#12 語研的オートクラシー

 部の活動記録を眺めていると、顧問の確認印がやよいの目にとまった。


「そういえば、ここの顧問って誰? 会ったことないけど」


三好みよし先生だよ。うちのクラスの担任」


 三好はさゆりのクラス、1年C組の担任を務める英語教師である。25歳と非常に若い新人教師だ。さゆりは部の設立に顧問が必要だと聞いたとき、真っ先に担任である三好に依頼した。新人であることもあり、部員の監督に時間が取れないからとはじめは断られたが、活動は原則自主的に行う、活動内容は語学研究だと説得して、どうにか認印をもらったのだ。


「ミヨシ? 聞いたことないけど」


「あー、今年からここに来たからね。新人で、学級担任もつのも初めてらしいよ」


「それなら知らなくて普通か。1年の受け持ちなら尚更アタシと縁ないし。男? 女?」


「女。だって、あたしだよ?」


 さゆりは右手に持ったペンの頭で、自分の頬をつついて見せる。その笑顔はすこし自嘲気味に見えた。


「そーね。サユーリ、男嫌いだっけ」


「嫌いというか、苦手なだけなんだよ。……せっかく女子高入ったのになあ」


 さゆりにとって、苦手な人間が2タイプ存在する。ひとつは自分より陽気そうな人で、もうひとつが男性である。

 内弁慶全開のさゆりは活発に見えるが、それは自分と同等か、それ以上に大人しい人を相手にするときに限る。さゆりと遥が初めて会った校門前で、それが発揮できていたのは遥が見るからに大人しそうで、かつ周りに人気がなかったからであった。

 しかし、男性に対してはなんとなく、意味もなく警戒してしまう性格なのだ。過去に特段、男性絡みのトラブルがあったわけでもない。いわば、免疫不全というのが一番正しい表現だろうか。


「担任が女でよかったじゃん。……それにしても、うちの顧問ってすることあるのかしら」


「それはこれから働いてもらうんだよ。吉田さんもだんだんラテン語慣れしてきたことだしね……そろそろ、他の言語にも手を出していこうと思って」


 そういうと、さゆりはクリアファイルから数枚のコピー用紙を取り出した。大手通販サイトの商品ページを印刷したものだ。内容は主に語学書。目を引くのはその幅広さで、ドイツ語、フランス語に始まり、ロシア語やスペイン語、果てはアイスランド語まである。


「その前に、サユーリは日本人と日本語でちゃんと話せるようになりなさいよ」


 うっ、と小さなうめき声が聞こえた。


「まあまあ。……ともかく、これから部費で購入する本を選んでいくから手伝ってよ。決まったら会計の友望さんに回して計算してもらって、あたしが顧問に提出してハンコもらう! ほら、顧問も仕事してるでしょ?」


 先ほどさゆりが書いていた、今日の活動内容を思い出す。

 部費で購入する語学書の選定――あれは誤魔化しではなかったのだ。


「じゃあ、ロシア語で決定ね。これとこれ……これはアタシが持ってるからいい。辞書もアタシが貸すから、これでトモミに回しといて」


 やよいは早口で強引に進めていく。


「ちょ、っとやよい先輩。独断が過ぎますって」


「部長権限だとか言って、独裁をしいてる人に言われたくはないんだけど。ねえ、同志サユーリン?」


 やよいは高らかに、『ボリシェビキ党歌』を歌いだす。その旋律は現在のロシア連邦国歌と同じものだが、歌詞が異なる。


「それなら、あの国の独裁者は書記長さんじゃなかったっけ。 ねえ、ヤヨーイン書記長?」


「語呂悪いからやめて」


「はいはい。じゃあ、これは今度役員会議で決めるとしましょうかね」


 役員会議とは、生徒会会則により設置を定められた五役――部長・副部長・企画・書記・会計――が出席する会議のことである。語学研究部は5名しかいないため、ただの全体ミーティングでしかないが。

 正確には、部長と副部長はどちらかが出席すればよいとされている。


「そういえば、全員揃うのは久しぶりね。どうせみんな暇人のくせに来ないんだから」


 さゆりは活動日誌をぱらぱらとめくってみる。活動日の右隣に書かれているのは欠席者の名である。

 一見して欠席率が高いのは友望。やよいはほとんど欠席していないらしかった。


「そうだね……吉田さんも、むりやり巻き込んだにしては馴染んでくれてよかったよ」


「アイツも、アタシらと同類だからよ。日本語でまともにコミュニケーションできないくせに、外国語やってる変人」


「やよい先輩、変人の自覚あったんだ」


 直後、やよいの拳がさゆりめがけて飛んでいったが、飛距離が足りずヒットしなかった。やよいはむっ、として頬杖をつく。


「……さて、帰ろうかな。先輩も一緒にどう?」


「アンタは寮なんだからすぐそこじゃない。アタシは今から駅に行っても待ちぼうけ。あーあ、寮入りたかった」


 やよいは小さく背伸びをして、そのまま椅子からずりっ、と落ちた。長机の下で下着が丸見えになっているが、誰が見るでも、咎めるでもない。

 彼女にとって、こういった行儀の悪いことができる場所は学校だけなのだ。家には厳格にして過保護な父がおり、何かと世話を焼きたがる使用人も多く住んでいる。彼女の入寮を認めなかったのも無論、父である。


「あんな豪邸に住んでたら、寮の狭い2人部屋でなんか生活できなさそうだなあ。それにやよい先輩と部屋共有する人、苦労しそう」


「……」


 やよいは珍しく、何も言わなかった。

 やよいの父は開業医であり、地主でもある。その家を見たことがあるさゆりは豪邸と評したが、そこに一切の誇張はなかった。


「あんな家。寮のほうがマシよ」


 机の下から、すこし寂しげな声がした。

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