同じ生け簀に入れられた魚

第13話 はちまき

世界は言語によるコミュニケーションを主としている。


話さなければ伝わらない、私が最近までお世話になっていた施設の園長先生は私にこう言った。


でもね、話さなくても他人の意図が分かる人間にとって言語は足枷なのだ。


意図を受け取ったら、行動に繋げればいいものを、言語によるコミュニケーションを挟まねばならないという俗物的な規則があるせいで、無駄なステップを経ることとなる。


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神保町、さくら通りのアーケドをくぐって少し進んだところに「天麩羅」と書かれた暖簾がかかった店があった。


江戸川乱歩も愛したという天麩羅の老舗らしい。


私の前を行くキリカちゃんは、暖簾を手で払いながら店の中に入っていった。


「何名様でしょうか」


手際の良さそうな、割烹着に三角巾姿のお姉さんが奥の方からスタスタと歩いてきた。


手には水滴のついた灰色のお盆とメモ帳。


オーダーをとってきたばかりだろうか。


この店には座敷は一つ。


ということは、今はカウンターしか空いていないということだろう。


「座敷でご相席か、カウンターになるんですけど」


申し訳なさそうに、関西訛りで謝るお姉さん。

如何にも「どうしますか?」といった表情で首を僅かに傾けてその場で立ち止まった。


視界の左側には厨房があって、いつもどおり、若旦那を叱りつけながら天麩羅をテキパキと盛り付けたり、揚げたりしている大将がいた。


ジュワジュワと揚げ物が踊る音、

新鮮な油と天麩羅粉の匂い、

若旦那が坪から柄杓でタレを掬って、シャーっとかける様が五感から入り込んでくる。


勝手に入ってくる情報はいつだって溢れそうになる。


それらを遮断して、キリカちゃんにスッと視線を移すと、心得たとばかりのカウンター席に座ってくれた。


私が相席無理だということを分かっているのだ。


「渋谷でもよかったのに」


ここは神保町だ。

わざわざ半蔵門線に乗って数駅分移動した先に、この天麩羅屋があった。


「いーの!今日は天麩羅の気分だったから」


「キリカちゃんはね」


「なーにー?何か食べたいものでもあったの?」


「別に、」


「じゃーいいじゃなあい。ここの天丼は絶品なのよ」


「へー」


カウンタ席の中央に空いた二人分の空間に自分たちをねじ込んだので、少々窮屈だ。


隣にいるお姉さんが食べている丼の中身が見えるし、味噌汁の湯気が顔まで漂ってくる。


若干の食のネタバレを喰らいながら、目の前で天麩羅揚げる大将を視界に収めつつ、キリカちゃんと話す。


ズズズっと、湯呑を両手で持って温かい緑茶を素する。


隣で同じようにお茶に口をつけるキリカちゃんからは、キリカちゃんからはCHANEL No.5がふわりと香る。


くるくる巻かれた茶髪は時として邪魔そうなのだが、キリカちゃんはいつもこのウィッグを被っている。


ヒールを履いたら190センチあるキリカちゃんも、座ってしまえば私とそう変わらない高さに目線が来る。


反対の隣で上下黒のリクルートスーツを着た女性が、タレでシャビシャビになったご飯を、丼を傾けながらかきこんでいた。


ネームタグを下げたままということは、この近くの会社の人だろうか。


見た目と所作が学生寄りで、リクルートスーツを着ているが、ネームタグにはしっかり大手出版社のロゴが入っていた。


この会社の芸能部から、先週インタビューを受けた覚えがある。


「神保町ってことは、出版社の方がいっぱいいらっしゃいますよね」


キリカさんに宛てた言葉だった。


しかし、それに反応した隣の女性が盛大に噎せてしまった。


「ゴホッっっ」


「」


「グエエエッホ」

本当に苦しそうなのに茶を飲もうともせず噎せている。


よく分からないが、私の目の前にあったステンレスボトルをスッと差し出すと、湯呑にダバダバと注いで、勢いよく飲み干した。


「‥」


「あらあん、大丈夫かしら」


若干哀れんだ目で隣を見やる。


キリカちゃんは心配そうな声音だ。




――ほら、こんなかんじで。



喋らなくても通じることはたくさんある。


見たらわかる。


それを何故わざわざ声に出さなくてはならないのか。


スーツの女性は恥ずかしかったのか、私に軽く会釈してバタバタと慌ただしく勘定しにいって、そのまま店を出た。


「あの人、慶談社の人だったよ」


「そうなの?」


「うん」


またズズッとお茶をすする。


そこに溜まった粉末が喉をザラつかせるのを感じながら飲み干すと、ちょうど味噌汁が運ばれてきた。


もうすぐ天麩羅も来るのだろう。


目の前では若旦那が盛り付けの微調整を行っている。


「ねえ、キリカちゃん」


「はあい」


「私、オファー受けるよ」


「‥‥え、」


「ベースでしょ?どうせ」


「え、まさか本当に」


「まあね、気が変わった」


「あらあああああん!!本当の本当よね!?!」


「ホントだよ」


「嬉しいいい」


隣で女子高生よろしくキャピキャピ喜ぶキリカちゃんに、店内の注目が集まったが、ちょうどタイミングよく来た天丼に救われる形となった。


「まず食べよ」


目の前に置かれていた割り箸挿しから一膳スッと抜いて、パキリと割る。


そのまま箸を持った状態で、両手を合わせた。



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