第2話 堕落と弱気と劣等感

「お疲れさまです」

「あっ、タイちゃんお疲れ」

 控室にいたのはミハル1人だけだった。

「あれ、副店長は?」

 いつも20分前までに来ている副店長が、シフトギリギリになっても来ないのはおかしい……。何かあったのだろうか。

「なんか、昨日の夜に酔っぱらって側溝に落ちて怪我したから今日は無理ってLINEがきててさ~ちょっと笑っちゃうよね」

 俺も思わず笑ってしまった。普段はまじめで面倒見の良い人なのだが、お酒が入ると予想を超えていく人物に変貌してしまうのだ。1か月前も、新宿界隈で飲んでいて、警察署の前で熟睡していたところを保護されていたという話を本人から聞いた。本当にお酒が入ると面白い人だなと、若干呆れつつもなぜか好感を持ってしまう。俺も昔、お酒の失敗がなかった訳ではないので、彼を反面教師にしようと改めて小さな決意を固めた。

「確か今日は3人だよな。もう一人は誰が来るんだ?」

「えーっと……清水さんらしいよ」

「(おい、まじかよ。)」

私はつくづく今日はついてないと思った。ここで働き始めて一か月、不慣れな私に丁寧に仕事を教えてくれる副店長が心の支えになっていたが、仕事での失敗をネチネチと言ってくる清水だけとはシフトがかぶらないように注意していた。


 俺はテーブルに荷物を置き、着替えを始めた。あと4時間もあいつと同じ仕事場にいなきゃならないと思うと、気が重い。

「そういえば、今日の三限さぼったでしょ。タイちゃん大丈夫なの、そんなにさぼっちゃって」

「うるせえなぁ~。今日は安田の授業に出る気分じゃなかったんだよ」

「どうせその後の必修も行かなかったんでしょ?」

「大きなお世話だよ!」

 図星だった私はいささか乱暴に返してしまった。高校から同じクラスだったミハルは私と違って、模範的な大学生の見本のような人間だ。授業はきちんと出席して、ゼミでも積極的に発言するし、学部内での成績もトップテンに入るほど優秀らしい。そんな奴と一緒にいるとまた少し自己嫌悪というか、惨めな気持ちになる。時折、サボり癖のついた俺をあおってきたりするのだが、何故か彼女のことは憎めない。

「せっかく安田の授業のレジュメ貰ってきてあげたのになぁ~」

 ミハルはドヤ顔で俺の前にレジュメをちらつかせる。

「タイちゃんこれ以上単位落とすとやばいんじゃない?」

 こんなことをしてもらうのは、俺の中の小さなプライドが許さなかったが、背に腹は代えられないと思いそれを受け取った。

「何か私に言うことがあるでしょ」

「……あ、ありがとな」

「よろしい~」


 こんな大学生らしいやり取りを終えた直後に、清水がやってきた。私の緊張が少し高まった。気が重い。早く仕事を終わらせて帰りたい願望が強くなった。

「おぅ、お疲れ」

「お疲れ様です~」

 ミハルに続いて俺も小さく反唱する。

「お、お疲れ様です」

「いや、わりいな。新装開店で朝から打ちっぱなしだったんだが、当たりっぱなしでよ。仕事だから切り上げてきたんだ」

「そうなんですか~。でも、もう少し早く来てくださいね」

「わかってる、わかってるって」

 清水は、上機嫌なまま支度を始めた。すると突然叫び出した。

「おい、こんなところに荷物を広げるんじゃねーよ。誰だ!」

 俺はすぐに謝った。

「あっ、すみません。すぐ片付けます」

 清水は俺のことを好んでいないのは分かっていたから、こうするのが最善だと考えた。とりあえず、面倒ごとを避けるには謝っておくのが一番だ。

「ったく、狭い部屋なんだから少しは使い方を考えろよな」

「すみません」

私は再び謝って、レジへ向かった。客に対して、最高のぎこちない作り笑顔を提供し、小銭を稼ぐために……。


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