第16話 仲忠は約束の御手本をそれぞれに渡し、東宮と藤壷は文をやりとりする
そうこうしているうちに、「右大将殿より」と、約束の手本が四巻、色々の色紙に書かれたものが花の枝につけられて孫王の君のもとに文をつけて送られた。
「そちらへ直接持って行くべきものかもしれませんが、ご依頼の東宮への御手本を持って参内しなくてはなりませんので。
使に持たせた四巻は若宮のに、との仰せでしたのでどうぞ。お手本になるというものでもありませんが、是非にということでしたので、急いで差し上げます。
―――貴女のお使いになる表向きでないものとしては、どんな御手本が必要と仰有るのでしょうか―――」
そう文には書かれていた。
藤壷は早速見てみる。
すると、まずは山吹の花につけた黄色の色紙に書かれていたのは楷書の漢字で書いた「春」という字。
次に松につけた青い紙に書かれたのは草書の漢字で書いた「夏」の字。
卯の花につけた赤い色紙に書かれたのは万葉仮名で書いた文。はじめは男文字でもなければ女文字でもない書き方で「あめつち」と呼ばれる手習い詞。
その次は漢字を繋げず、一字一字離して書くという書き方。同じ音の文字で幾通りにも書いていた。
「―――私が幾通りにも書いた春の字も、墨の跡と共に変わって見えることでしょう―――」
次に女手。
「―――未だに暗い書道に踏み迷って、千鳥の跡ほども書けません―――」
その次も女手で。
「―――飛ぶ鳥にも跡があるように手習さえすれば、遙かな雲にまで届くほどの文も書けるようになるでしょう―――」
次は片仮名(古体)で。
「―――過去も現在も行く先々まで思う心は変わりません。あなたも忘れて下さるな―――」
最後は水辺の茎の様に見える葦手書き(草仮名)で。
「―――涙の川はひと処に清くすむこともなく、目にも袖にも止まらずに流れ続けます―――」
と、これらの字体を大層大きく書いたものをまとめて一巻きの手本にしてある。
藤壷はそれを見て、
「わずらわしくて大概のことには人に見せたり教えたりすることを惜しみ嫌うあの方がまた、真・行・草・仮名書きの女手男手という風に惜しみなく色々に書いてくださったのね。先日、本気でもなく頼んだのにちゃんと持って来てくださったのだわ。東宮様がずっと欲しがってらしたものも今日こそは奉ってくださるのでしょう。この返事は私自身がしましょう。使いは誰かしら」
そう問いかける。すると、
「お手本を差し上げてから使は退出いたしました」
そう返ってくる。
「気の利かない…… あの方のところからこういう大事なものを持ってくる使には、気をお利かせなさい」
周囲にそう言い聞かせると、非常に厚い白い色紙の一重ねにこう書いた。
「頂戴いたしました物については、『人を訪うとも我かと思う』と言いますから、私がいただきました。このお手本をこんなに様々な形でお書き下さったこと、非常に嬉しく思います。二人の皇子達をぜひ御弟子にして、習字以外のこともぜひお教え下さいませ。
ところで終わりの辺りで求めていらっしゃるものは一体何でしょう。私以外の方に仰有っているものではないですかと思うと気がかりなのですが」
そのようにいつもより大きく目立つ様に書くと、
「これを、気の利いた者を使いに出して頂戴。そして置いてきたらさっと帰ってくるのですよ」
と言って出させた。
*
そんなことをしている内に東宮からの文がやってきた。
「どうしていますか。文には夜の間にも会いに来てくれるとあったので。信頼していても、いつ事が起こるかもしれない。毎晩でも会いたい。そちらにも行きたいと思うが、それは出来ないことだから、心にもなく辛抱しているのだよ。この間書いた、女四宮のところには一日だけ行った。
―――あなたを時の間も忘れる折がない―――
そなたが世に居なくなるようなことがあったら、御子達をどうするのかと思えば、生きるのも嫌ではないだろうが……」
と書かれている。
藤壷はそれを読んでふと蔵人に訊ねてみる。
「女四宮のところにはいつお渡りになりました? 何度かいらしたのでしょう?」
「朔日に東宮は帝のところへお渡りになりました。その折に一晩だけ女四宮は東宮のへお上りになりました。東宮は最近は毎日昼は詩文の御勉強で、講師が参内致しておおります。夜は夜で更けるまで御手習をなさっております」
成る程、と藤壷は思い、返事を書く。
「ここのところ、不思議に悩ましくばかり感じて、どうなることでしょうと、非常に心細い気持ちになっております。東宮様のおそばに夜は参内したいと思ってはいるのですが、身動きも出来ないほどでございますので、誰にもわからない様に外出するということはとてもできません。ところで『蔭につけつつ』と仰有るのは本当でございますか?
―――私を思い出す間などございませんでしょう。お気に入りの方々ばかりがお側にいらっしゃるのですもの―――
とばかり、私も悲しんでおります。『一日』とありましたけど、たいそう良いことですね。そんなにお慕いになってお側にいらっしゃり様ならば、呑気にもしておいではなれませんでしょう」
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