっとせず動き回って……腹が苦しくなるまで食べ……賑やかに過ごすのが好きなんだよ 君も気付いてはいるんだろう?」

 彼は気を遣って彼女を一人にしてやって、息子が好きなおじさん達の家に行く訳だけど。そう、息子は「おじさんのところではパンケーキ6枚も積んでくれたよ!」という風に、そっちの同類だったわけだ。

 彼女は「子供ができたらその子には運動を強いない!」とか何とか、要するに「自分に似た子供」を想定していたんだけど。

 最終的には自分のしていることが母親と同じということに気付いてどうしようもない気持ちになるという。


「喜劇が一層滑稽になっただけの事……」

「そうよ! 私と母さんが同じなんて とても 滑稽だわ!」


 そして恐ろしいことに、あえて母親の「口を閉じた写真」を持ってきていた彼女。

 足元に落ちてきたのは「歯茎が見える程の笑顔」になっているという……! ホラーだ。

 そして最終。

 旦那がいい人で事情をよく分かっているからまだ微妙に救いが無い訳ではないけど、絶対にこの子を愛せないことが予想がつくんでなあ…… 

 くーるーわーーーーーーーーーーーーー


 何とそれが、90ページ弱の話でこれだけみっしり詰まっている話ってもう!

 名前が無いだけに読んでいて同化しそうで怖いくらいの話でしたよ全く。

 これがまだワタシも呪縛が解けてない時に読んでたらどれだけなあ。

 当時読まなくて本当に良かった。


 三原順のマンガはコトバが本当にびんびんにくるんだよなあ。

 なのでまあ…… 小学校高学年から中学に渡ってリアルタイムであの最終章「つれていって」のなおかつグレアムに一番シンクロしてしまった時代がなあ……

 今になったら「……アンジーお前、よくこいつを現実に留めようと努力できたなあ」と思うざんすよ。今ならな!

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