#4 語学研究部、始動

「い、石飛さん、待ってよ」


 凛雅学園・B棟の西階段を、さゆりは一段とばしに上っていく。さゆりに手を引かれている遥は、ついていくのがやっとだった。

 たどり着いたのは、B棟の四階。多目的室が3つ並んでいるほかは、トイレと自販機がひとつあるだけのフロア。


「ほら、ここだよ、我らが部室!」


 さゆりが指さした扉の上には、「第三多目的室」の文字。そして、扉には「一般同好会共用部室」と書かれた紙が貼ってあった。


「共用部室?」


「ほんとは個室欲しかったけど、仕方ないよね。ほら、ここが語研ごけんのスペース」


「ゴケン? あ、語学研究部のこと?」


 扉の前には多目的室の見取り図が掲示されていた。とはいえ、ただ長方形のだだっ広い部屋だ。長方形は区分けされ、大小合わせておよそ10種類ほどのクラブの名称がひしめいている。語研のスペースは、向かって右奥の角、窓際にあった。


「よし、入ろう!」


 扉を開くと、学生たちのにぎやかな声が一斉に飛び込んできた。多目的室の広い空間に、不揃いなパーティションがずらりと並んでいる。どうやら設立間もない、あるいは活動実績に乏しいクラブが、ここに集められているようだった。パーティションの奥では、皆が思い思いの活動に勤しんでいる……とも限らず、他愛ない雑談に花を咲かせているところも多い。

 語研のために用意されたスペースは、お世辞にも大きくはなかった。西向きの大きな窓から、日差しが差し込んでいる。殺風景な白い仕切りの中に、遥はとても美しいものを見た気がした。

 それはパイプ椅子に腰かけた、ひとりの少女だった。


――き、綺麗……。


 ウェーブのかかった艶やかなブロンドが西日を受けて、黄金色の輝きを放っている。淡いブルーの両の目は、清らかな水を湛えた泉のように見えた。遥はこの世のものとは違うなにかを見ているような気になって、その美しい光景を眺めていた。

 やがて少女はゆっくりと立ち上がり、こちらへ歩みを進める。


「あ、さゆりちゃん。お疲れ様。はい、つめた~いカフェオレ」


 遥ははっとして目を擦った。無機質な蛍光灯が、多目的室を平坦に照らしている。欧州風の顔立ちをした美少女が、缶コーヒーを手に携えていた。


Dankeダンケ! ……そうだ、紹介しないとね。この子が吉田さん、人数合わせに協力してくれた子だよ」


「えっと、吉田遥です。……あの」


――石飛さんもそうだけど、この人もすごく美人さんだ……話しづらいよぅ……。


 気後れして小さくなる遥の声。


「ご協力ありがとう、Merci beaucoupメルシーボクー! わたくし、1年D組の下西ノ園しもにしのそのフローラと申します。……遥ちゃん、カフェオレ飲める?」


「あ、いただきます……ふ、フローラさん。あっ冷たい」


 遥が初対面の人間を下の名前で呼ぶことはまずないが、気が動転して名字を聞き損ねたため、仕方なくそう呼んだ。

 もっとも、冷静だったとしても聞き取れたかはわからない。

 明らかに異国のいでたちをしたフローラが、流暢な日本語でさゆりと話しているのを見て、遥は少しほっとした。同時に、会話の端々に混ざった意味不明な言葉も少し気になった。

 遥は改めて、殺風景な白いパーティションで仕切られた語研の活動スペースを眺めてみる。

 中央には長机、壁際にホワイトボードがある。隅にはコンセントがあり、小さな給湯器とCDプレイヤーが接続されていた。壁にはパイプ椅子が4つ立てかけられ、もうひとつにはフローラが座っている。小さな戸棚はガラス張りになっており、なぜか食器が並んでいた。


「ほんとはあと二人いるんだけどね。気になるなら放課後また来なよ。……さて、今日から語研、始めるよ!」


 さゆりが拳を虚空に突き上げる。そのとたん、


Урааウラー!」


「うわあぁ!?」


 遥の背後から大声が響いた。びっくりして振り返る遥だが、彼女の視界には誰もいなかった。

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