活動日誌・2冊目
#13 I don't like...
曇りのち晴れ……朝、天気予報士がそう言っていたのを思い出す。その言葉もむなしく、放課後になっても雲は晴れそうにない。
遥は部室へ足を運んでいた。さゆりによれば、今日は全員出席の「役員会議」だそうだ。部長であるさゆりが出席するのであれば、副部長の遥に出席義務はないのだが、ひとり仲間外れというのも気になる。
部室のあるフロアへ続く階段で、遥は呼び止められた。
「おはよう、遥ちゃん」
「あ、フローラさん……って、おはよう?」
翳る太陽は西に傾き、僅かに空を赤く染めている。
フローラは両の碧眼を軽く見開いたが、すぐに細める。
「わたくしのお父様、その日に初めて会ったときはいつもこう言うのよ。昼でも、夜でも」
そう言って微笑むフローラは、遥からみても美しい。所作ひとつひとつが洗練されている。一国の姫だといわれても信じるだろう。
「……フローラさんのお父さんって、どんな人なの?」
姫の父親なら王に違いないが、生憎と我が国は民主主義である。
「お父様はね……力持ちで、優しい人よ」
――具体的なところが聞けなかった……。やっぱり、やんごとない人なのかな。
話しているうちに、2人は共用部室へたどり着く。語研のスペースには、すでに他の3人が揃っていた。
ホワイトボード前にさゆり、窓を背にして友望とやよい。遥たちは、2年生2人組の向かい側に座る。
「……さて。語学研究部、第1回役員会議をはじめるよ!」
さゆりの宣言により、語研始まって以来初となる役員会議が開始される。とはいっても、部員が勢ぞろいして駄弁るだけの集まりに過ぎないのだが。
「さゆりちゃん、議題は?」
「ずばり『これから着手する言語と教材の選定』! 語研が設立されてから、主に吉田さんはラテン語を勉強してきたと思うけど……今日から、新たな外国語に手を伸ばしてみようじゃないか、ってことだよ」
さゆりは勢いよく立ち上がると、手元のプリントを見ながらホワイトボードに箇条書きする。
「ちなみに、あたしが適当に選んだ候補がここにある。この中から選んでもらってもいいし、意見があればぜひ言ってね」
上から順に、ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語・トルコ語・アラビア語・フィンランド語……と10数か国語が並んでいる。
さゆりから見て右側手前、やよいが挙手した。発言権を得たやよいが立ち上がる……が、その目線の高さはあまり変わらなかった。
「ロシア語に1票」
「その理由とは?」
「ハルカはラテン語を通して、語形変化に強くなった。その力をさらに伸ばすなら、屈折の多いスラヴ語派が最適でしょ?」
なるほど、とつぶやいて、さゆりは青のマーカーで意見を書きとめていく。それは書記の仕事なのでは……と遥は思ったが、口には出さなかった。
「フランス語に1票。遥ちゃんが勉強したのはラテン語よね。 それなら同じ系統で、日本でも馴染みの深いフランス語がベストじゃないかしら?」
「……西洋古典文学を理解するために、ラテン語のみでは不十分。古典ギリシア語の学習を推奨する」
「友望さん、それは鬼畜ってやつでは」
「ちょっと、アタシの意見はどうなったのよ」
会議は紛糾する。ひとり蚊帳の外に取り残された思いの遥だが、その実、話題の中心にいるのも彼女なのだった。つまり、必然的にこの議論は、遥の意思を問うに収束していくことになる。
「吉田さん!」「ハルカ!」「遥ちゃん」「遥」
4人が一斉に遥を向く。その形なき力に圧され、遥は思わず手元に視線を落とす。
沈黙。どこかのクラブの会話がそれとなく聞こえてくる。内容までは聞き取れないが、少なくともお隣の座禅部ではないだろう。
――どうしよう、私がなにか言わないと……ロシア語、フランス語、ギリシア語……? そんなのわかんないよ!
その時。遥の耳に届いたのは、耳馴染みがないようで、実は身近な言葉。
「あの……え、英語とか……ほら、授業でもあるし……私苦手だから、教えてもらえればなって……」
「「「「却下」」」」
まるで示し合わせたかのような、模範的な即答。
ちなみに遥が聞いたのは、この共用部室で一番大きなクラブ「英語研究会」、通称ESSの顧問であるオーストラリア人教師の声だった。
「英語やったってつまんないじゃない」
「わたくしに流れるフランスの血が拒否反応を……」
「英語は無駄に教材が多くて書店を圧迫してるから嫌いなんだよ」
「同意」
語学研究部の部員が揃って拒絶する英語とは、いったいどれほど業の深いものなのか――遥には想像できなかった。
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