第2話 変更後

 今日も僕は動画サイトを開く。通知ボタンから配信にアクセスした。

 始まったのは数分前。画面下のコメント欄はすでにリスナーの挨拶が並んでいた。

 待機画面が切り替わり、画面上でひらりとリボンが舞う。淡い色をした布を追いかけるように配信主が画面に現れた。

 そして僕の頭の中に中学の教室が浮かび上がる。


「このリボンは彼女が紡いだ絆ね」


 ふとあかね色の教室で彼女がそう言う。僕と彼女しかいない空間で、机を挟んで向き合っていた。彼女がノートにシャーペンを走らせて、楽しそうに語る。僕はふんふんとうなずいて、そのイラストを眺めていた。

 西日に照らされたノート。女性キャラがフリルローブを羽織っていた。杖を携え、”魔法使い”と隣に設定が書かれている。

 そんな魔法使いが今日も目を開く。彼女はマイクテストをするように声を上げた。コメントに合わせて身体を揺らす。紫がかった白髪がふわりと揺れ、彼女を追うようにリボンがひらりと舞った。

 ローブの下に白いブラウスを着込んだ彼女は口を開く。

 彼女、届家(とどけ)こころはいわゆるバーチャルユーチューバーだ。イラストの身体を持つ彼女はいつも楽しそうにゲームをし、雑談をし、歌を歌っていた。

 今日もこころは流れ出すコメントに笑みを浮かべる。僕はキーボードに手を置いて、挨拶を打ち込んだ。


「あ、カガミさん、いつもありがとう~。届いたよ~」


 彼女は僕のアカウント名を読み上げた。最近、チャンネル登録数が一万を超えた彼女。そして活動当初から僕は彼女を見ていた。彼女がまだ伸び悩んでいた頃、僕は彼女のガチ恋を名乗っていろいろ広めていたのだ。

 実際、僕の挨拶にちらほらと反応してくれているリスナーさんもコメントにいた。軽く受け流して、こころをじっと見つめる。


 やっぱりそのままだよな。

 

 かつて見たイラストを思い出して、何度目かも分からない同じ想いに至る。ふうと息をこぼして、僕は画面から視線を外した。首をぐるりと回して、窓を見つめる。

 ぴっちりと閉じたカーテン、その向こうには岡本玲香(おかもとれいか)の部屋がある。中学までずっと一緒だった幼なじみ。高校に入ってからは、これまでの腐れ縁が信じられないぐらいクラスも離れ、話さなくなっていた。会う理由なんて必要なかった僕たちだったが、いざ繋がりがなくなると、急に疎遠になってしまった。

 

 窓の向こう、すぐそこにいるはずの彼女なのに。

 毎日のように話していたあかね色の教室でさえ消えてしまいそうだった。

 

 そう思いながら一年が経ち、こころと出会ったのだ。

 中学の頃、玲香がノートに描いていたキャラクター。魔法使いという設定も、ファンシーなブラウスも、だぶっと重なったローブも、垂れ目の笑顔も、すべてがそのまま画面上にあった。

 こころはコメントに触れ、声を跳ねさせた。柔らかい笑みと、優しげなソプラノ。あの頃、僕に向けられていた声でこころは話していた。

 僕はまたキーボードに手を置く。

「今日もかわいいね」

 口に出しながら打ち込む。一瞬迷ってからガチ恋という仮面に背中を押された。

 こころは恥ずかしそうに身体を揺らす。同意のコメントが勢いよく流れ、彼女はにへらと目を細めた。少し間の抜けた笑顔で、こくりと頭を傾ける。

「ありがとう。みんなの思い、届いたよ~」

 自分の名前をもじった決めセリフ。恥ずかしいのか、いつもより声が震えていた。コメントがはやし立てる。僕もその中に飛び込んで同じ言葉を並べた。

 彼女は深呼吸をして息を整える。僕はキーボードから手を離した。そしてすっと窓に目を向ける。

 ぴっちりと閉じたカーテン。まるで拒絶しているかのような布をにらみつける。

 一枚の薄い布。だけれども僕には大きな壁にも見えた。

「ぜんぜん届いていないんだよなぁ」


 

朝の教室。クラスメイトの挨拶が飛び交う中、僕は一人席に座ってスマホをいじっていた。

「昨日のごじだつじ、見た?」

 そんな声とともに、視界に手が降ってきた。顔を上げると、クラスメイトの田中が笑顔を浮かべている。坊主頭の彼は前の席に腰掛けた。そのまま僕の机に身を乗り出す。僕は手を下ろして、その笑顔に「おはよう」と返した。

 ごじだつじは人気のバーチャルユーチューバーグループだ。所属しているライバーたちは様々な企画をし、いつも業界のトップを走っている。

 そして田中は中学から続くオタク仲間だ。最近はもっぱらブイチューバーの話をしている。


「ごじだつじの人数だからこその企画だったよな」


 昨日のクイズ番組を思い出しながら答える。参加していたメンバーが出題者にも回答者にもなる企画。それぞれ自身の活動から問題を出して、他の参加者に答えさせていた。クイズの勝ち負けだけでなく、隠れていた関係性も見えた企画だった。

 それなと同意を重ねてくる田中。僕は小さく笑い返して、スマホに目を向ける。SNSを開いて、クイズ企画のタグを開いた。てぇてぇ、すこなど、語彙力が消失した感想が並ぶ。

 それを見ながら僕は口を開く。あの回答がよかった。この質問はニッチだった。一つ一つ挙げてはお互いに手を叩いて、笑い合う。朝の教室。まだ担任も来ていないゴールデンタイムに、僕らの会話も溶け込んだ。

 まだ流行ってから二年足らずのバーチャルユーチューバー。それでもテレビだったり、雑誌だったり、活躍の幅は広がり続けている。それはこうした日常も同じで、様々なところでバーチャルが混ざり始めていた。


「そういえばさ、お前の推し聞いてなかったよな」


 僕の頭にこころが浮かぶ。

 スマホを操作して届家チャンネルを開いた。自己紹介の動画ページに行き、田中に見せつける。ふうんと首を回した彼はポケットからイヤホンを取り出して、僕のスマホを受け取った。

 僕は動画を見る彼をうかがう。もしかしたら気付くんじゃないかと、そんな不安と期待を抱きながら。

 おおよそ三分ほどの動画。見終えた田中は「かわいいじゃん」と笑う。特に思うところはないようだった。

 僕はスマホを受け取りながら何でもないように口を開く。


「そういえば、玲香って知ってるか?」

「玲香って、あのおとなしい子か? おまえの想い人の」


「幼なじみだよ」と僕は慌てて返した。

 田中は首をぎぎぎと傾けた。ぬーんと声を上げる。

 同じ中学だった田中。もちろん玲香のことは知っているわけで、三人で一緒に話したこともある。けれど、彼はこころになんとも思わなかったようだ。


「なんでおまえの思い人が出てくるんだ?」


 田中はそう言って「貸してみ」と手を差し出した。再びスマホを渡すと、またイヤホンを指す。


「確かに声は似ている……ような気もする。けど、配信をするようなキャラにも見えなかったけどな」

 

 ブイチューバーはイラストの姿で配信をしている。その向こうには表情をリンクさせた配信者がいる。なかなか見えない向こう側の存在だが、声で特定されることも多い。

 僕がこころが玲香だと気づいた理由も、イラストと彼女の声だ。

 けれど玲香は僕以外の人には前髪で表情を隠し、静かにしていた。実際、田中はおとなしいと印象を抱いたようだった。

 頭を左右に揺らす田中を見ながら僕の中で疑問が浮かんでくる。


 玲香はどうしてブイチューバーをしているんだろうか。


 ふと浮かんだ疑問に答えは出ず、朝のチャイムが鳴り響いた。




 放課後、文芸部室を出ると、先輩が追いかけてきた。僕の背中を叩いて、隣に並ぶ。

「いや~、私も返すの忘れててさ」

 彼女はからりと笑う。眼鏡の赤フレームが西日を受けてキラリと光った。

 図書室に向かう僕を見て、彼女も借りっぱなしだったことを思い出したらしい。手に持った単行本を掲げて「返却日を過ぎちゃってた」と舌を出す。「いや、僕はまだ余裕ありますけどね」と返した。先輩はからからと笑う。

 

 何がそんなに面白いのだろうと、彼女の跳ねるポニーテールを見つめた。

 

 そういえば最近もこんなやり取りをした気がする。先輩と歩く廊下、窓から差し込むあかね色、楽しげに揺れる髪ときらりと光る眼鏡フレーム。お互いの手には本があって、一緒に図書室に向かっていた。

 そんな風景が頭に浮かんでは消えていく。夏服のワイシャツでも、冬服の学ラン、ブレザーでも。一つや二つじゃなくて、一年半分のいろんな二人を幻視した。

 頭一個低い先輩はコミカルに動き、笑い、僕に話しかけてくる。この小説はどうだった。あの物語はこうだった。お互いに読んだタイトルを確認しては一歩踏み込んだ感想を交換し合う。そんなやり取りがどこかこそばゆくて、気付けば僕も笑っていた。

 同じものを持っていることがこんなにも嬉しい。すっと力が抜ける。

 階段を下り、図書室に繋がる廊下を進む。ふと前方の扉が開き、教室から二人が現れた。久しぶりに見た黒髪に息を飲む。

 玲香と男子生徒が並んで歩いていた。美術用具を抱えた二人は楽しそうに話している。ふと彼女の顔が上がる気がして、思わず横に目を向けた。先輩はうん? と首を傾げる。

 視界の端で玲香の黒髪がふっと舞った。垂れリボンの淡い白が重なる。

 図書室の前にたどり着いて、ふと振り返った。玲香は隣の男子に目を向けている。僕の胸がじくりと痛んで、慌てて顔を背けた。

 図書室の引き戸に手をかける。ノブが異常に冷たい。少しだけ乱暴に引いて、図書室に入った。



 夕食を終え、今日も配信画面を開く。自分のパソコンから彼女の優しい声が滑りこんだ。

 タイトルは「質問に答えるよ」。匿名メッセージアプリで募った質問に答える企画。リスナーとの交流ができるためか、いろんな方がやっている配信だ。


「早速始めるよー」


 こころは「ばばん」と効果音を言う。口頭のSEに突っ込みコメントが入る中、画面に質問が表示された。


「”どうして活動を始めたのか”かー。うん、そうね」


 こころは恥ずかしそうににへらと笑った。悩ましげに首を振る。画面にリボンが舞った。

 彼女は「楽しそうに活動をしている方が沢山いらっしゃったから」と答える。有名なバーチャルユーチューバーをいくつか挙げ、「この方の影響で」とも続けた。

 名前が出る度に、同意コメントが並んでいく。それを読み上げてこころは笑顔を咲かせた。


「あとね」


 一瞬迷うように目を揺らした。


「届いて欲しかったんだよね」

 

 誰に? と僕の中で浮かび上がった。

 

 僕はキーボードから手を下ろし、窓に目を向ける。ぴっちりと閉じたカーテン。その向こうには玲香の部屋があった。

 今日、学校ですれ違ったことを思い出す。

 確証もない期待が脈を打つ。僕はすっと立ち上がり、ベッドに膝を突き、カーテンに手をかけた。冷たい引き戸が頭に浮かぶ。胸がじくりと痛んだ。振り払うように少しだけ乱暴に布を引く。

 何もないベランダ。夜のとばりに包まれた中でせり出した青いひさし。窓越しに話した時と何も変わらない景色がそこにあった。

 ただ一つあの頃と違っているのは彼女のカーテンも閉じていることだけだ。



 教室の机につっぷして昨日を思い出す。声をかけてきた田中も手であしらって、窓の外を見つめ続けた。朝の喧噪もどこか遠くに感じる。

 どこに向いたのかも分からない彼女の言葉。もしかして僕に? と考えてしまった自分と、その後に見た彼女の部屋が交互に現れては消えていく。

 自己嫌悪と、それでも抱いてしまう期待がどうにももどかしい。

 そもそもこころが玲香である確証はない。こころと彼女を繋げるのはイラストと声が似ていることだけだ。


「だったら話しかければいいだけなんだよな」


 彼女は隣のクラスにいる。会いに行くだけで、このもどかしさはすぐに消えてるだろう。それなのに脳裏に浮かぶのは閉じられたカーテンだ。

 疎遠になった一年半が僕を臆病にさせていた。ガチ恋の仮面をかぶって、彼女との細い繋がりに言葉を投げかけることしかできない。

 気持ち悪いなぁと自嘲気味に笑って、溜息をこぼした。

 スマホを取り出してSNSを開く。タイムラインを辿って、こころの朝の挨拶をタップした。今日は募集した台本を読む配信をするらしい。

 連なったリスナーの「待ってた」。僕は画面を操作して打ち込む。僕の呟きも紛れるように並んだ。

 


 夕食を終えて、自室でパソコンを開く。待機画面はすぐ切り替わり、配信が始まった。こころは挨拶と笑顔を見せてから、台本のタイトルを並べる。

 六個のシチュエーション。「学校を舞台にしたものが多かったよ」とこころは付け加えた。さらっと紹介していく中で、僕の目は左上に止まる。「あかね色の廊下」。眼鏡フレームと、玲香の黒髪が頭によぎった。ドキリと胸が跳ねる。

 こころはリボンをふわりと揺らして笑顔を浮かべた。マウスの音が鳴り、画面がスッと切り替わる。西日が差し込む廊下で、こころがにへらぁと笑った。コメントが落ち着くのを待ってから、彼女はBGMを切る。


「あれ、後輩くん。どっしたのー?」


 台本に合わせて彼女はリスナーに語りかけてくる。委員会の先輩と出会ったシチュエーション。週一の会でしか顔を合わせない彼女にドギマギする内容だった。

 いつものノリで話しかけてくる先輩。彼女のセリフだけなのに、放課後の緩んだ空気と主人公の戸惑いが伝わってきた。

 語彙を失ったコメントが流れる中、いつもの配信画面が戻ってくる。こころが恥ずかしそうにえへへと笑った。

 速くなる賞賛を眺めて彼女は身体を揺らす。「エモかったねー」と作者さんの名前を挙げて、ふんふんとコメントを読んだ。


「”こういうシチュエーション、経験ある?”。ないない、あったら嬉しいんだけどね~」


 流れたコメントを拾ってこころは首を振った。「けど……」と小さく呟いて、視線を遠くに投げる。顎が少し上がり、動きを止めた。


「あったら嬉しいんだけどね」


 もう一回ぽつりと呟いて、さらに重ねる。


「私はすれ違った時に、視線だけ合うみたいなのが好きかな~。目で語るみたいな?」


 台本の設定を確認しながら彼女は告げる。「まぁ、この先輩だったらグイグイだろうけどね」と付け加えた。

 リスナーたちの同意にこころは胸を張る。にんまりと笑ってから、画面端に視線を投げた。口を開いて、何も言わず笑顔に戻った。

 画面の向こうとリンクするこころ。普段から感情豊かな彼女だが、先ほどの表情はよく読み取れなかった。パソコンの前で僕は首をひねる。けれど彼女は次のシチュエーションボイスに移っていた。



 放課後、図書室のカウンターで本を渡した。そのまま取り替えるように、借りるタイトルを差し出す。バーコードを通す図書委員の頭を眺めた。

 返却日を聞いてから本を受け取る。カウンターを離れ、図書室を見渡した。誰も座っていないテーブルの向こうで、本棚を見つめている先輩がいた。

 彼女は背伸びをして手を伸ばす。ぱらりぱらりと捲ってはまた戻した。

 もう少し時間が掛かりそうだと、僕は机に腰掛けて借りた本を開く。文を追うも目が滑り、思考は昨日の配信に移った。シチュエーションボイスと彼女の理想が飛び交う放送。リスナーもエモシチュをコメントで投げていた。

 面白かったなと、一人笑いそうになって、軽く咳払いをする。息をゆっくり吐き出すと、彼女が見せたあの表情がふっと浮かんだ。

 遠くに投げた視線。「目で語るみたいな~」。おどけた口調で告げたシチュエーション。彼女が活動を始めた理由も頭の中で重なった。

 じくりと胸の中の期待が脈打つ。


「おまたせ。ごめんね。待たせた」


 先輩が僕の肩を叩いて、両手を合わせる。僕は首を左右に振ってから席を立った。図書室を出て、彼女と並ぶ。申し訳なさそうな先輩に、こちらこそと返してから借りた本に話題を移した。先輩の目がキラリと光る。

 視線を正面に戻すと、二人組が歩いていた。学ラン姿の男子と黒髪の女子。その胸には画材道具が抱えられている。どきりと僕の胸が跳ねた。

 玲香が近づいてくる。廊下の窓からあかね色が差し込んでいて、昨日のシチュボと重なった。僕の中で期待がまた脈打つ。いつもだったらすぐ逸らしてしまう目も今日は真っ直ぐ向けた。

 

 その目を見れば、いろんなものが確認できるような気がしたのだ。

 

 けれども彼女の顔は上がらない。前髪で表情を隠していた。そのまま目は交わらずに、彼女とすれ違う。

 期待は消え、自己嫌悪が膨れ上がる。頭痛がした。廊下がぐにゃりと歪み、ふと倒れそうになる。

 ちゃんと歩けているのかどうかも不安になり、僕は足を止めた。先輩の声がどこか遠い。薄汚れた上履きを見つめる。その上に西日が差し込んでいた。

 床の茶色と上履きの白が机に置かれたノートと重なった。


 中学の放課後があふれ出す。

 

 何本も重なった線で描かれたキャラクター。その横には魔法使いと設定が添えられている。

 記憶の中で僕は顔を上げる。玲香と目が合った。彼女は驚いたように前髪を跳ねさせた。にへら少し間抜けな笑顔を浮かべる。


「彼女は人と人を繋げる存在なんだよ」


 僕は振り返った。

 そして彼女の目と合う。


 立ち止まり振り向いていた玲香は驚いたように前髪を跳ねさせた。にへらと間抜けな笑みを浮かべる。口がゆっくりと開いた。

 数メートル先の彼女の声は聞こえない。けれどその形は毎日のように見ていたものだった。僕の頭の中で、恥ずかしそうな決めセリフが響く。


「届いたよ」


 今、リアルとバーチャルが交わった。  

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仮面越しの彼女 書三代ガクト @syo3daigct

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