第5話 本格的に面倒なの来たわ


「ここらへんで休憩挟んどこうか」

ベースをスタンドに立て掛け、丸椅子を立ったモモは、首に右手を当てて、ぐるりと回していた。


意外にも、飛鳥が「あ、ズレた。もう一回」と音がズレるたびに、やり直しを求めるのだ。


今練習しているのは、先輩の曲。

ライブの前座を任せてもらえた時には、先輩アーティストの歌を何かしらピックアップしている。


テイスト的には、アイドル専門事務所でもなく、特定ジャンルの芸能に偏るわけでもなく。

大手らしく、様々なフィールドで活躍している先輩がいるが、こと音楽に限ると、本格派やクールなイメージのアーティストが多い。


例えば、今は活動拠点をLAに移している『Ad/』(アド)だったり、ソロで活動してる女性アーティストの中では恐らく一番有名な『氷雨』。


世界でも通用するアーティストと、日本のトップチャートに必ず名を乗せてくる人。



だから、俺はここに入った。



「あ”?」

「あれー、イブキも?」

水でも買い足すか、と思って席を立つと、同時にドアの方に向かったモモに捕まった。


「面倒くせー」

肩に組まれたひょろい腕を払った。

モモはモデルだったか、とふと思う。

体型維持と称して吐いてるアイドルを偶に便所で見かけるが、気分のいいもんじゃない。


地下1階以下にスタジオがあって、地上階からオフィスになってるこの事務所には、自動販売機が地上階にしかない。


業者であろうと、芸能人に容易に近付ける環境があると、セキュリティ上良くない……と、キリカサンが言ってたか。確か。


ポケットに手を突っ込みながら、階段を上がる。

エレベーターを待ってる方が、だるい。


重ッ苦しい鉄の扉を半ば蹴り上げるようにして開けると、エントランスから通り抜けてきた風がブワッと顔に押し寄せた。


風圧で髪が乱れる。


夕方ということもあって、今ので完全に髪がボサボサになった。


キーボードの叩き過ぎで、地味に手首と指先が痛い。

手を使いたくない気分だった。


「いつ何時も見られる覚悟で行動しなさい」


あのババアが口うるさく言う言葉がある。

そんな言葉が頭を過った。


「めんど」


キャーキャー言う学校の女共が煩わしい。

俺は雑音が嫌いだってのに。

ファンです、好きです、なんてどうでもいい。

逐一見られてるのも気に食わねえ。

って、質なのに、俺は何故か芸能界に片足突っ込んでる。



「あ”?」

第8会議室の前にある自販機が一番近い。

会議中の奴らがでてきたら、面倒だがまあこの時間に会議は無いだろう。

が、早く去りたいことに変わりはない。

が、いくら札を入れても返ってくる。

アッポルウォッチで払おうにも、スタジオに置いてきた。


クソ。


ピーピーピーと連続して鳴るエラー音。


「あー、止めるか。面倒くせー」



何も買わずに帰ろうとしたら、背後からものすごい音がした。



「は?」


物が倒れる音と同時に、鈍い音もした。


人体が何かとぶつかった時に鳴る音は聞き慣れているから分かる。



財布に一万円札を仕舞い、第8会議室の扉をノックする。


「」


応答がない。


もう一度ノックする。


それでも応答がない。



「入っても問題ないよな」


中から人が話しているような声も聞こえないから、大丈夫だろう。



「失礼しま、」


ゆっくり扉を開けると、扉の端が何かにぶつかってゴンッと音がした。


「ゲ、」


下を見ると、そこにはうつぶせに倒れた人型があった。





「本格的に面倒なの来たわ」



顔は見えない。

制服は、事務所の未成年組のほとんどが通ってる芸能学校「鳩の森学園」の中等部のもので。


ならば、事務所の人間かと考えるのが普通だが、髪がモジャモジャな芸能人など芸能人ではない。


身だしなみについては、キリカサンが煩い。



「じゃあ、なにもんだコイツ」



とりあえずひっくり返して、頬を叩く。


「おーい、大丈夫ですかー。あのー」


もしかしたら、アーティストのストーカーか、、、。

と考えると、身震いが。



でも、放っておくわけにもいかない。



手っ取り早く、内線で警備室に連絡した。


「あのー、第8会議室で人が倒れているので、至急警備員さんに来てもらいたいんですけど」


「はい、今すぐ向かわせます。お名前と所属よろしいですか」


「あ、はい。Blank Spaceの岩崎一蕗(いわさきいぶき)です」


「ありがとうございます。では、そのまま内線は切らずお待ちください」


警備室の人も少し慌てた様子だった。


この会議室の予約は今の時間、キリカサンが取っていたらしく。首を傾げていた。


「キリカサン名義の会議室に、鳩の森学園の中学生?」


意味が分からない。


今俺が考えたところで、正解にはたどり着けない。


とりあえず、気道を確保するために頭の下に膝を入れてたが。


「熱いな」


倒れていた少女は高熱を出していた。


「くそ、移ったらどうすんだ」


メジャーデビューを控えているとはいえ、体調管理は確実に行うことが求められている。


風邪が移ったら、声が出なくなるし、スタジオ入りもできない。


珍しくイラつきながら、警備を待つこと3分。


「遅い」


「は、はい。すみません」


思わず言ってしまった。

150メートルくらいしか離れていない警備室から来るのに3分もいらないだろ。


担架を片手に入ってきた警備員2人組は、おっかなびっくり少女を乗せていた。



「あの、その子どうするんですか」


「あー、末永社長と連絡を取ろうにも内線が繋がらなくてね」

「アーティストが来る部屋に寝かせておくわけにはいかないので、警備室で様子見ながら、手当することになります」


「え、キリカサンなら、うちのスタジオにいましたよ」


「本当ですか」

「どちらのスタジオに?」


「B1-005スタジオです。内線かけましょうか」


「お願いします」


人のよさそうな顔の警備員は、当たり前のように申し出を受けた。

普通、断るところだろ。

爺が。


「お、飛鳥」

「なーにー、ぶっきー。戻るの遅くない??今どこ??」

「キリカサンいるか?」

「いるよー」

「代わってくれ」

「はーい。キ―――――リー―ーカ―――さーーーーん」

「うっせーぞ飛鳥」

「はぁい、イブキ。キリカです。どしたのかしらん?」

「今第8会議室なんだけど、」


「え、」


「人が倒れてた」


「女の子?」


「ああ。鳩の森の中学生だ」


「待ってて!!!!すぐ行くわ。そのまま」


「は?」



あのオカマが焦ったとこなんて初めてだな。


てかどんだけ速いんだよ。


階段から既に音がする。

近い。


「バアーーーン!!!」



俺がさっき蹴り開けた時よりも大きい音をさせて、扉をこじ開けたのはキリカサンご本人。


スカートからはみ出た足は、筋肉質で。

男らしさ満点だった。


「いや、まじでなにもんだよ」


鳩の森の女にしろ、キリカサンにしろ。



一つだけ分かったことがあるとすれば、少女が不審者では無いってことくらいだな。







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