第6話 髪が揺れた



「一人で飯も食えねーとか、廃人かっつの」

耳の辺りで切りそろえた黒髪に、シンプルな青のピアス。

某有名私立高校の校章が縫い付けられたジャケットを羽織った彼は、鋭い眼光そのままに私を見下ろしている。



「いや、でも、ウィッグ被って生活してるくらいだし、きっとワケありなんだよ」

その隣には、チャラさ満点な金髪さん。

女子とおなじくらい華奢な体は、今にも折れそうだ。

足が針のように細く、普通に服を買うのが難しそうなほど足が長い。



「誰なんだろうねー」

少し離れたところにある椅子に座って、足をプラつかせている黒茶の髪をした少年。

ベビーフェイスな彼には不似合いな、ガタイの良さからして彼がこのバンドのドラマーだろう。


人の区別がつきにくい私にとって、三人それぞれに個性があるのはありがたい。





目を開けると、そこには書類で見た三人がいた。






「あ、キリカちゃん」


あと、キリカちゃんも。

ドアの近くで、スマートフォン片手に誰かと話していたのを切り上げて、ツカツカとこちらに向かってきた。


「あ、じゃないわよ。このスカポンタン!!」

「げ、」

第一声がお叱り。

顔が怖かったから覚悟はしていたが、キリカちゃんくらい、黄金比に近い顔の造りをしていると、迫力が増す。

顔の骨格に合わせて切り、セットしてあるであろう、明るい茶色の巻き毛は彼女のトレードマークだ。

イブサンローランの香水もほのかに香ってくる。




ソファーの隣まで来たキリカちゃんは、屈んだ。

胸元がV字に開いたサテンシャツに、ペンシルスカートと、高めのピンヒール姿のキリカちゃんを、床で座らせておきたくなかったので、体を起こして、空いた場所をポンポンと叩く。


そして私は、彼女の膝の上にまた寝直した。


無言で額に手を当てるキリカちゃん。

どんなハンドクリームをつかったら、こんなにもしっとりすべすべな手になるのか分からないが、とにかく、ひんやり冷たい掌が気持ちい。


無意識にすり寄る。



「ちゃんと食べて、寝る。って言わなきゃできないの?!?」

怒ってるけど、心配が伝わってくる声音。

キリカちゃんは、すんなりと私をあやすように抱きしめてくれた。



私はクルッと体の向きを変えて、キリカちゃんの胴体にしがみついた。


服装や見た目は女だけど、身体的にはしっかり男性らしく、堅い筋肉がついている。


でも、キリカちゃんはキリカちゃんだから。

生物学的には男性だけど、私は女性として見ている。


男性とは必要以上に関わりたくないと思っている私でも、安心して側に居られる。


なんていうんだろ。

男女という区分ではなくて。


ママ、ってかんじがする。



「ん」

「もう、まったく」

溜息が深い。

もしかしたら、仕事が忙しい中抜けてきてくれたのかもしれない。

せめてもの罪滅ぼしに、こんどの休みは、キリカちゃんのお買い物に付き合ってあげよう。


「ごめん」

「スケジュール詰めすぎたかしら」

心配もかけたようだ。

基本、私の仕事はマネージャーとキリカちゃんに管理されている。

彼女たちが厳選した仕事の中から、私が興味を惹かれるものを選んで、作曲している状況だ。



「うんん、自分の問題」

「家族のことも絡んでる?」

「いや、仮眠続きだっただけ。心配しないで」

「心配するわよ!」

「む」

「いい加減私の家に来なさい」

「キリカちゃんに迷惑これ以上かけらんない」

「そんなこといいの、気にしなくて。高校入ったら何とかならないのかしらん」

「んー、」

「」

「”あの人たち”が面倒を許すとは思わないな」


あの黒いもじゃもじゃなウィッグから解放された頭は、現在キリカちゃんに撫でられてり、外気に触れて不快感が消えた。

ウィッグは長時間着けると、蒸れるし、ゴム部分の締め付けで頭が痛くなる。


正直に言うと、私は極端な人間で。


食事も、睡眠も、勉強も、最低限必要な分取れればいいと思ってる。


だからこそ、意識しないと、呼吸、排泄以外の生命維持活動を忘れてしまうのだ。


こないだなんて、事務所の4階にある作曲室で曲を作っていたら、一日半経過していたなんてこともあった。


キリカちゃんが出張明けに出勤したときに、敢無く見つかった。


そのときも、今みたいにこってり絞られたものだ。


出社したばかりで、1時間後には会議も入っていたはずなのに。

「行くわよ」って、私の首根っこ掴んで、駐車場まで行って、いつものこじんまりとした洋食屋さんに連れていかれた覚えがある。


「おい、」

「」


キリカちゃんに抱き着いたまま、視界を塞いでいたから忘れかけていたが。

私以外にも、部屋に人がいるじゃないか。


「あ、」

「あ、じゃねーよ。行き倒れ」

「」

「」

「すみません」

「で?」

「はい」

「俺のこと巻き込んでおいて、礼も、説明も無しか?」

「あ、はい」


最初に目に入った彼。

名前は、岩崎一蕗(いわさきいぶき)だったか。

作曲依頼リストにあるバンド、「Blank 」(ブランクスペース)のピアノだ。


伝統的な、3つボタンのブレザーに、上下灰色のセットアップ。校章は、ペンがモチーフになっている、あの桂陽学園の制服を着ていることから分かるように、彼はボンボン。


旧財閥系企業の一つ、岩崎商事の取締役の長男。


履歴書を見た時は、一瞬見間違いかと思ったほどだ。


岩崎家が、長男の芸能活動を許すとは意外だった。


まあ、どうでもいい。







「キリカちゃん」

「なにかしら」

「岩崎さんと、モモさんと、藤原さんに説明ヨロです」


口を開くのが億劫だ。

ここはキリカちゃんに任せよう。

「あ、でもお礼くらい自分で言わなきゃダメかな?」と思わないこともなかったけど、いいや。


代わりに手をヒラヒラと振って、再びキリカちゃんのお腹にしがみついた。


しばらく無音が続く。


と、思ったら。


ガシッと頭を掴まれた。


「おい、」

「ナンデスカ」

「テメーの面倒くらいテメーで見ろや」


ドアップになった岩崎一蕗の顔。

近すぎて息がかかっている。

生ぬるくて気持ち悪いが、臭くはない。


「お坊ちゃまなのに、意外と口悪いんだね。びっくり」

「あ”?」

「あと、近すぎ。離してくんない?」


ドサリのキリカちゃんの御膝元に不時着した。

私の頭より、キリカちゃんの御膝の方が痛そうだ。


寝てばかりいては、拉致が明かないので、渋々体を起こした。




「てめ、さっきから聞いてりゃ俺たちのこと知ってるみたいだな」


「」


「名乗れ」


「翡翠川永良(みどりかわながら)」


「どうやって俺たちのこと知った?」


「キリカちゃーん」

私に問い詰められても困る。

正体を隠している身としては、ボロを出さないうちに帰りたいのだ。



「社長に頼らず、これくらい自分で答えろ。気に入らねえな」

見た目は清楚なのに、中身はヤンキー。

流行りの恋愛漫画に出てきそうなほど、王道な、整った顔をしておいて、やることは乱暴だ。

まさか、初対面の人間の髪を掴むとは。



「え、答えなきゃだめ?」

別に答える義理はない。

面倒だし。

その観点が、岩崎クンにはどうも欠けているように見える。

恐らく、今まで、誰かに楯付かれたことが無いのだろう。


「は?」

予想通りのキレ方。

面白味もなにもない。



「私は答えたくないからキリカちゃんに任せる、って意味で投げてるんだけど?君の指示に従う筋はないね」

私としては挑発したつもりはないのだが、岩崎一蕗は襟元を掴みかかろうとした。


他にも、この部屋にあと2人いたはずなんだが。


どちらも止めに入る気がなさそうなので、自分で避けた。


手の甲で、向かってきた指をはじいた。

私たち以外は喋っていない空間で、音が少しだけ響く。





「この借りはいずれ返すから、今回はこれで終わりでいい?」


あー、長々と喋りすぎた。

普段、必要な会話以外しないから疲れた。

今日はもう電池切れ。


このまま話に付き合っていると、長引きそうな予感がしたので、勝手に切り上げることにした。


試験もあるし。


失神していた分、スケジュール押してるし。




「じゃ、」


失った時間をどこでリカバリーするか考えながら、ソファーから立ち上がり、ローテーブルの上にあったウィッグを手に取る。


まだ少しフラつくけど、寮に帰るくらいはできそうだ。


薬局に寄って、解熱剤と冷えピタとスポーツドリンクと栄養剤買って。

コンビニで、サラダと、ちまいパンでも買おうかな。



そんなことを考えながら、社長室のドアに手をかける。

最後に一礼だけしとこう、礼儀だし。

と思い、4人がいる方向に向き直って、頭を軽く下げて、部屋を後にした。




部屋を出た瞬間、パーカーのフードを被ることも忘れない。




一番近くの女性トイレまで行って、ウィッグを被りなおした。



鏡に映っている地毛は灰色がかった黒。

染めたことは一度もない。


髪色が原因で、よく目を付けられた。


「調子乗ってんじゃねーぞ」

「色気づきやがって」


言葉の棘が刺さっては、抜く。

繰り返す毎日。



それでも、何故か染めちゃいけないと思った。


顔も声も忘れてしまった親の為ではなく、自分自身の為に。




「」

このフロアは、社長室と社長秘書室しかないから、私が会って困るような人は滅多に来ない。


パウダールームの鏡を独占しながら、いつもより丁寧にウィッグを被りなおした。


外に人気が無いことを確認して、入ってきたときと同様、フラッとトイレを出て、エレベーターに乗り込んだ。



「」


7階から地上階まで下りる間、ふと考える。


さっき会った三人組の、曲を作ってくれと、キリカちゃんに頼まれていたが。

どんな曲にしよっかな、と。


清掃のおばさんとか、スタッフとして、アーティストのことを探ってから、曲を作るようにはしているのだが、今回は面が割れてしまった。



考えているうちに、ポーンと音が鳴って、ドアが開く。






大理石の床に足を踏み下ろしたとき、ちょうを風にあおられて、偽物の黒髪が揺れた――。


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